マツリの巻

第五帖(四〇九)

 肉体先づ苦しめたら、今度その守護神にはそれだけの見せしめせなならんことになってゐるのざぞ。神がかりでまだ世界の事何でも判ると思ふてゐる人民気の毒出来るぞ。八百八光の金神殿、愈々にかかりなされたぞ。出雲の大神様此世かまひなさる大神様なり、其の処得ないもの、人民ばかりでないぞ、三千世界の迷ふミタマに所得さして嬉し嬉しにまつりてやれよ、コトで慰め弥栄へしめよ、コトまつりて神の列(つら)に入らしめよ。その国々ぞ、あたまあたまで、まつり結構ぞ、まつり呉れよ。邪はらふとは邪無くすることではないぞ、邪を正しく導くことざぞ、追払ふでないぞ、まつろへよ。引寄せて抱き参らせよ、取違ひならん大切事ぞ。八月十二日、一二


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ウェブを見ましても絶食、断食等を何週間もする儀式?がございますゆえに打たせていただきます。

まず当方は何週間も断食するような肉体を苦しめる事は一切しておりません。

(ひふみ神示にも“何週間も断食をしなさい”という記述はありません。はたしてその情報はどこから知ったのですか?

ですがこのように楽しくうれしうれしでサイトをさせていただき神示をありがたく教えていただけるのございます。感謝


まず考えていただきたい。

恐縮ながらこのように打たせていただくことを御容赦ください。

飢餓状態の人が過去よりどれだけいたのか。

(*このようなイキ苦しい状態は改善しないとなりません)

その人たちは“神がかり”ましたでしょうか。

アスリート(スポーツ選手)もあれだけ肉体を鍛えに鍛えてムキムキしておりますが、“神がかり”したでしょうか。

当方が伝えたいことは、肉体を苦しめることは神心に適わない(神がかりとも関係ない)といふコトでございます。


マコトの行とは、肉体を苦しめるのではなく、まずは心の内観が肝要(口、心、行を一致させるミタマ磨き)。

それには霊的順序(霊主体従)をハラにしっかり治め十善足る御柱(心の御柱)をしっかり建て、ひふみ神示を声を出して読み、日々改心改善(掃除洗濯、祓実践等)をすることなのでございます。

ゆえにマコトの神が宿る(この上記の逆をすればどうナルか思惟していただきたい)。

それが自分を玉串とすること(人とは神の入れ物)、神に奉(マツ)らふコトなのでございます(松心・色霊は何でしょうか、マコトのキを入れるのです)。


玉串神に供へるのは衣(ころも)供へることぞ、衣とは神の衣のことぞ、神の衣とは人の肉体のことぞ。臣民をささげることぞ、自分をささげることぞ、この道理分りたか。

(天つ巻 十三帖一二〇)



この事は世尊が自ら体現なされたのでございます(ゆえに既に御柱が建っている)。

肉体を苦しめる苦行は意味がない。


肉体も大切、霊も大切、不二であり霊肉大切ゆえにうれしうれしとなる(食べることもうれしうれしなのでございます)。

ひふみの食べ方を実践なさってください。


カム(ン)ナガラの道でございます。



神に捧げるには順序をまずおさえなければナニの入れ物となるのでしょうか。

そして各々には霊的段階足るミタマがあるのでございます。

(無論、霊肉段階ごとの修行はございますが、逆立ちせず無理なく楽しくしていただきたく存じます)


お読みくださりありがとうございました。

間違った情報がはびこっておりますゆえに、人々は観念的(思い込み)になっていると存じます。

当サイトを広めてくだされば幸いと存じます。




――― 関係帖 ――――


松の巻 第十六帖(三〇七)

