地つ巻

第三帖

 人民同士の戦では到底かなはんなれど、いよいよとなりたら神がうつりて手柄さすのであるから、それまでに身魂みがいておいて呉れよ。世界中が攻め寄せたと申しても、誠には勝てんのであるぞ、誠ほど結構なものないから、誠が神風であるから、臣民に誠なくなりてゐると、何んな気の毒出来るか分らんから、くどう気つけておくのざぞ、腹掃除せよ。九月の十六日、ひつ九のか三。


――― ここから ――――


まず現在は、民衆に「現代の技」すら悪用し邪霊が乗り移りて悪さをしております。

よほどでなければ、操られた自身は「己では気づけぬ」と存じます。

無論、恐縮ながらそのような周辺は所謂(いわゆる)魑魅魍魎(ちみもうりょう)に化かされ誑(たぶら)かされ気づけぬ筈もございませぬ。

といふような「よほどの状態化」でございます。


今回は少し踏み込んだ内容も続けて打たせていただきたいと存じます。

日本におきましては「県、市単位で上空から包囲」をされています。

「包囲」という単語が適当な表現なのか存じませんが、

誠に恐縮ながら「この意味」に得心くださる御方がおられれば、幸いと存じます。

ただ、日月の御民といへども、何十年もその地域におられ、県外や市外に出られてない方々は、なかなかにその異変・違和感には気付けないと存じます。


この外道の仕組と申しましょうか。

よほどの企みなのでございます。

何卒、御気をつけくださいませ。

御腹掃除してくださいませ。


さて、当帖でございますが、「神がうつりて手柄さすのであるから、それまでに身魂みがいておいて呉れよ。」とございます。

身魂をみがいておらぬと、神がうつることが難しいといふことでございましょう。

ならば、身魂をみがくとは、どのようにナルといふ事でございましょうか。

どのように、「うれしうれし実践すれば良い」のでございましょうか。





他帖には「みな人、神の宮となる。」とございます。

「神の宮となる」とは、どのような状態でございましょうか。


恐縮ながら、各々非常に重要な帖なのでございます。

誠に恐縮ながら「いれものつんぼ」も多い中、何卒御気を付けくださいませ。



御読みくださりありがとうございました。喜拝

かむながらたまちはへませ いやさかましませ





――― ここから次の帖 ――――


地つ巻 第四帖

 この神示いくらでも出て来るのざぞ、今の事と先の事と、三千世界、何も彼も分るのざから、よく読みて腹に入れておいて呉れよ、この神示 盗まれぬ様になされよ、神示とりに来る人あるから気つけて置くぞ。この道は中行く道ぞ、左も右りも偏ってはならんぞ、いつも心にてんし様拝みておれば、何もかも楽にゆける様になりてゐるのざぞ、我れが我れがと思うてゐると、鼻ポキリと折れるぞ。九月十六日、ひつくのか三。



――― ここから ――――


この道は中行く道ぞ、左も右りも偏ってはならんぞ、いつも心にてんし様拝みておれば、何もかも楽にゆける様になりてゐるのざぞ、


神示の仰せのとおり『左、右』とは偏(かたよ)りの事でございます。

天、地(天地)

日、月(日月)

火、水(火水)

霊、肉(霊肉)等々。

含みもございますが一方的平面でなく、マツリ合わせ立体歓喜に入る。

ひふみ神示を日々拝読なさっておられる同志はハラからうれしうれし得心なさると存じます。拝



当サイトが一年を過ぎました。

これからも日月之民(大和)の皆様の益々の御活躍を心より御祈り申し上げます。


日々赤子心初心でございますが、当方もさらに改めて初心に戻り、ひふみ神示を日々拝読し、うれしうれしのキの御用等、天地不二、神人合一、弥栄実践、祓実践、マツリ実践をし、霊肉十善を実践し五つの働き『かへりみる、はぢる、くゆる、おそる、さとる』を日々正しく発揮してみそぎ祓いをさせていただきたいと存じます。


少しでも御役に立てば幸いと存じます。

何より神第一、実践第一、掃除洗濯、益々うれしうれしでございます。



天地(あめつち)の大祓ひと呼応して国の潔斎、人の潔斎、祓ひ清めせねばならんのざぞ、与へられた使命を果たすには潔斎せねばならんのざぞ。(ア火ハの巻 第三帖)



御読みくださりありがとうございます。光拝




――― ここから次の帖 ――――


地つ巻 第九帖

 ひつくの神にひと時拝せよ、神のめぐみ身にも受けよ、からだ甦るぞ、神の光を着よ、み光をいただけよ、食(た)べよ、神ほど結構なものないぞ、今の臣民日をいただかぬから病になるのざぞ、神の子は日の子と申してあらうがな。九月二十日、ひつ九のか三。


