紫金之巻
第三帖
伊豆幣帛(ぬさ)を 都幣帛(とぬさ)に結び 岩戸ひらきてし。 ウヨウヨしてゐる霊かかりにまだ、だまされて御座る人民多いのう、何と申したら判るのであるか、奇跡を求めたり、われよしのおかげを求めたり、下級な動物のイレモノとなってゐるから、囚われてゐるから、だまされるのぢや、霊媒の行ひをよく見ればすぐ判るでないか。早うめさめよ、因縁とは申しながら、かあいそうなからくどう申して聞かせてゐるのであるぞ、マコトの道にかへれよ、マコトとは
一二三四五六七八九十と申してあろう、そのうらは十九八七六五四三二一
で、合せて二十二であるぞ、二二が真理と知らしてあろう、二二が富士(不二・普字)と申してあろうが、まだ判らんか。
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古語もお調べください。
恐縮ながら皆様。
『まことの道』とは何でございましょうか。
『まことの道にかへれよ』とは具体的にどのように「かへれ」と御神示は仰っているのでございましょうか。
また大変恐縮ながら、まことにかえっておられますでしょうか。
この帖も大変貴重な御言葉。
感謝感謝の御神示でございます。
それでは皆様、この帖に合わせて御伝えさせていただきますが、御神示で警告されております、いわゆる悪霊そのものである邪霊集団、泥棒集団は“各々の意識”にすら盗み入ってきます。
警告させていただきますが、喩えではございません。
そのようなモノが現実におり、巧妙に人々を騙(だま)し操(あやつ)ってきました。
ハラから御知りの御方は、さらに一歩二歩とその先がナニにツナガルのか辿ってみてくださいませ。
逃避(とうひ)の果てのなれの果て、呆れるばかりの不毛な目論みが透けて観得ますでしょう。
当帖にもございますが、御信奉なさっている皆様方は「だまされる」といふ単語が御神示に数多くある事に御気付きだと存じます。
一つのイミとしまして、こやつらは悪霊そのままに盗み入り惑わし、御自身(貴方)を騙すように仕向けます。
そして悪霊自身は困った事に自身を悪と思うておりません。
正体はかへりみることから逃げている、ただの臆病者(おくびょうもの)であるのでございますが、盗み騙し悪事を働いているのにもかかわらず、まるで正神側のようにも思い込んでいる。
巧妙に口から悪霊を吐き出し、誑(たぶら)かし乗っ取り、偽宗教蔓延り結果このような御恩知らずな世となっています。
つまり現在まで、御言が盗まれていたといふことでもございます。
もうこれに対処できるのは、マコトの御実践をなさっておられる御縁ある信奉者様方しかおりません。
今後におきまして、とても大切でございますゆえ、何卒ふくみも含めまして立体的によくよく噛み砕いてくださいませ。
この御恩知らずの裏切り者、人外、つまり外道らを観ますと、己が己に騙されています。
それらを巧妙に動かしてきた、その裏、さらに詰まりがございます。
騙されてるものの意識を観ますと、ただの逃避行動だと分かります。
数々の悪事・悪業に手に染めてきましたから、かへりみるという御柱がこわくてこわくて仕方ない。
こわいから、かへりみる事から逃げているのでございます。
逃げに逃げておりますゆえ、はぢいる事がなく、くゆる事がなく、おそる事がない。
当然正しくさとるコトがないのでございますから、さらに御自分を誤魔化し、意識を自分以外の外(他)に向けようと逃げます。
弱いものをイジメル逃避行動や悪事を行い、さらに加担することで、己を騙し逃げているのでございます。
その先のとどの詰まりは、他の苦しみ等を自然に起こったかのように演出し、それをよろこべるハラワタにまで腐り切る。
御縁ある神国の御民の皆様方はそのようにならない為にも日々御気をつけ、まことの御実践をうれしうれし無理なく御広めくださいませ。
皆様、霊肉十善に内外ともに照らし合わせサニワなさってください。
御神・仏すらも裏切っている、そのようなモノを放置し賛美している状態化の世界だとハラから御知りくださると存じます。