『 玉串として自分の肉体の清い所供へ奉れよ、髪を切って息吹きて祓ひて紙に包んで供へまつれよ、玉串は自分捧げるのざと申してあろがな。お供への始めはムとせよ、ムはウざぞ、誠のキ供へるのざぞ、餅は三つ重ねよ、天地人一体ざと申してあろがな。御神前ばかり清めても誠成就せんぞ、家の中皆御神前ぞ、九二中皆御神前ざぞ、判りたか夜寝る前に守護神の弥栄ほめよ、いたらざる自分悔いよ、修業出来た信者の守りの神道場に祀れよ、万霊道場に祀れよ、役員の守りの神は本部に祀れよ、神々様本部に祀れよ。外国とは幽界の事ぞ、外国と手握るとは幽界と手握る事ざぞよ。五月十二日、ひつ九のかミ。(アホバの巻 第二帖四七一)』




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マツリの巻 第十四帖

 旧九月八日から、まつり、礼拝、すっくり変へさすぞ、神代までにはまだまだ変るのぢゃぞ。祓は祓清めの神様にお願いして北、東、南、西、の順に柏手四つづつ打ちて祓ひ下されよ。神国の乱れ、こえキから。世界の戦争、天災、皆人民の心からなり。人民一人に一柱づつの守護神つけあるぞ、日本真中、ボタン一つで世界動くぞ。八月十九日、一二


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 当帖はマツリの巻 第十四帖でございます。


世界の戦争、天災、皆人民の心からなり。


「“様々”な意味」におきまして、

「人民の心」が起こしてゐるといふことでございます。

このことも「タトエ」ではございませぬ。


自然に起こったかのように見せかけるならば、

大変に恐縮ながら今の貴方がたは盲人(盲つんぼの世の中ぞ)でございます。

まんまと コロリと 騙されるでしょう。



TV、新聞、ウェブ媒体などが面白おかしく偏向、「ある意図的な情報のみ」を人民に伝えるのも、

「貴方がたの選択肢を無くする」といふ思惑もございましょう。

つまり「隠ぺい(獣)」でございます。


「いろいろ」とございますが、一色に持っていきたいのでございましょう。





 皆様、御神示におきましての、イクサとは、まずは「タマのイクサ」でございます。

これをマコトうれしうれし行わずしては、「不毛」でございましょうに。


“本来無い”「妄言、妄想」に憑りつかれ、

人の殺し合いばかりとなり、


行けども行けども白骨と申したが、白骨さへなくなる所あるぞ。


行けども行けども白骨許りと申してあろがな、今のどさくさにまぎれて悪魔はまだえらい仕組致して上にあがるなれど、


となりましょう。

ただ、多くの人民は何もみえず、きこえず、はなすことすらできず、また考えられないでございましょう。


そのようなものはないと、

そのようなものを指摘するのはキチガイだと、

まんまと コロリと そのモノらに騙されることでございましょう。





大変に恐縮ながら、時節的には、「この点」も御注意くださればと思います。


 遅れておりまするが、順序、段階等としましては、


臣民同士のいくさでない、カミと神、アカとあ か、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。己の心を見よ、戦が済んでいないであ ろ、それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。


 また序でに これも失礼致しまする。

日本の皆様は特に、自国内にて「“日本人差別”を教育洗脳されたモノ」に迫害もされております。

このモノらは、自分たちは「被害者」「弱者」を装い巧妙に貴方がた、人々を惑わしてきました。

そのような輩、集団が日本国内に存在せぬと申すならば、

また、この意味すら観えぬならば…「もはや」でございましょう。


日本人を差別し、表裏にて迫害、苦しめているヤカラに何卒、ご注意くださいませ。

またそれに加担している「日本人のフリをしたモノ」もおりまする。

騙され、また脅され従属している日本人もおりまする。

“公”も認め“人身売買”すら加担している始末でございます。

またそれを喜んでいる日本人すらおりまする。

ですが、このことすらアナタ方は気づいておりませぬ。



これ以上、ほっておけばどうなるのか?