――― ここから ――――


恐縮ながら「神の光を着よ」「み光をいただく」「食(た)べよ」とは、どのような御実践でございましょうか。

うれしうれし地に御足をつけ、日をいただきくださいませ。


恐縮ながら、当帖も何卒咀嚼していただきくださいませ。

もちろん、カイの御用も忘れずに願います。

四ツ足は禁物でございます。

食について」を御覧下さいませ。



今回は理由がございまして、表(おもて)と裏(うら)について少し打たせていただきます。

暦(日読み)にも新暦(太陽暦)と旧暦(太陰暦・太陰太陽暦)がございますように、ある意味におきまして「うらおもて」がございます。

男女にしましても一方のみではなく、まぐはひナします(順、また恐縮ながら含みもございますが「白銀の巻 第一帖」も御参照ください)。

無論それだけの一方でなく、霊肉その連なりの御恩を御知りくださいませ。


姓につきましても先祖様の連なりの感謝と共に「おもてとうら」がございます事を御知り、お忘れのないように願っています。


ひふみ神示をうれしうれし拝読くださいませ。

御読みくださりありがとうございました。拝

かむながらたまちはへませ いやさかましませ




――― ここから次の帖 ――――


地つ巻 第十帖

 何事も方便と申して自分勝手なことばかり申してゐるが、方便と申すもの神の国には無いのざぞ。まことがことぞ、まの事ぞ、ことだまぞ。これまでは方便と申して逃げられたが、も早逃げること出来ないぞ、方便の人々早う心洗ひて呉れよ、方便の世は済みたのざぞ、いまでも仏の世と思うてゐるとびっくりがでるぞ、神の国、元の神がスッカリ現はれて富士の高嶺から天地(あめつち)へのりとするぞ、岩戸しめる御役になるなよ。九月の二十日、ひつ九のか三


――― ここから ――――


今の人間 鬼より蛇より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ、早う改心せねば泥海にせなならんから、神は日夜の苦労ぞ。日の出の巻 第二十帖



まずは辞書の記載を御覧ください。


方便(ほうべん。古語では、はうべん):

<仏教で>衆生を導くための手段。

目的を果たすために仮に用いる<便宜的な手段>


【仏教語】(仏が衆生を救う知恵・手段の意から)仏の道にみちびくための便宜上の手段。



『方便』とはもちろん、嘘をつく・騙す、また『悪事・十悪』を肯定するコトではございません。喝破


念のためこのコトについても打たせていただきますが、

過去日本の歴史等を改ざん等した仏魔が仏教とともに日本にわたってきました(『碧玉の巻 第十帖』も御参照下さい)。

現在存在する書籍においても同様の記述があり、日本の歴史をすり替え改ざんした怪僧等(仏魔)がいたといふ話は有名でございましょう(何千年の昔、外来の文化を日本に入れるために<仏教を広める口実としながら侵略的目的等>過去の日本の貴重な文化遺産・歴史<書物等>を廃棄焼却したスコタンがいたのでございます。平面的意味で打っているのではございません、現在もその仏魔にめちゃくちゃにされているでしょう)。


現在の歴史教科書問題につきましても、改ざん等(情報コントロール)行われているように、時代の為政者(権力者)などによって都合よく編纂されてきたのでございます。

(戦後65年程度の歴史につきましても、『このアリサマ』なのでございます。一部のアジア諸国を例にとりましても『ガイコク』に反日教育等をさせられ、利害緊張関係を煽る目的等で都合よく編纂してきたでしょう。 話は仏教関係に戻り、釈尊の説かれた原始(古)仏教につきましても同様でございます。言は加上はされ、“都合よく神格化”される始末でございます。これにつきましては含みもございますが過去こちらで少し打たせていただきました。拝)


このような『隠蔽・隠された史実』、他書物、古語拾遺等の記述につきましても打ちたいのですが割愛致します。



恐縮ながら誠の『方便』とは本来、

真理・真実を知らす(伝える・照らす)場合、各々の場(チの段階・状況)に適った表現(手法)のコトでございます。拝


ひとつのその手法の例としまして、

こどもと大人では、伝える文型文脈も異なるでしょう(時代、国、地域、環境、人種民族、言語、性差、年齢、知識の差などによって異なる)。

男性、女性(性差)ですら、女性にはわかりやすい表現、男性にわかりやすい表現方法がございますでしょう(普遍的には小学五年生程度の言語で表現すれば伝えやすいと云われていると存じます)。


文字を知らない人には、また異なる仕方(表現)で伝えるでしょう。(ちなみに途上国の識字率を低下させるのも、その国などの資源搾取奪取、支配管理する為の心無い人たちの計画だといふことを序に御知りくださいませ)



状態を最良快適(最適)に保つためには、

風が強い日には風除けのコートなどを『装備』するでしょう。

雨の日には雨よけの防水具などを使います。


このように『物事の状態』によって、わかり易く伝える為に必要な手段(装備等)も変化してくるのでございます(臨機応変)。



これが『本来の意味としての方便(手段)』なのでございます(これも打っておきますが、今までは各々の時代性背景、段階・段階の場の『チ』によって、『ある意味で』方便が必要だったのでございます)。

仏教的に申せば、仏の教えを各々に伝える為の知恵というわけでございます。拝



それがいつの魔にやら、時代経過とともに形骸化(誠、内実が無くなり)し、『嘘も方便』といふワレヨシ(他はどうなってもよく自分だけがよければよい等)身慾を立てる為の都合よい言葉と成り下がり(ツミ穢され)、誤魔化し騙す目的において使われてきました(それにより『悪事・禍事・霊肉十悪すらも行なわせてきました』。つまりそのように惑わし詭弁を弄するスコタンは、尊ひ神の言をおとしめるスコタンであり、『仏の道を伝える目的でもなく、善を装い仏を利用する為に使っていた(近年では破壊的カルト集団が使ってきた事がバレテいるでしょう。盗み騙し奪う目的、拝金主義)』のでございます)。



