富士(普字)の巻

第一帖(八一)

 道はいくらもあるなれど、どの道通っても、よいと申すのは、悪のやり方ぞ、元の道は一つぞ、初めから元の世の道、変らぬ道があれば、よいと申してゐるが。どんなことしても我さへたてばよいように申してゐるが、それが悪の深き腹の一厘ぞ。元の道は初めの道、神のなれる道、神のなかのなる初め、は光の真中は四の道、此の事、気のつく臣民ないなれど。「一が二」わかる奥の道、身魂掃除すれば此のことわかるのざ、身魂磨き第一ぞ。八月十日、の一二


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旧暦新年も近づいてきました。

霊肉改めてうれしうれし御潔斎を宜しくお願い致します。


時節ほど結構なこわいものはございません。

当帖では元の道は一つと仰っておられます。

悠々、天地と共に天地に御歩みくださいませ。


かむながらたまちはへませ いやさかましませ

御読みくださりありがとうございました。喜拝



――― 確認関連帖 ――――


一八の巻 第三帖

月光の巻 第七帖




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富士(普字)の巻 第六帖

 今は善の神が善の力弱いから善の臣民苦しんでゐるが、今しばらくの辛抱ぞ、悪神総がかりで善の肉体に取りかからうとしてゐるからよほどフンドシしめてかからんと負けるぞ。親や子に悪の神かかりて苦しい立場にして悪の思ふ通りにする仕組立ててゐるから気をつけて呉れよ。神の、も一つ上の神の世の、も一つ上の神の世の、も一つ上の神の世は戦済んでゐるぞ、三四五(みよいづ)から五六七(みろく)の世になれば天地光りて何もかも見えすくぞ。八月のこと、八月の世界のこと、よく気つけて置いて呉れよ、いよいよ世が迫りて来ると、やり直し出来んと申してあろがな。いつも剣の下にゐる気持で心ひき締めて居りて呉れよ、臣民口でたべる物ばかりで生きてゐるのではないぞ。八月の十五日、ひつくのひつ九のか三しるさすぞ


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当帖は富士の巻 第六帖でございます。


悪神総がかりで善の肉体に取りかからうとしてゐるから よほどフンドシしめてかからんと負けるぞ。親や子に悪の神かかりて苦しい立場にして悪の思ふ通りにする仕組立ててゐるから気をつけて呉れよ。


たとえではございません。

“悪の思ふ通りにする仕組の一つを明らかにされている”のでございます。



くれぐれも、おかみくださればと存じます。



御神示を声を出して御読みください。

これには理由がございます。


マコトにうれしうれし御柱を御建てくださいませ。



御読みくださりありがとうございました。喜拝

かむながらたまちはへませ いやさかましませ



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富士(普字)の巻 第七帖

 悪の世であるから、悪の臣民 世に出てござるぞ、善の世にグレンと引繰り返ると申すのは善の臣民の世になることぞ。今は悪が栄えてゐるのざが、この世では人間の世界が一番おくれてゐるのざぞ、草木はそれぞれに神のみことのまにまになってゐるぞ。一本の大根でも一粒の米でも何でも貴くなったであろが、一筋の糸でも光出て来たであろがな、臣民が本当のつとめしたなら、どんなに尊いか、今の臣民には見当とれまいがな、神が御礼申すほどに尊い仕事出来る身魂ぞ、殊に神の国の臣民みな、まことの光あらはしたなら、天地が輝いて悪の身魂は目あいて居れんことになるぞ。結構な血筋に生まれてゐながら、今の姿は何事ぞ、神はいつまでも待てんから、いつ気の毒出来るか知れんぞ。戦恐れてゐるが臣民の戦位、何が恐(こわ)いのぞ、それより己の心に巣くうてる悪のみたまが恐いぞ。八月十六日、のひつくのか三。


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平成二十七年でございます。

本年の旧暦は二月十九日。


当帖を失礼致します。

うれしうれし善の臣民が世に出ておられますでしょうか。

そのような世でないならば、悪の世といふことになりましょう。

マコト無く何々の像を拝み拝ませ、邪霊集団蔓延り、民衆を加害しておりまする。

悪の仕組み通り、臆病モノが各々に入り込み精神操作をされているような狂ひに狂った状態化と存じます。


誠に恐縮ながら観えない、分からないのは悪のみたま、邪霊に取り込まれておられる証拠と存じまする。


人間の世が一番おくれておられると仰られておりまする。

御恩知らずといふことでございましょう。



御読みくださりありがとうございました。喜拝

かむながらたまちはへませ いやさかましませ




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富士(普字)の巻 第八帖

 山は神ぞ、川は神ぞ、海も神ぞ、雨も神、風も神ぞ、天地みな神ぞ、草木も神ぞ、神祀れと申すのは神にまつらふことと申してあろが、神々まつり合はすことぞ、皆何もかも祭りあった姿が神の姿、神の心ぞ。みなまつれば何も足らんことないぞ、余ることないぞ、これが神国の姿ぞ、物足らぬ物足らぬと臣民泣いてゐるが、足らぬのでないぞ、足らぬと思ふてゐるが、余ってゐるではないか、上(かみ)の役人どの、まづ神祀れ、神祀りて神心となりて神の政治せよ、戦など何でもなく鳧(けり)がつくぞ。八月十七日、の一二のか三。


