モラル・ハラスメントについての参考資料
解説を含めお読みください。
(*“大人と言われている人たち”を子供は真似をするのです。無論そのような心無い社会のトップ、リーダーの真似も人々はするでしょう)
当ブログ『いろは』のエントリーと合わせて必読の内容でございます。
また、対象を非人間化するやり方も転載しておりますのでこれもお読みください
つまり心(霊)の問題なのでございます。
心がないから、心の無い行為、行動をする。
心を中心としないから、ワレヨシを中心とした行為、行動をするのでございます。
(ただそれだけでなくこの世とは“霊があり肉”がある)
これらの事案等はあほなコトを打たせていただきますが、立体的(神霊肉)に状況認識しないならば解決しない(拡大強調)のでございます。
田舎 拝
<引用ここから>
加害者がこのように考えたり行動したりするのは、加害者の感覚が麻痺しているからである。感覚が麻痺しているせいで、モラル・ハラスメントの加害者は苦しみという感覚をもたない。また、道徳に反する行為をすることをためらわない(道徳家のふりをすることがあっても、モラル・ハラスメントの加害者は決して道徳的な人間ではない。むしろ、道徳や社会の決まりを破ることに喜びを覚えたりする)。そして、このことは加害者が相手を攻撃するときに何よりの武器となる。というのも、攻撃を受けた相手のほうは、同じようにモラル・ハラスメント的な行為で防衛手段を講じようとしても、道徳に反することはできないことか、相手を傷つけるのは嫌だという気持ちから、思い切ったことができないからだ(また、加害者のほうもそのような相手を被害者に選んでいる。もしそんな防衛手段がとれるなら、相手は被害者にはならず、攻撃を受けることもなかっただろう)。
(中略)
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いつの時代にも良心を欠き、打算的に人を操って、目的のためには手段を選ばないという人間はいたはずである。だが、家族や企業のなかでモラル・ハラスメントが増加しているという現在の状況は、私たちの社会を支配する個人主義が行きすぎてしまっていることを示すひとつの証拠に思えてならない。強いものが(注釈:心無い人) 、そして抜け目のないものが勝つというシステムのなかでは、モラル・ハラスメントの加害者になるような人間ーーすなわち<自己愛的な変質者>が権力を握ることになるのだ。実際、成功だけが人生の価値を決めるのであれば、誠実さは弱気のしるしと見え、平気で人を傷つけることは能力の証しのように見えるだろう。
西洋の社会では個人の自由を尊重するという理由から、<モラル・ハラスメント的な行為>を禁じることをあきらめてきた。だが、被害者がそうであったように、こういった行為を受け入れすぎたことによって、いまや社会そのものが<モラル・ハラスメント的な機能>を持つようになってきている。社会の指導者である多くの政治家たちは、青少年の模範となるべき立場であるにもかかわらず、ライバルを蹴落とし、権力を維持するためであれば、良心を捨てることさえいとわない。ある者たちは特権を濫用し、私益を守るためだけに心理的な圧力を用い、<国家的理由>や<防衛機密>などを口実に自分に都合のよいことをする。また別の者たちは税金をごまかしたり、社会的な財産を不当に流用することによって私腹を肥やす。汚職はどこにでもあるような現象になってしまったのだ。そういった状況で、ある集団や企業、あるいは政府が<モラル・ハラスメント的>になるためには、そのなかに数人の<モラル・ハラスメント的な人間>がいれば十分である。もしそこで行われる<モラル・ハラスメント的な行為>が告発されなければ、それは恐怖や威嚇、人心操作など、目に見えない形で広がっていくからだ。実際、誰かを心理的に縛りつけようと思ったら、その誰かを脅したり、腐敗させたりして、<モラル・ハラスメント>の共犯者にしてやればよい。マフィアや全体主義の国家で行われているのはそういうことだ。家族でも企業でも政府のなかでも、<自己愛的な変質者>は自分たちがもたらした不幸を他人のせいにし、自分たちの方は救い主のような顔して権力握る—そのあとは、権力を維持していくのに、ただ良心を捨てればよい。こういった人々は自分たちの過ちを認めず、責任を引き受けない。そうして、自分たちの悪事の痕跡を消すために、現実を歪めたり、操作したりするのだ。それは歴史が証明している。
いっぽう、個人的なモラル・ハラスメントの背景にはより一般的な問題がある。私たちはその問題について考えなければならない。すなわち、どうやったら個人がお互いに尊重できる社会をつくることができるのか? 社会はどこまでモラル・ハラスメントを許してよいのか? そういった問題である。
もし個人が自分の力だけでモラル・ハラスメントを阻止できないのであれば、それに介入する法律を社会が制定する必要がある。それに関して言えば、最近、新しい法案が議会に提出された。学校などで見られる新入生いじめを禁止して、人を傷つけたり、辱めたりする行為を抑制しようという法案である。もしすべての人間関係が法律で規定されるのを望まないのであれば、このようにモラル・ハラスメントに足して子供の頃から予防措置をとることが大切である。