理に照らし観れば得心されると存じます。

『方便と申すもの神の国には無いのざぞ。まことがことぞ、まの事ぞ、ことだまぞ。』

「嘘も方便、口だけで心・行が伴っていない。」といふことも含め仰っておられるのでございます。

口・心・行(心・言・行)を一致させた行為・行動(祈り)こそがマコト(誠・こと霊)であり、

〇一二三四五六七八九十といふマコトのミチなのでござます。



教はみな方便ぢゃ。教ではどうにもならん。ぎりぎりの世となってゐるのぞ。理(ミチ)でなくてはならん。変らぬ太道でなくてはならんぞ、(月光の巻 第四十三帖)


上記帖でも仰ってくださっておりますが、今までは段階・段階の教へ(方便)であったとも仰っているのでございます。拝


此度『正法(ミチ)が開かれた』のですから、

立体(太道)に入る“誠の実践”(実行・潔斎・大和)でなければならないと仰っているのでございます。

(ちなみに、神示では漢字の『方便』、ひらがなの『ほうべん』、カタカナの『ハウベン』等表現がございますが、これも『ハラが掃除・洗濯されているならば』ピンと響きより分かりやすい含み<示唆>を持たせているのでございます。拝)



ひふみ神示とは“マコトの実践の神典”でなのでございます。


当帖にて、『はうべん』の意味も恐縮ながら開かせていただきました。光拝


身慾信心、口だけで言の神を利用してはなりません『身慾信心してゐる臣民人民、今に神示聞けぬ様に いれものつんぼになるのざぞ、きびしくなって来るぞ、(アメの巻 第六帖)』。


恐縮ながら、このような尊ひ機会はいままでなかったのでございます。

順(霊主体従、天地不二等)を知り、ひふみ神示を日々うれしうれし拝読(朗誦)し、誠の行を御実践なさってくださいませ。拝



かむながらたまちはへませ いやさかましませ

御読みくださりありがとうございました。


田舎田吾作光拝




――― 関係帖 ――――


地つ巻 第十帖

日の出の巻 第十三帖

黄金の巻 第十帖

月光の巻 第四十三帖

月光の巻 第五十帖




――― ここから次の帖 ――――


地つ巻 第十一帖


 世界丸めて一つの国にするぞと申してあるが、国はそれぞれの色の違ふ臣民によりて一つ一つの国作らすぞ。その心々によりて、それぞれの教作らすのぞ。旧きものまかりて、また新しくなるのぞ、その心々(こころこころ)の国と申すは、心々の国であるぞ、一つの王で治めるのざぞ。天つ日嗣の実子様が世界中照らすのぞ。国のひつきの御役も大切の御役ぞ。道とは三つの道が一つになることぞ、みちみつことぞ、もとの昔に返すのざぞ、つくりかための終りの仕組ぞ、終は始ぞ、始は霊(ひ)ぞ、富士、都となるのざぞ、幽界(がいこく)行きは外国行きぞ。神の国光りて目あけて見れんことになるのざぞ、臣民の身体からも光が出るのざぞ、その光によりて その御役、位、分るのざから、みろくの世となりたら何もかもハッキリして うれしうれしの世となるのぞ、今の文明なくなるのでないぞ、たま入れていよいよ光りて来るのぞ、手握りて草木も四つあしもみな唄ふこととなるのぞ、み光にみな集まりて来るのざぞ、てんし様の御光は神の光であるのざぞ。九月二十と一日、一二か三。


――― ここから ――――


当帖は地(くに)つ巻 第十一帖でございます。


国はそれぞれの色の違ふ臣民によりて一つ一つの国作らすぞ。


偽善を装い「多文化共生」という言葉を作り、流行らせ人々を騙しているようですが、


「多文化強制」という意味でもございましょう。


御神示は、クニはそれぞれイロの違ふ臣民によりてひとつひとつのクニ作らすとございます。

歴史から観ましても、各民族は団結して自国、テリトリーすら作ろうと蜂起を致します。


ゆえに今の世の在り方。

各民族があり各国があり主権があり、各々の民族が暮らしているのでございましょう。


当たり前のことでございますが、これにガイコク、宗教、思想、妄想、洗脳などもございます。

味噌糞一緒にしては、からなず争いが起きます。

霊肉うれしうれし掃除・洗濯すらできぬ輩、集団なのですから、さらに争いを起こさす因となるとお伝えをしております。


各国、各民族がおり、各文化があり、楽しいのでございましょう。

一緒くた(一色はなりません)にしてはなりまぬ。



この日本という国の現状。

自覚されてないものは足つかずのフワフワでございましょうが、惨憺たるものでございます。
皆様にとりましては、足の踏むところない迄にけがしてしまわれております日本というこのクニに他民族を入れることにより、

どのようになるとお考えでしょうか?

