四あの巻

(三二一)

イシはイにかへるぞ。一(ヒ)であるぞ。 (ム)であるぞ。井であるぞ。イーであるぞ。であるぞ。であるぞ。キと働くのざぞ。わかりたか。今までは悪の世でありたから、己殺して他人助けることは、此の上もない天の一番の教といたしてゐたが、それは悪の天の教であるぞ。己を活かし他人(ひと)も活かすのが天の道ざぞ、神の御心ぞ。他人殺して己助かるも悪ぞ、己殺して他人助けるも悪ぞ、神無きものにして人 民生きるも悪ぞ。神ばかり大切にして人民放っておくのも悪ぞ。神人ともにと申してあろが。神は人に依り神となり、人は神によって人となるのざぞ。まことの 神のおん心わかりたか。今までの教へ間違っていること段々判りて来るであろがな。天地和合してとなった姿が神の姿ざぞ。御心(みこころ)ざぞ。天(あめ)と地(つち)ではないぞ。あめつちざぞ。あめつちの時と知らしてあろうが、みな取違ひ申して済むまいが。神示よく読めと、裏の裏まで読めと申してあろが。七月の二十一日、あめのひつぐのかみ。


註釈:『 (ム)であるぞ。』空白文字、ルビで(ム)


――― ここから ――――


まず帖は“四あけの巻の一帖”でございます。

そして三二一

ここを注目してください。


現在“このようにひふみ神示にあるのが”今のカタチでございます。


ゝ茲は三段階以上で


一)イシとは(一四)は一(イ・五)にかへる。

ゆえに真中“四一”(五)(霊主体従)。

一(ヒ)。ム(ムウ、奥では三角△)

井(数霊七二、五。右記を参照『西洋数霊盤について』『数霊盤について』


二)細かく打ちますとイシ(一四、一四一四<地の動きから天の動きとなったといふ意>、意志とも他帖にもございます。一四は合わせて五、また数霊盤の真中の数、“真中一”と“動き四”)、一霊四魂(霊にかるレイ、〇、ム)天と地ではなく不二であり“天地”という意(イ)。


三)さらに平易に打たせていただきます(様々な情報がございますが茲ではあほになっていただきたい)。イは一(ヒ)でありヒ(日)であり“霊”(レイ、〇)でありム(△)である(ウは△。ムだけもならずムウ)。井(イ)は数霊シンボルを御覧ください。キと働いてイキとなり円の働きとなる。

天地和合が御心というワケでございます(ただ順序があります。神が上、人が下等々)。

(天だけでもならず、地だけでもならず、己だけでもならず、他だけでもならず、神だけでもならず、人だけでもならず、天地であり、自他ともにうれしうれしであり、“神人”である


他にも示唆といたしましてこれも置いておきます。

思惟(シイ: つながりを観る事、ある意味“かへる”というコト。惟々)にも通じカムにも通じる惟神(カムナガラ)。カンナガラとも読みますが茲では神示祝詞等での言霊を使っております。ンウは『アイウエオのりと』を御覧ください。

*星座之巻第十九帖も御覧ください



この“イ”は他にも


<引用ここから>

"過去、斐伊川上流域では砂鉄を採取するための「鉋流し(かんなながし)」が盛んに行われ、これにより下流域では大量の土砂が堆積し、天井川となり、度々洪水に見舞われました。

<引用ここまで>


斐伊川(“ヒイカワ)は色々と意味があり、また神話に関係しておりますが情報のみで割愛し。

ヒイー(息吹、イ吹、言霊)

〇の中にヒ(井、一、イ)。(霊主体従、順序、和)


イシキとイキ(息)

キと働く(神心、御心、五心、あめつち)


『己を活かし他を活かす』ということでございます。

その“天の道”を説いている帖。

そしてイキ。動きあるがゆえに円となる。


つまり和合とは“天”と“地”ではなく『あめつち』であります(『天地(てんち)不二、神人合一。天(あめ)は地(つち)なり、地(つち)は天(あめ)なり、不二(ふじ)なり、アメツチなり、神は人なり、人は神なり、一体なり、神人なり。(ア火ハの巻 第三帖)』)。




――― ここから次の帖 ――――


四あけの巻 第帖(三三〇)