行けども行けどもナニ許りでございましょうか。
さらに己からわざわざ目隠しをなさり、耳を塞ぎ、口を閉じ、足元すら見えない輩が、猛々(たけだけ)しくいったいドコにふらふらと引き連れ行かれるのでございましょうか。
日本は真中、神国であり元にかへらなければなりません。
もはや選択肢がそれしかないことも御気づかれていると存じております。
御神が主であり、うれしうれし霊主体従・天地不二・神人合一。
これが当たり前なのでございます。
そしてこの世は日々つみい積もる世。
ですから、当たり前に日々御恩を御知り立体真中を御知り、うれしうれし御潔斎をなさらないとならないのでございます。
なさらないならば、われよし身慾の為には他がどうなってよい、心無く金に魂を売った外道らが鼻高々に闊歩(かっぽ)する、さらにその子らが狂いに狂った御恩知らずの呆れた世となり果てます。
己が邪霊・泥棒集団と自覚しないように逃げ、自分を騙し、周りも欺(あざむ)き騙し,
逃げに逃げ人々を迫害しておる始末ともなります。
現代風では、狂いに狂ったモノが国民の為の情報機関でございますメディアすらも盗み、愚民化マインドコントロールを行い、さらには神・仏を平然と裏切れる無思考洗脳が日々行われている不毛な心無い世界となります。
さすれば、本来無い地獄をわざわざ作り出し、我々が苦しむ事になるのでございます。
そのような側面からも、日々御潔斎なさることは、当たり前に身体を洗うのと同じく、御自分、御家族、神の国を守る事にも繋がるのでございます。
恐縮ながら、心身ともに内外とうれしうれし清潔に御保ちくださいませ。
『祭るには先づ掃除せねばならんぞ、掃除すれば誰にでも神かかるやうに、日本の臣民なりて居るぞ、神州清潔の民とは掃除してキレイになった臣民のことぞ。』
日々改心初心。
日々信者の実践のこと三大実践主義を真摯に無理なく御貫き通し下さいませ。
カイ之御用も忘れずに願いまする。
御読みくださりありがとうございました。喜拝
かむながらたまちはへませ いやさかましませ
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紫金之巻第八帖
千引岩 今ぞあけたり 爽し富士はも。 神は宇宙をつくり給はずと申して聞かせてあろうが、このことよく考へて、よく理解して下されよ、大切なわかれ道で御座るぞ。福はらひも併せて行はねばならん道理。光は中からぢや、岩戸は中からひらかれるのぢや、ウシトラがひらかれてウシトラコンジンがお出ましぞ、もうよこしまのものの住む一寸の土地もなくなったのぞ。
――― ここから ――――
結び松。
まず、御神示は“禁欲”を説かれておりません事は御承知と存じます。
そこをおさえ、ここで仰られている「福はらひ」とはいったい何でございましょうか。
「福」とは古語におきましても「さいわい。幸福」の事でございます。
『掴める所から掴んで行けよ。拝んで行けよ。統一した幸福こそ、二二(フジ)晴れの幸福ぞ。(黒鉄の巻 第五帖)』
上帖から得心されますでしょうか。
つまり“当帖の福”とは“マコトではない”といふ事でございます。
恐縮ながら、ここも未だに騙されているものもおります。
ひふみ神示を、ある不毛な悪事・身慾・目論みの為、悪用しているスコタンもおる始末。
誠に恐縮ながら、よくよく噛み御五柱御十柱に照らし「かへりみて」元の道を御実践くださいませ。
念をおし当帖は、“悪神の仕組の一つ”をも警告されているのでございます。
悪気・一方的から離れ、霊主体従を治り、悪神の守護から離れて(祓って)くだされよ。
マコトに霊肉潔斎をしてくだされよ。
といふことでございましょう。
ハラで御実感なさっている御方は、額でピンと得心なさると存じまする。
泥棒集団の遣り方をも、御光をあて警告なさっておられます。
このモノらがもたらす福とは、無論福ではございません。
何卒、妄想邪念にみちた外道、獣と云われるものと契約をなさらぬようにはらひ願います。