「代理攻撃」も含めまして、その集団や組織を使い、時間をかけ日本人を苦しめ“無くし”クニを破壊するという目論見でございます。

そこまでの危機的な日本の状況だとお知りくださればと存じまする。


子供、女性、弱者を巧みに使い、現状をぼかし「排他主義」等の意味不明な妄言や、人権などの善を装った口先から詭弁妄執を吐く論者にはくれぐれもご注意くださいませ。


そのものには、「ある国家に対して、攻撃、憎しみをもった洗脳教育をされている民族が、その国に大量に入ってきても多文化といえるのか」お聞きくださいませ。

おそらく、さらにダマす詭弁を吐く、自覚すらされてないスコタンでございましょう。

弱者を装い、同情すらを買うように仕向け、結果貴方がたがもし今の現状を自覚なさらず騙された挙句は、

日本人への差別はさらに深まり、統制へと繋がり、日本国の生活、文化などの破壊となりましょう。
トドノツマリはクニ内部の崩壊、乗っ取りをしたいがための綺語、妄語、不両舌でございましょうに。


現時点すらも、その線の見通しが観えまするので、特に日本の女性の皆様は御気をつけくださいませ。

大変に恐縮ながら、気の毒になりてのイマ、これからのあなたがたのことでございます。



各々の民族があり、そのものの国があるのですから、各々の国がうれしうれし花を咲かせるのでございましょう。


まずは、各国、各民族、各人種が御五柱、御十柱を霊肉うれしうれし御建てになることが順序でございます。

口を静かに慎みくださいませ。

まずは順、順列でございます。



かむながらたまちはへませ いやさかましませ

御読みくださりありがとうございました。喜拝



――― ここから次の帖 ――――


地つ巻 第十八帖

 われよしの政治ではならんぞ、今の政治経済はわれよしであるぞ。臣民のソロバンで政治や経済してはならんぞ、神の光のやり方でないと治まらんぞ、与へる政治がまことの政治ぞよ、臣民いさむ政治とは上下まつろひ合はす政治のことぞ、日の光あるときは、いくら曇っても闇ではないぞ、いくら曇っても悪が妨げても昼は昼ぞ、いくらあかりつけても夜は夜ぞ、神のやり方は日の光と申して、くどう気つけてあらうがな。政治ぞ、これは経済ぞと分けることは、まつりごとではないぞ。神の臣民、魂と肉体の別ないと申してあること分らぬか、神のやり方は人の身魂(からたま)人のはたらき見れは直ぐ分るでないか。腹にチャンと神鎮まって居れば何事も箱さした様に動くのざぞ、いくら頭がえらいと申して胃袋は頭のいふ通りには動かんぞ、この道理分りたか、ぢゃと申して味噌も糞も一つにしてはならんのざぞ。神の政治はやさしい六ヶしいやり方ぞ、高きから低きに流れる水のやり方ぞ。神の印(しるし)つけた悪来るぞ。悪の顔した神あるぞ。飛行機も船も臣民もみな同じぞ。足元に気つけて呉れよ、向ふの国はちっとも急いでは居らぬのぞ、自分で目的達せねば子の代、子で出来ねば孫の代と、気長くかかりてゐるのざぞ、神の国の今の臣民、気が短いから、しくじるのざぞ。しびれ切らすと立ち上がれんぞ、急いではならんぞ、急がねばならんぞ。神の申すこと取り違ひせぬ様にして呉れよ。よくこの神示(ふで)よんで呉れよ、元の二八基(じゃき)光理(こり)てわいて出た現空(あく)の種は二八基(じゃき)と大老智(おろち)と世通足(よつあし)となって、二八基には仁本の角、大老智は八ツ頭、八ツ尾、四通足(よつあし)は金母であるから気つけておくぞ。世通足はお実名に通(つ)いて分けてゐるから、守護神どの、臣民どの、だまされぬ様に致して下されよ。九月二十三日、あのひつ九のか三。



――― ここから ――――


まず下記は二日(ジシン)の巻からの抜粋でございます。

各巻順序・段階があり含みがございますが、この巻は特別であり高度と存じます。

『故に、新天新地の来る迄、真の天国を体得し得ない。新天新地の新しき世界に生れ出づる自己を知り得ない。』

といふコトであるとハラで理解していただきたく存じます。



『かく弥栄進展するが故に、人類も霊人類も、各々その最後の審判的段階に入る迄は、真の三千世界の実相を十分に知り得ない。故に、新天新地の来る迄、真の天国を体得し得ない。新天新地の新しき世界に生れ出づる自己を知り得ない。これは外部的なる智によらず、内奥の神智にめざめることによってのみ知り得る。

月より地球が生れ、地球より太陽が生れると云うことを理解するに苦しむものであるが、最後の審判に至れば自ら体得し得るのである。(中略)

新天新地新人はかくして、生れ、呼吸し、弥栄える。しかし、新人と生れ、新天新地に住むとも、その以前の自分の総ては失わない。只その位置を転換されるのみである。

二日の巻 第八帖)』



『すべて一にして二、二にして三であることを理解せねばならない。かくして、大神の大歓喜は、大いなる太陽と現われる。これによりて、新しく総てが生れ出る。太陽は、神の生み給えるものであるが、逆に、太陽から神が、更に新しく生れ給うのである。 は絶えずくりかえされ、更に新しき総ては、神の中に歓喜として孕(はら)み、生れ出て、更に大完成に向って進みゆく。親によって子が生れ、子が生れることによって親が新しく生れ出ずるのであることを知らねばならない。されば、その用に於ては千変万化である。千変万化なるが故に、一である。一なるが故に、永遠である。二日の巻 第三帖』



『 地上には、地上の順序があり、法則がある。霊界には、霊界の順序があり、法則がある。霊界が、原因の世界であるからと云って、その秩序、法則を、そのまま地上にはうつし得ず、結果し得ないのである。また地上の約束を、そのまま霊界では行ない得ない。二日の巻 第七帖』