元津大神、心の中で唱へ奉り、スメラミコト唱へ、次に声高く天津日嗣皇ミコト大神唱へ、天のひつくの大神と唱へ奉れ。タマの宮は、かむながら祝詞でよい ぞ。一二三(ひふみ)のりともよいぞ、シメは当分造りめぐらしてもよいぞ。今までのシメは此の方等しめて、悪の自由にする逆のシメざから、シメ張るなら、 元のシメ、誠のシメ張れよ。七五三は逆ざぞ。三五七ざぞ。天地のいぶきぞ。波の律ぞ。風の律ぞ。神々様のおんいぶきの律(なみ)ざぞ。八月の六日、アメの ひつ九の神。


――― ここから ――――


逆のシメとは順序が逆ということでございます。

まずは一があり二となり三となる。

ゆえに天地(あまつち)の息吹とはヒフミとなり、三五七なのでございます。



――― ここから関係帖 ――――


黒鉄の巻 第二十一帖



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四あけ夜明けの巻 第十三帖(三三三)

 あら楽し、すがすがし、世は朝晴れたり、昼晴れたり、夜も晴れたり。あらたのし、すがすがし、世は岩戸明けたり、待ちに待ちし岩戸開けたり、此の神示の臣民と云ふても、人間界ばかりでないぞ。神界幽界のことも言ふて知らしてあると、申してあろが。取違ひ慢心一等恐いと申してあろが。祭典(まつり)、国民服もんぺでもよいぞ。天明まつりの真似するでないぞ。役員まつりせい。何も云ふでないぞ。言ふてよい時は知らすぞよ、判りたか。仕へる者無き宮、産土様の横下にいくら祀ってもよいぞ。天明は祈れ。祈れ。天に祈れ、地に祈れ、引潮の時引けよ。満潮の時進めよ。大難小難にと役員も祈れよ。口先ばかりでなく、誠祈れよ。祈らなならんぞ。口先ばかりでは悪となるぞ。わかりたか。今度は借銭済(な)しになるまでやめんから、誰によらず借銭無くなるまで苦し行せなならんぞ、借銭なしでないと、おの上には住めん事に今度はなるぞ。イシの人と、キの人と、ヒの人と、ミヅの人と、できるぞ。今にチリチリバラバラに一時はなるのであるから、その覚悟よいか。毎度知らしてあること忘れるなよ。神示腹の腹底まで浸むまで読んで下されよ。神頼むぞ。悟った方神示とけよ。といて聞かせよ。役員皆とけよ。信ずる者皆人に知らしてやれよ。神示読んで嬉しかったら、知らしてやれと申してあらうが。天明は神示書かす役ぞ。アホになれと申してあろが、ま だまだぞ、役員気付けて呉れよ。神示の代りにミ身に知らすと申してある時来たぞ。愈々の時ぞ。神示で知らすことのはじめは済みたぞ。実身掃除せよ。ミ身に知らすぞ。実身に聞かすぞ、聞かな聞く様にして知らすぞ。つらいなれど、がまんせよ。ゆめゆめ利功出すでないぞ。判りたか、百姓にもなれ、大工にもなれ、絵描(かき)にもなれ。何にでもなれる様にしてあるでないか。役員も同様ぞ。まどゐつくるでないぞ、金とるでないぞ。神に供へられたものはみな分けて、喜ばしてやれと申してあろが。此の方喜ぶこと好きぞ、好きの事栄えるぞ。いや栄へるぞ。信者つくるでないぞ。道伝へなならんぞ。取違へせん様に慢心せん様に、生れ赤児の心で神示読めよ。神示いただけよ。日本の臣民皆勇む様、祈りて呉れよ。世界の人民皆よろこぶ世が来る様祈りて呉れよ、てんし様まつれよ。みことに服(まつ)ろへよ。このこと出来れば他に何も判らんでも、峠越せるぞ。御民いのち捨てて生命に生きよ。「鳥鳴く声す夢さませ、見よあけ渡るひむかしを、空色晴れて沖つ辺に、千船行きかふ靄の裡。」「いろは、にほへとち、りぬるをわかよ、たれそ、つねならむ、うゐのおくやま、けふこ、えてあさき、ゆめみしゑひもせすん。」 