『モラル・ハラスメント 人を傷つけずにはいられない』より
マリー=フランス・イルゴイエンヌ 高野優[訳]
<引用ここまで>
解説 町沢静夫
日本ではモラル・ハラスメントがフランスよりもよくみられるものと考えられる。つまり日本には「村八分」という現象があり、その村の主たる集団に入らなければ排除される。このようなことは日本の学校でのいじめ現象、あるいは会社でのいじめ現象、いや、あらゆる場でのいじめ現象にみられる。特に政治家などがこのような村八分現象を顕著に利用しているものである。そしてこのいじめの頂点に立っている人とは、自己愛的変質者であると同時に権力欲、愛情欲求がきわめて強いことが多い。自己中心性もまた強いものである。このような人は人への共感性が顕著に低い。つまり共感がなければないほど簡単に自己決定でき、人を支配し、人を罵倒し、そして罵倒することによって一層彼らを自分の身に引きつけるのである。このような人たちの周辺にいるのは、確かに本書で示されているように、従順で真面目で几帳面で、やや小心な人たちが多い。彼らは指導力が乏しいために、指導力の傘が欲しくて、あえてこのような自己愛的変質者の支配下にいることが多い。しかしそれによって心が破壊されるほどに大きな被害を受けることは、日常よくみかけるものである。
さきほども述べた政治家というのは、いわばこのモラル・ハラスメントの頂点に立っている人が多い。たて前ばかりで冷たく、人を愛するかと思えば拒否し、そのきまぐれによって相手を翻弄し、そして彼らの頂点に立っているのである。それは子どもの世界でもいえることである。いじめながら、いじめ抜くことによって相手に逃げることを許さず、わずかな誉め言葉でつなぎ止め、そしてまた彼らに自分への賞賛を要求するのである。
このようなモラル・ハラスメントは日本のどこにでもみられるとするならば、本書で示されたフランスのモラル・ハラスメントは日本にこそあるものであり、そして分析されねばならないものと考えられる。しかし多くの日本人は、このようなモラル・ハラスメントというものを当然のものとして心得、それをうまくくぐり抜けることにやっきになっているものである。そしてこれをくぐりぬける技術を心得た人が、学校や会社でうまく生き残る人たちなのである。となれば、モラル・ハラスメントの問題は、日本人の生き方を考えるにきわめて重要なものだと考えられる。
(中略)
その人固有の人権と自由を尊重する民主主義というものが徹底されていないところでは、どうしてモラル・ハラスメントが解決されようが、教科書的に言うならば、あるいは法律的に言うならば、民主主義はゆうに成立しているにもかかわらず、日常の我々は民主主義などというものとは無縁なところで生き方を模索して生きているのである。
(中略)
この種の問題を、フランスのマリー=フランス・イルゴイエンヌが指摘し、それをセクシャル・ハラスメントをも含む形で取り上げたことはきわめて進歩的で刺激的であり、本書が翻訳され、日本に紹介されることによって、多くの人が単なるセクシャル・ハラスメントに注目するだけでなく、モラル・ハラスメントというものが本質的に民主主義のあり方と結びつき、その民主主義こそ我々が身につけなければいけない生き方であることに気づくに違いない。そのことを本書から十分に汲み取れると同時に、それがまた日本人の意識の中に広がることを期待したいと思っている。
<引用ここまで>
<転載ここから>
冬の兵士
ジェフ・ミラード
人種差別と戦争:
敵を非人間化する
(2)
訳
川井孝子 /
TUP冬の兵士プロジェクト
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今こそ魂が問われる時である。夏の兵士と日和見愛国者たちは、この危機を前に身をすくませ、祖国への奉仕から遠のくだろう。しかし、いま立ち向かう者たちこそ、人びとの愛と感謝を受ける資格を得る。
トマス・ペイン、小冊子「アメリカの危機」第1号冒頭
1776年12月
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メリーランド州シルバースプリング公聴会
2008年3月13〜16日
ジェフ・ミラードです。反戦イラク帰還兵の会のワシントンDC支部長をしています。ニューヨーク州の陸軍州兵部隊に9年間所属していました。そのうち13ヶ月は軍曹として「イラクの自由作戦」に参加しています。この間の主な駐屯地はスペイサー前進作戦基地でした。軍務期間の終わり、つまり軍隊でのキャリアの終わりの9ヶ月間は無許可離隊の状態になっていました。軍から名誉除隊の通知が届いたのは2007年5月です。
9/11事件以降に軍隊にいた者、特に9/11事件以降に戦地に派遣された兵士の間では周知の事実ですが、軍では人を非人間化するために「ハジ」という言葉を使います[ハジは本来はメッカ巡礼を終えたイスラム教徒を意味する]。イラク人やアフガニスタン人にかぎらず、ともかくこちらと違う人間はハジと呼ぶのです。