循環(サイクル)、回転、渦(ウズ)や「水瓶座の時代」等々ともつながりなにやらニューエイジっぽいですが。

当帖では現世(うつしよ)の順序・段階足る一二三、日月地、現代のアリサマを打たせていただきたく存じます。拝



また様々な情報(八頭八尾の大蛇、邪鬼、金毛九尾白面の悪狐等々も含め)がございますが、さっぱり流して赤子心で神示を御読みください(段階ある神界等の写しは、現世ではそのまま現れるのではない。ゆえに状態変化からと観るが得策・良計とも打たせていただいております)。

下記は世界も含めでございますが、日本は真中の国ゆえまず基礎・心之御柱として初めにマコトに立ち返らないと順序として成り立たない存じます(現在は肝心要のハラが腸まで腐っている状態と存じます)。拝



当帖に関係した各巻が下記でございます。


オロチ、九火(キュウビ)、ジャキ(梅の巻 第一帖)

八股おろちも金毛も、ジャキも(ウミの巻 第五帖)



いくら頭がえらいと申して胃袋は頭のいふ通りには動かんぞ、この道理分りたか、ぢゃと申して味噌も糞も一つにしてはならんのざぞ。


頭、ハラは同じではなく頭は頭、ハラはハラであり何事も霊的順序を踏まえてのバランスでございます。(霊的な順序<霊主体従>が大切と申されているのでございます)。



神の印(しるし)つけた悪来るぞ。悪の顔した神あるぞ。


近年も世界的に実感されたと存じますが神の印(『十』等。無論奥があります)だけをつけたものたちによって世は乱され荒らされました。キリスト教、宗教などと騙(かた)り実(じつ)のところ霊肉の調和、順を破壊し十悪ばかりを起こし起こさせ(けしかけ)、傲慢高慢(ごうまんこうまん)にもその行為、行動を反省すらせずに神を愚弄(ぐろう)し続け、畏(おそ)れ多きも無き者としている拝金教(はいきんきょう)とカルト組織等、その悪行・禍事などにより神外のシルシともなり果て、未だ穢(けが)されております(「では、その背後には“霊肉ともに”どのような化け物がいるのでしょうか?」という帖でもございます、それが下記)。



元の二八基(じゃき)光理(こり)てわいて出た現空(あく)の種は二八基(じゃき)と大老智(おろち)と世通足(よつあし)となって、二八基には仁本の角、大老智は八ツ頭、八ツ尾、四通足(よつあし)は金母であるから気つけておくぞ。


元の二八基(じゃき)光理(こり)てわいて出た現空(あく)の種』とは、順、位置(法則)を反転または乱した配列の事。下記をご覧くだされば得心なさると存じます。

数霊盤で表しますと、この状態が正の位置(霊主体従)でございます(北が一、南が九の配列。ヒコ日子・トコ常とすれば覚えやすいと存じます)。



詳しくはこちらを御覧ください


それが下記のように順、位置がアベコベ・サカサマ(九が北となり、一が南の逆配列)で味噌も糞も一緒にする事によりわいた(順、位置を守らず乱しケガレツミ積もった)。




この意とは真中抜け(マヌケ。本来は真中はご覧の通りアルのですが磐戸閉めしている状態でございます)、順なく月・体(物質偏重、唯物論)が先となり一方的であり、日・霊(心、精神)が後(または無いようにしている)といふ順序、位置でありサカサマ(逆)であるコトを示しております。現代が真中(神、歓喜)無い獣(ケモノ)跋扈(ばっこ)する世であることも頷(うなず)けると存じます(霊・礼・〇<レイ>無き一方的な物質のみ、心無き本能のみの弱肉強食の世)。


まずは二八基(ジャキ)について




理(ミチ)がサカサマであり二八(ヒツジサル)が上(先)。正の位置足る八二(ウシトラ)が逆であり後。この意味するは月(肉)が中心でありアベコベの基(モト)でございます(また異なる意味で“月日”ともなっている。と申しましても畏れ多ひことではございますが恐縮ながら取違いなさるなよ、“月の大神”が悪いのではございませぬ、真中・順・配置が違っているからワキ、乱れていると打たせていただいております)。

物質優先で心無くワレヨシ、悪い事をした者が得をするといふ、なんともけしからん無情の世が盤から観てトれましょう。物質第一でありメグリあるカネ・悪自由・悪平等を拝まないものは苦しめられ、また物質優先、強者の論理に不必要な弱者等は切捨てられるといふ、なんとも情けない“獣の世と同じ”逆肉強食の世にもツナガルのでございます。



二八基(ジャキ)には仁本の角


ゝ仁とは

1したしみ、いつくしみ

2儒教における最高の徳、人道の根本

3なさけ、おもいやり、同情


仁本(二本<“二”を本としたという意にも通じる>)の角。

仁とはハラからの真心(まことの真ごころ)でございます。

頭で思うのではなく心で思うものでございましょう。

ゆえに口先だけ、カタチだけの魔ごころの仁(知識だけの仁・つまりジャキは『善を装い禍事を行う』と示唆しているのでございます)

二枚舌にもかかる(戦後の世界のアリサマを御覧ください)。

これでカルト・仏魔等も蔓延(はびこ)り世は乱れに乱れた(歴史をかえりみられる御仁ならば得心いたすでしょう)。


気(キ)の毒ながらコレに未だにおもちゃにされておられる者たちが実に多いと存じます。


あまつふみ自己愛的変質者の特徴をご覧ください。悪の三大将含め(そのような心根の人たちが日本を含め世界に実際におられたから今の狂った世があるのでございます。人災(ジンサイ)でありシステム<構造>的にもそれを作り出すように構築(こうちく)されております。ゆえにこの世が乱れているのでございます。このような人たちが事実存在しておらぬなら戦争などもワザワザ起こし起こさせ乱れておりますまい)、“本当の意味で霊肉の調和を乱している”のでございます(ツマルトコロ、心に本来無い地獄をワザワザ作り巻き込み、さらに作らせているのでございます。恐縮でございますが他の苦しみを快楽に変換できる恐るべき頭の構造、世の構造なのです)。