このように恐縮ながら、御神示は【ふくみ】があり裏の裏もございますが、明らかに先の先を照らし見通しておられます。
ありがたく開かせていただきましたが、マコトに霊肉うれしうれしムすび、統一した幸福を掴み得て、益々大道を悠々御進みくださいませ。
恐縮ながら重ねて御潔斎をなさり、ハラで御読みくだされば得心なさると存じます。
関係帖と併せて、よくよく噛んで消化願います。
・天皇について
ある情報をいただき、尊大不遜なる邪霊集団に悪用されぬように恐縮ながら前もって御伝えさせていただきます。
表現が難しく存じますが、天皇とは“現代の云ふ所の皇帝ではありません”。
平面的な“支配者”でもございません。
無論、辞書にも載ってはおりませぬが“天皇”とは一体どのような存在なのか、マコトに御実践・御潔斎をなさり御神示を拝読くださいませ。
残念ながら、この基本すら一方的に御理解すらできない洗脳されたスコタンがもしおられるならば、「そのものらはナニを意図しているのか?」ハラで御覧下さいませ。
真中はマコトの(テン)、ムでございましょうに。
日本は霊主体従、御恩を治(し)る、うれしうれしマコトの神国でございます。
もはや、それしか選択肢がないのでございます。
『天地(てんち)不二、神人合一。天(あめ)は地(つち)なり、地(つち)は天(あめ)なり、不二(ふじ)なり、アメツチなり、神は人なり、人は神なり、一体なり、神人なり。神、幽、現、を通じ、過、現、末、を一貫して神と人との大和合、霊界と現界との大和合をなし、現、幽、神、一体大和楽の光の国実現を以って教旨とせよ。(ア火ハの巻 第三帖)』
御読みくださりありがとうございました。喜拝
かむながらたまちはへませ いやさかましませ
『判る様な守護は低い神の守護ざぞ、悪神の守護ざぞ、悪神の守護でも大将の守護ともなれば人民には判らんのざぞ、心せよ、(アメの巻 第十六帖)』
『これまで世に出ておいでになる守護じん九分九厘迄
天の賊ぞ。(キの巻 第十三帖)』
『楽してよい御用しようと思ふてゐるのは悪の守護神に使はれてゐるのざぞ。(カゼの巻 第十三帖)』
『“銭儲けて口さへすごして行けばよい様に今の臣民まだ思ってゐる”が、それは四つ足の四つの悪の守護である位
判りておろがな。(アメの巻 第十一帖)』
『てん詞(し)様よくならんうちは、誰によらん、よくなりはせんぞ、この位のことなぜにわからんのぢゃ、よくなったと見えたら、それは悪の守護となったのぢゃ。(カゼの巻 第九帖)』
――― 関連帖 ――――
松の巻 第六帖
紫金の巻 第十一帖
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紫金之巻第十二帖
ヨコの十の動きがクラゲナスタダヨヘルであり、タテの十の動きがウマシア
シカビヒコジであるぞ、十と十と交わり和して百となり九十九と動くのぞ。過去も未来も霊界にはない、「今」があるのみ、これを中今(ナカイマ)と申すぞよ。竜宮の乙姫殿、日の出の神殿、岩の神殿、荒の神殿、風の神殿、雨の神殿、暗劒殿、地震の神殿、金神殿の九柱なり、総大将は国常立大神なり、このこと判りて下されよ、教はなくなるぞ、元の道が光り輝くぞ、これを惟神の道と申すぞ。
――― ここから ――――
タリタル(十十)。
(ひふみ祝詞をご覧ください)
ゆえに百。
“ここの百”について白(九十九)、
そして一(これはヒ)。
真中は動かず。ゆえに九十九と動く。
もう少し細かく打たせていただきますと『クラゲナスタダヨヘル(海月(水母)なす漂へる)』も十文字であり海月(くらげ)、水母(くらげ)で『海、月、水、母』も示唆しております。つまり横動き等も示唆している。このクラゲにも他にも意味する言葉(由来、古事記等々奥)がございます。
あとはこちらをご覧ください。
――― ここまで ――――
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