ハジの店で、ハジの店員から、ハジのDVDを買う。洗濯係をしていたKBR社[アメリカの民間軍事企業ケロッグ・ブラウン・アンド・ルート]の従業員はパキスタン人でしたが、ハジと呼ばれていました。食堂で働いていたKBRの従業員たちもハジです。米軍の兵士でない者はだれでもハジと呼ばれる。人じゃない。名前じゃない。ただハジなんです。特に白人以外の仲間がこの言葉を使うことが多くて、私はショックを受けていました。どうしてハジという言葉を使うのか、部隊の仲間に聞いてみたものです。でもたいていは同じ答えが返ってきました。
「ただのハジだろ。どうだっていいじゃないか」
ハジという呼び方は、私のような下っ端の軍曹レベルからずっと上の中佐まで、部隊のあらゆる階級で使われていました。実際に耳にしたなかで、この言葉を使っていた最も地位の高い将校は、私がイラクに派遣されていたときに高司令官だったケーシー将軍でした。私が所属していたのはスペイサー前進作戦基地の第42歩兵師団後方作戦センターですが、部隊がケーシー将軍に状況報告をしたとき、将軍がイラクの人たちのことをハジとよぶのを何回か聞いています。
この言葉は、将官のレベルでも何人も使っていました。直属の上官だったサリバン准将も、第42歩兵師団指揮官のタルト中将も、イラク人のことをハジと呼んでいた。こういうことは上から始まるものです。下からじゃない。[拍手]
皆さんにぜひ聞いてもらいたいことがあります。派遣期間中、おぞましい経験は何回かありましたが、そのひとつです。今でも忘れることができません。あれは2005年の夏の初めごろ、私が状況報告をした会でのことです。
イラクやアフガニスタンに派遣された兵士はみな同じような感覚を持つようになるんですが、1年が1ヶ月に、1ヶ月が1日に、1日が1秒になります。その1秒が繰り返される。何度も何度も何度も現れるんです。派遣期間中だけでなく、
その後の人生ずっとです。だから、正確な日付がわかればいいのですけど、あいにくその日も1秒になってしまっています。その1秒がいつまでも繰り返し意識に戻ってきます。
2005年初夏のその日、第42歩兵師団の作戦地域に設けられた交通管制地点で銃撃がありました。イラクでは、交通管制地点での銃撃は珍しくはありません。
ほとんど毎日のように起こります。その日は、交通管制地点にスピードを出して向かってくる車があったのです。機関銃の射手を務めていた兵士が瞬時にこの車両を脅威と判断して、50口径の弾丸200発を撃ち込みました。1分もかからなかった。この若い兵士が殺したのは、母親、父親、そして子どもが2人。男の子は4歳、女の子は3歳でした。
その日の夕方、将軍に対する状況報告会に私も出席していました。担当官がこの事件について顔色も変えずに説明しました。すると、第42歩兵師団で後方支援司令部の司令官だったロシェル大佐が、その場にいた師団全員の方にくるりと椅子を向けてこう言ったんです。
「ハジの馬鹿どもが運転の仕方を知っていたら、こんなクソみたいなことにはならなかったのにな」
私は作戦センターを見回しました。いるのは将校や下士官たち、ほとんどが上官です。軍曹の私はその部屋で一番下の階級だったでしょう。ところが、だれも大佐の言葉に抗議するそぶりは見せませんでした。納得いかない様子で首をかしげる人さえ、一人もいなかった。全員が大佐の言うとおりだと思っていたんです。ハジの馬鹿どもが運転の仕方を知っていたら、こんなクソみたいなことにはならなかったんだと。信じられませんでした。でも本当にあったことです。このことが派遣期間中ずっと頭を離れませんでした。
「ハジ」という言葉が聞こえるたびにあたりを見回しました。そしてあの事件をこれから一生背負っていくことになる射撃手のことを考えました。あの日血筋が絶たれてしまったイラク人家族4人のことを考えました。そんなこと、ロシェル大佐はこれっぽっちも考えないでしょう。人種差別と非人間化にすっかり染まっているのですから。人種差別と非人間化は、この戦争の最高司令官であるブッシュ大統領から始まって命令系統の一番下まで、組織の隅々に浸透しているのです。[拍手]
他のパネリストの皆さん、それから「冬の兵士:イラクとアフガニスタン──占領を目撃した兵士の証言」プロジェクトを通じて公には伝えられないけれど、
証言を寄せてくれた皆さん、あるいは申し出てくれた皆さん、一人ひとりにお礼を言いたいと思います。アメリカの歴史の中でも最高の愛国者である皆さんと、この壇上でご一緒することができて本当に光栄でした。軍服を着ていたときにも、これほど大きな誇りを感じたことはありません。ありがとうございました。
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凡例:
[ ]は訳文の補助語句。
<転載ここまで>
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