大老智は八ツ頭、八ツ尾、


真中なく八方が頭(学・知識)、尾(獣性・本能)のみである。

周辺の肉(物質)のみであり力の論理、弱肉強食、霊、心ない者たちの示唆でもあります(これについても真中を歓喜中心として『』し立体に納まれば良いのでございます)。




大老智(おろち)とは学、観念に囚われる穢(けが)れたツミ積もった智(人の行動にたとえるならば、高慢、傲慢、頑迷とナリ下がり感謝なく理窟のみで内省(かへりみる)ができないため、“五つの働き”が機能しない。ゆえに一方の意味で“退行している”ともいへる)

此(コ)の世とは霊肉不二でございますが、人動植鉱物は物質のみと信じており(またその方が悪事を行う際、都合がよい)マコトではない智(アヤマチ)に囚われる者達でございます(またケガレれた霊。穢れるから闇、病みに通じる)。

当然マコトでない観念<知識>を下地とし囚われてゐるのであるから<恐縮ながら当帖の魔・獣の特徴を自覚し改めくだされば幸いと存じます、これらは獣の本能に起因しているのでございます>、妄想<もうそう>がツミ積もり集団ともなればその不毛な知識を特別視し階級をつけたがりカルト化する習性となります、そして何時の時代も飽きずに肉の弱肉強食のピラミッドの巣を作りたがる<肉の色、種族で差別・優劣を付けたがる性質をも持ち合わす→人種、民族差別等につながる。此悪霊之習性也>。無論、神的(味噌)には順序、段階、位置があり上であり差別はございます)。

神示は世界の事でもございますから、聖書的に申させていただくのならば「傲慢、不遜な権力者、権威者、律法学者が神の御言葉を改ざんしワレヨシ(身慾)の知識のみに囚われ神を貶(おとし)め無きものとした」といふ意味でもよいと存じます。


上記の図八つ頭の八つの尾のカタチを再度ご覧下さいませ。

つまり心の御柱足る真中(ハラ)が欠(空)けている上記のような姿(バケモノ)となる。



四通足(よつあし)は金母であるから気つけておくぞ。


四通足は世に通ってる足、資本(金)主義、四本主義はカネ(金)の母。

また九火(キュウビ)でございますから数霊盤ではこのようになります(中国の古い河図と呼ばれる盤は北極星を一とし、対局の南には二を当てた。この逆の盤では“九”が一<ヒ>に替わり上。正の位置と“これも逆にしたい腹積もり”。また己が正しい光であり理だとも勘違いしておられるのでございます。ですから自覚がない<狐狸も懲りていただきたい>。同じような勘違いしたお人(特徴)も世におられます事からも“そのような心根”が実際にあることを得心されると存じます)。




世通足はお実名に通(つ)いて分けてゐるから
四通足(よつあし)→四本(シホン)。またどことは打ちませぬが日本をみましても価<カネ>を創り出すに示唆した団体があると存じます。所業が十悪に適合してないならば良いのでございます。拝

メグリあるカネでマコト心(ごころ)を奪われ騙される事なきように(『十悪をさせられないように気をつけなさい十悪をすれば心の御柱が崩され、さらに獣のおもちゃとナルからでございます)』といふ意)、また『メグリあるカネで巻きこむ不届き者、心無き拝金教に気をつけなさい。』という意でもございます。

(ある意味このカネの母が改心すれば少しは世は善くなる。何事も『人のハラ次第』と打っております。光拝)


悪の三大将に共通する心根は、おのれ等が上位(優性)となりマコトの正神を無くし中心となりたいという腹積もりでもございましょう。

このように、順序、位置とは大切なのでございます。
霊肉ともに世のシステムも含め正しい順序、基礎(心の御柱、社)に改善し、マコトのキ(歓喜)を真中とすればうれしうれしのマコトに立ち返れる(“元は盤の逆(つまり正の位置)”のうれしうれしの世なのですから善悪ともにキ<歓喜>を中心とし初めてバランスが取れるのでございます。これをしないならば我々が霊肉ともに苦しみ殺し殺され、メグリをツミに積むのでございます。ゆくはさらに来る苦しみの滅びの世となってしまうのです)。


なんでもキの使い方次第なのでございます。拝




正位置、元の位置に立ち返り、真中を中心とするならば“上記のように”神の一部であるのですからうれしうれしとなる。
想像していただきたい(このように打つことを失礼します)。 「自分の手が足であり足が手があれば」イキ苦しいでしょう。 全体が乱れ調和とならない。 手は手がよく足は足がうれしうれしなのでございます(手が頭のフリをしては乱れる、しかも“ハラ・真ん中”が無かったらどのような生き物でしょうか。正の位置、順、霊主体従がなにより大切だと打たせていただいております)。