 「アオウエイ。カコクケキ。サソスセシ。タトツテチ。ナノヌネニ。ハホフヘヒ。マモムメミ。ヤヨユエイ。ラロルレリ。ワヲウヱヰ。」 

 アイウエオ。ヤイユエヨ。ワヰヱヲ。カキクケコ。サシスセソ。タチツテト。ナニヌネノ。ハヒフヘホ。マミムメモ。ヤイユエヨ。ラリルレロ。ワヰウヱヲ。 五十九柱ぞ。此の巻夜明けの巻とせよ。この十二の巻よく腹に入れておけば何でも判るぞ。無事に峠越せるぞ。判らん事は自分で伺へよ。それぞれにとれるぞ。天津日嗣皇尊(あま つひつぎすめらみこと)弥栄(やさか)いや栄(さか)。あら楽(たの)し、あら楽し、あなさやけ、あなさやけ、おけ。        

 一二三四五六七八九十百千卍(ひふみよいつむゆななやここのたりももちよろず)。

 秋満つ日に、アメのひつ九かみしるす。

(夜明けの巻了)


――― ここから ――――


時期がきましたの(開け)でこれを置いておきます。


四あけ”の巻。

(このサイトの更新前後帖も偶然ではありません)

まずは初心に立ち返る。

皆様はナニが目的でこのひふみ神示に関わっているのか?

肉欲を“満たす”為でしょうか。

ワレヨシ?カネ?名誉?

いったい今、ナニを中心としておられるのか。



そして、それぞれが尊い御役目。(分け隔てなく一致和合)

それぞれの御用があるのでございます。


此の神示の臣民と云ふても、人間界ばかりでないぞ。神界幽界のことも言ふて知らしてあると、申してあろが。


三千世界の神示でございます。


五十九柱ぞ。

かえして九十五。


今回の“この帖”はひふみ神示に御縁のある“色々(一六一六)”な方々にお云えするコト、イミがあり打たせていただいております。(恐縮でございます)

神示とは学も大切でございますが学ではございません。

ゆえに今までひふみ神示は説け(解け)なかったのです。

(まだまだ火水はございますが)


ナニがあると神示は分からせてもらえるのでしょうか。

神心(御心、五心)に適う。

うまれ赤子のような心であほになり感謝感謝で“神(歓喜)を中心”にし、十善(道理)を基に神示を読み和(十、ワ)を持って実践。

(道理に適わないならば、道理のない土台となりますゆえに間違った解釈となる。当たり前でございましょう)

掃除洗濯をしてはじめて教えていただけると存じます。



ミ身に知らすぞ。実身に聞かすぞ


この帖は三三三。

ミ身”でございます(さらにこの帖全体、“今の状況”を合わせ奥(13)をご覧ください)”。


教訓といたしまして関係帖も含め置いておきます。
(云うてはならず云わなくてはならず)

お読みくださりありがとうございました。



――― 関係帖 ――――


下つ巻 第十七帖(五九)

天つ巻 第二十六帖(一三三)

マツリの巻 第帖(四一二)

マツリの巻 第一七帖(四二一)

アメの巻 第十帖(三四九)

ア火ハの巻 第帖(四七〇)

ア火ハの巻 第帖(四七四)


ソラの巻 第十三帖(四六八)

 我が勝手に解訳してお話して神の名汚さん様にしてくれよ、曇りた心で伝へると、曇りて来る位 判って居ろがな、神示通りに説けと申してあろが、忘れてならんぞ。


極め巻 第

天明は神示うつす役、書かす御役。


月光之巻 第五十三帖

 これほどことわけて申しても得心出来ないのならば得心の行くまで思ふまにやりて見なされよ。そなたは神の中にゐるのであるから、いくらあばれ廻っても神の外には出られん。死んでも神の中にゐるのであるぞ。思ふさまやりて見て、早う得心改心いたされよ。回心して仕事嘉言と仕へまつれよ。結構ぢゃなあ。そなたは自分は悪くないが周囲がよくないのだ、自分は正しい信仰をしてゐるのだから、家族も知友も反対する理由はない、自分は正しいが他が正しくないのだから、正しくない方が正しい方へ従って来るべきだと申しているが、内にあるから外から近よるのだと申してあろうが。そなたは無低坑主義が平和の基だと申して、右の頬を打たれたら左の頬をさし出して御座るなれど、それは真の無抵坑ではないぞ。よく聞きなされ、打たれるようなものをそなたがもってゐるからこそ、打たれる結果となるのぢゃ。まことに磨けたら、まことに相手を愛してゐたならば、打たれるような雰囲気は生れないのであるぞ。頬をうたれて下さるなよ。生れ赤児見よと知らしてあろうが。



――― ここまで ――――