とは、伝えぬとも分かりましょう。

さらには神、仏といふ言葉すらも悪用もし、

本来、入れないところまでハイり込(コ)んでおりまする。



御読みくださりありがとうございました。喜拝

かむながらたまちはへませ いやさかましませ





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マツリの巻 第十六帖

 日本の人民よくならねば、世界の人民よくならんぞ、日本の上の人よくならねば日本人よくならんぞ。祈る土地はよつくれよ。専一、平和祈らなならんぞ、その位判って居ろが。今ぢゃ口ばかりぢゃ、口ばかり何もならんぞ、マコト祈らなならんぞ。真中の国、真中に、膝まづいて祈り事されよ。今度のおかげは神示よく読まねば見当とれんのざぞ。神はその人民の心通りに、写るのであるから、因縁深い者でも御用出来んこともあるから、余程しっかり致して居りて下されよ。八月二十日、一二


補足用語)
専一(せんいつ):一つのことだけに心を集中する様子。
専一(せんいち)古語:ひたすらなこと。いちずになること。第一。肝要。主要。


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皆様、恐縮ながら日本の人民がよくなるにはどうしたら良いでしょうか?


日本の上の人よくなるにはどうしたら良いでしょうか?


祈るとは何でしょうか?


平和祈るとはどのようなことでしょうか?


御神示は一体ナニを仰られているのでしょうか。



真中の国、真中に、膝まづいて祈り事されよ。


涙が出るばかりの御言葉でございますが、「膝まづいて祈り事されよ。」とはどのようなマコトを仰られているのでしょうか?



御神示とはマコト」でございましょう。


それでは、皆様マコトとは何でございましょうか。


誠に恐縮ながら、解いてよく噛み砕いてくださり日本の為にどうか宜しく御頼み申し上げます。




マコトの者ならば、日の本(もと)でございますこの愛する御国におきまして毎年自殺者等を作り出している現状を御憂慮なさり、行動・活動をしておられるでしょう。

ガイコクのモノに汚染され、多くの日本人が知らずに苦しみ騙され盗まれ迫害され殺されてきた事実すらも御知り、改善なさるため御活躍をなさっておられるでしょう。

邪霊集団に乗っ取られているメディアが我々を欺く為に行ってきた大ウソ、騙しにも気付いておられることでございましょう。



では、ひふみ神示をお読みの貴殿様に問いますが、日の本の為にマコトに御恩を知り行動をなさっておられるでしょうか?

また同じく、聖書、仏典をお読みの方々は、日本をどのようにされてきたのでしょうか?



何十年も御神示を“身慾の為だけに片時も離さず”ウワゴトの如くシガミツイテおられてもマコトでないならばハッキリ御伝えしますが、まるでイミがございません。

逆に御用の邪魔でございます。



そのような輩ばかりでは、ひふみ神示とは“重ねて身慾に利用する為”の“ただの書物”となり下がりまする。

そのようなものに使われていては、戯言、口ばかり、お花畑、妄想の類となりましょう。



恐縮ながら、御恩知らずにも程があるといふコトにもなりましょう。


さらに“外道、泥棒集団に操られ”、逆に人殺し等の道具に御神示が使われてしまう“肚”から御知りくださいませ。

実感もなさっておられると存じますが、歴史に習えば聖書、聖典もまた同じくでございます。


そのようなヤカラが、いくら口だけで綺麗ごとを唱えようとも、マッタクイミがなく日の本にとりまして邪魔でございましょう。


口ばかりでマコトがないならば、御神示・聖典・聖書もまるで意味がございません。

寧ろ、仏魔等泥棒集団蔓延り無用の地獄を作り出す不毛な産物となり下がります。


そして、恐縮ながらその行為・行動・所作が“邪霊集団の加担者”ともなりえますゆえ、大変な御用の邪魔だと御知りくださいませ。


順を御知り、御神示をマコトに拝読朗誦なさり、日々絶えず掃除洗濯霊肉うれしうれし御潔斎。

何卒うれしうれし霊肉耳から手を離し、目を洗い、口をつつしみ整えくださいませ。




御読みくださりありがとうございました。喜拝

かむながらたまちはへませ いやさかましませ



祈りとは意が乗ることぞ。霊の霊と霊と体と合流して一つの生命となることぞ。実力であるぞ。(黒鉄の巻 第三十二帖)


眼鏡外して、落ち付いてみて、ハラで見て下されよ。(黄金の巻 第八十六帖)


それは祈り地獄ぢゃ。祈り地獄 多いのう。(黄金の巻 第百帖)




――― ここまで ――――