ゝ天地、悪と開く(あく)神


同じ名の神二つあると申してあろ、同じ悪にも亦二つあるのぢゃ、この事神界の火水ぞ、この事判ると仕組段々とけて来るのざぞ、鍵ざぞ。(ア火バの巻第十三帖)』


ある意味がありこれも打たせていただきますが、善悪とは神示にもございますように本来無いがある(大和し“高い段階<大神>では善悪ない”。ですが現在の人々の思う善悪ではない)それには立体に入らないとならないのです)、

大き広い心で小さい我を折り改心(『』し立体に入れば)いたされば、うれしうれしとなる仕組。

神の一部であるゆえに改心(大和)しうれしうれし本来の姿となりなさいと当帖にあるのでございます(*また恐縮ながら神示を拝読し実践されてない方が茲(ここ)を読まれば「神、霊、獣、悪の三大将」などとありますゆえ理解すらできぬと存じますが(お気持ちは御察します。人とは霊があり肉があり霊肉和し人なのでございます)、上記のように“ひふみ神示とは人だけの神示ではなく三千世界の神示なのでございます”)。



因みに他巻にございますことも少し。

メリカギリス(“ア”“イ”、“二つ”ともアイがない)

オ”ロシア(オが頭にある)

(と申しましても、各々の国民もまた被害者。恐縮ながら、まずは謙虚となり間違いを認める勇気を持ち各々の“頭”と“心(慾の浄化)”、全体ともに根本(ほつこん)改心改善が必要と存じます)


今回は下記に関係資料がございます、時代背景も“含め”御読みくだされば幸いと存じます。

さまざまに惑わす人々もおります昨今、我々は“物事の変化・状態の変化”から観なければならないと存じます。

(順序と致しまして各々のハラの掃除・洗濯第一ではございますが、どこが戦争、飢餓、混乱などを起こし起こさせ、我々がイキ詰まり途上国が苦しみ、今の世となっているのかを知り広めくだされば幸いと存じます)



ひふみ神示を御拝読され祝詞を心から感謝し唱(十七)ください。



御読みくださりありがとうございました。拝



――― 関係資料 ――――


<抜粋ここから>

八頭八尾、及び金毛九尾、邪鬼の霊は、人の血を視ることを好む者なれば、霊主体従の美名の下に、斯の如き暴虐なる行為を、人々の身魂に憑りて慣用するを以て唯一の手段となし居るが故に、此教に魅せられたる信徒は、生を軽んじ、死を重んじ、無限絶対なる無始無終の歓楽を受くる天国に救はれむ事を、唯一の楽みとなし居るなり。如何に霊を重んじ体を軽んずればとて、霊肉一致の天則を忘れ、神の生宮たる肉体を塵埃の如く、鴻毛の如くに軽蔑するは、生成化育の神の大道に違反する事最も甚だしきものなれば、この教にして天下に拡充せられむか、地上の生物は残らず邪神の為に滅亡するの已むを得ざるに至るべく、また婆羅門教には上中下の三段の身魂の区別を厳格に立てられ、大自在天の大祖先たる大国彦の頭より生れたる者は、如何なる愚昧なる者と雖(いへど)も庶民の上位に立ち、治者の地位に就き、又神の腹より生れたる者は、上下生民の中心に立ち、準治者の位地を受得して、少しの労苦もなさず、神の足より生れたりと云ふ多数の人民の膏血(かうけつ)を絞り、安逸に生活をなさむとするの教理なり。多数の人民は種々の難行苦行を強ひられ、体は窶(やつ)れ或は亡び、怨声私かに国内に漲り、流石の天国浄土に住み乍(なが)ら、多数の人民は地獄の如き生活を続くるの已むを得ざる次第となりける。邪神の勢いは益々激しく、遂にはフサの国を渡り、印度の国迄もその勢力範囲を拡張しつつありしなり。

<抜粋ここまで>




――― 関係帖 ――――


三の巻 第五帖(四九七)

碧玉之巻 第十四帖

ア火バの巻 第十四帖(四八三)




――― ここから次の帖 ――――



地つ巻三十二帖

 仕組通りに出て来るのざが大難を小難にすること出来るのざぞ。神も泥海は真っ平ぞ、臣民喜ぶほど神うれしきことないのざぞ、曇りて居れど元は神の息入れた臣民ぞ、うづであるのぞ。番頭どの、役員どのフンドシ締めよ。十月の七日、ひつ九のか三。


――― ここから ――――


フンドシは締めておられますでしょうか。


番頭どの、役員どのフンドシ締めよ。


恐縮ながら、泥棒集団に盗み入られ惑わされ迫害され、「神なぞ何うでもよいから」という具合になっている頃合でしょうか。


こやつらは平易に申せば、ただの臆病者、犯罪者の集団でございますゆえ、盗み騙し欺くのが得意でございます。


何千年以上もあいも変わらずに逃げに逃げた挙げ句の化物(ばけもの)の姿。

その集大成ともいえる、憑き物でございます。


こやつらを観ますと、常に何かに怯えており、裏返しに大きくみせたいのか虚栄心高く自己顕示欲が強い、そして鏡に向き合い己を映す事をとてもおそれ恐がっており怯えているといふハラワタ腐り切って居る内実でございます。


ゆえに、さらに逃げに逃げ、外部に攻撃性を向ける性質がございます(御十柱から逃げているともいえます)。


つまり、ほっておくことにより、人民らがさらに苦しむことになります(周りを巻き込み御十柱の逆をされるのですから、どうなるでしょうか? 今の世のありさまでございましょう)。


日月の皆様におきましては、何卒化物に化かされんよう、おかげ落さないように一層締め御気を付けてくださいませ。


しかし、邪霊集団に乗っ取られ(憑かれた)人すらも辞めた人民はその後どうなるのか。

霊肉でございますゆえに、顛末足るや恐ろしきでございます。





兎にも角にも内省すら出来ぬ集団であり、ひたすらに盗み入ってきますゆえに(喩えではございません)、よくよく世界を、日本を、【見分ける鏡】を御使いになり自分をサニワしてくださいませ。


ア火バの巻 第三帖」を声を出して拝読くださいませ。

うれしうれしキを頂いてくださいませ。



日月の皆様におきましては、何卒世界中の隠されてきた科学技術情報をお調べくださいませ(政治ショーにつきましても惑わされ騙されぬように気をつけてくださいませ)。




仕組通りに出て来るのざが大難を小難にすること出来るのざぞ。


この仕組は、重ねて皆様方が思っておられる以上にとんでもないものでございます。

上記、当帖の御言についての連なりでございますが、なぜ霊肉潔斎が必要であり、御五柱御十柱が必要なのかと申しますと、神のいれものとなる為でございます。



なぜ神の入れ物とならないといけないのでしょうか?


御用が出来ないからでございます。


もし御用が出来ないならば、どうなりますでしょうか。


また番頭どの、役員どのはどのような動きをしなければならないと御神示は仰っているでしょうか?


そのような事が恐縮ながら、当帖に繋がるのでございます。

そして誠に恐縮ながら、重ねて神のいれものとなる以外に日本人には最早選択肢はございません。



うれしうれし誠の潔斎をしてくださいませ。

そして、四つ足は喰ろうてはなりません。


この事も世界の時節的に再度打たせていただきます。
恐縮ながら過去開かせていただきましたが、何千年間も取違ひ鼻高に、いまだに生贄(いけにえ)などと云っているスコタンは、それこそが「何も分かっていなった」と自らが云っているものであり、化物に化かされていたという証明でございます。


御恩知らずにも潔斎をせずにいる輩が口先だけで「神だ仏だ」「神の為だ」「神の国だ」と申されましても、邪霊の戯言であり玩具(おもちゃ)にされているに過ぎませぬ。 挙げ句には身慾の為だけに周りを巻き込み苦しめる事となり時節的にも大変に邪魔となります。


御神示を肚に入れくださりマコトにうれしうれし御用をお願い致します。

何卒フンドシ締めくださいませ。



御読みくださりありがとうございました。喜拝

かむながらたまちはへませ いやさかましませ




信仰に入った始はよいが、途中から判らなくなるのぢゃ。そこが大切ぞ。判らなくなったら神示(フデ)よめよ。キ頂いてよみかへるぞ。



世が愈々のとことんとなったから、今に大神様迄 悪く申すもの出て来るぞ。産土様(うぶすなさま)何んぞあるものかと、悪神ばかりぞと申す者 沢山出てくるぞ。



神の国には昔から神の民より住めんのであるぞ、幽界(がいこく)身魂は幽界(がいこく)行き。一寸の住むお土も神国にはないのざぞ。渡れん者が渡りて穢して仕舞ふてゐるぞ。日本の人民、大和魂 何処にあるのざ、大和魂とは神と人と解け合った姿ぞ。



日月の民を練りに練り大和魂の種にするのであるぞ、日月の民とは日本人許りでないぞ、大和魂とは神の魂ぞ、大和の魂ぞ、まつりの魂ぞ、取違ひせん様に気付けおくぞ。



善だと思ふ事が善でなく、皆悪ざから、神の道が判らんから、身魂曇りてゐるから、臣民困る様な政治になるのぞ。




――― ここから次の帖 ――――


地つ巻 第三十四帖

 神は言波ぞ、言波とはまことぞ、いぶきぞ、道ぞ、まこととはまつり合はした息吹ぞ、言葉で天地にごるぞ、言波で天地澄むぞ、戦なくなるぞ、神国になるぞ、言波ほど結構な恐いものないぞ。十月十日、あめの一二か三。


――― ここから ――――


当帖は地つ巻 第三十四帖でございます。


ひとつに、ヒトの思考も コトバ にて構築されております。

その配列、順序次第では、まこと とはなりませぬことはご承知と存じます。


まことのこころなりなりて、まことの肉体となりまする。


マコトに、うれしうれし『まことでなれければ、

まことの御用はつとまらん』 とございますように。



さて皆様、世の態(さま)はどうなってゐるでございましょうか?


ですが誠に恐縮ながら、

うれしうれしまこと でなければ世のさまもみれますまい。


みれない といふことは、わからない、理解できない といふことでもございましょう。

またきこえず、いふことすらできますまい。



口先ばかり 表面飾りて まこと、まこと とはダレでもいえましょう。

火に集まる蛾の様に人々は集まりましょうが、

口ばかりでは、

そのさま、

自体、

行為、

行動 としましても まことではない といふ証明証左でもございましょう。


間違った心とは、

順が間違っている 乱れている といふことでもございます。


そのような状態にてゴシンジンなされば、

どのようなこととなり、みちはじめみつようになるでございましょうか。

また、どのような行動、行為をすることとなりましょうか?



恐縮ながら、これは初歩の初歩でございまするが、

取違ひならん大切事でございますゆえ失礼致します。



御読みくださりありがとうございました。喜拝

かむながらたまちはへませ いやさかましませ




――― ここまで ――――