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当帖は富士の巻 第八帖でございます。


『山は神ぞ、川は神ぞ、海も神ぞ、雨も神、風も神ぞ、天地みな神ぞ、草木も神ぞ、神祀れと申すのは神にまつらふことと申してあろが、神々まつり合はすことぞ、皆何もかも祭りあった姿が神の姿、神の心ぞ。』


皆何もかも祭りあった姿が神の姿、神の心とございます。

「みなまつれば何も足らんことないぞ、余ることないとございますが、

みなまつるには、どのようにすればよいのでございましょうか。


因みに、

「人の身(み)神に捧げる」とは、「生贄、犠牲などを意味して仰っているのではございませぬこと」は初歩の初歩の初歩でございます。

当たり前のことではございまするが、そのような概念すらもありませぬことは云わずしてハラでも分かることでございましょう。


大変な取り違ひでございまするが、

「はじめすら分かってない」、「おかしい」のでございますから、その線上からどのようなおかしきものとなるのかは明々白々とございましょう。

何もわかっていないものが「神」「神」「神」 と申しましても、分かってないことすら分かっておられないのでございます。

とびきりのキチガイの世ともなりましょう。


つまりは、その「逆」も同じくでございます。

誠に恐縮ながら、どちらも存在はいたしませぬ。



数千年でございます。

そこから、ウじゃウじゃとナったのでございます。


「まつる」とは「人の身(み)神に捧げる」とは どのようなうれしうれしマコトの実践でございましょうか?


かへりみらず、はぢいらずして、ここをマコトにうれしうれしご実践しておらぬならば、

お話にすらなりませぬ。

これが今の世のありようでございましょう。

時間の経過とともに、コリカタマリ、かへりみることすら、できぬ状態ともなります。

なぜそのような状態ともナルのでございましょうか?


大変に恐縮ながら、「しらぬことすら知らぬ」のでございます。


身慾信心、いれものつんぼにナリ下がってゐるのでございます。

そこらの線上におきまして、ミナ、ナっている。


周りすら巻き込み、集団、組織化、とびきりのキチガイ、バケモノともナってゐるのでございます。

ですが本人らは、「己が、集団が、正しい」と信じておられる、信じ込まされておられる。

「他は間違っている。」といふ状態でもございましょう。


そしてタダそうと、ナニ様、傲慢をゴウマンとも知らず、知らぬことすらしらずの狂気の集団様ともなりましょう。



これは一体、ナンの集団、組織でございましょうか?

日本、世界全体のことでございます。


この結果、実相としても現れております。
皆様方が想像しておられる以上の「とんでもない世の中」となっております。


元を判らなくしてゐるのでございます。

元わからんで生きのいのちの判る筈もありませぬ。


大変に、誠に恐縮ながら、ハジメから貴方がたが、カタクナに信じておられる神“など”は御神ではありませぬ。




『足らぬと思ふてゐるが、余ってゐるではないか、』


段階、段階でございまするが、

「余ってゐる」ということでございます。


世界中のことでもございます。

とどのつまり、

うれしうれしまつっておらぬ ということでございましょう。


大変に恐縮ながら、各々の時節、ありようにつきまして、お伝えをさせていただいております。



かむながらたまちはへませ いやさかましませ

御読みくださりありがとうございました。喜拝





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富士(普字)の巻 第九帖

 神界は七つに分かれてゐるぞ、天つ国三つ、地(つち)の国三つ、その間に一つ、天国が上中下の三段、地国も上中下の三段、中(ちう)界の七つぞ、その一つ一つがまた七つに分かれてゐるのぞ、その一つがまた七つずつに分れてゐるぞ。今の世は地獄の二段目ぞ、まだ一段下あるぞ、一度はそこまで下がるのぞ、今一苦労あると、くどう申してあることは、そこまで落ちることぞ、地獄の三段目まで落ちたら、もう人の住めん所ざから、悪魔と神ばかりの世にばかりなるのぞ。この世は人間にまかしてゐるのざから、人間の心次第ぞ、しかし今の臣民のやうな腐った臣民ではないぞ、いつも神かかりてゐる臣民ぞ、神かかりと直ぐ分かる神かかりではなく、腹の底にシックリと神鎮まってゐる臣民ぞ、それが人間の誠の姿ぞ。いよいよ地獄の三段目に入るから、その覚悟でゐて呉れよ、地獄の三段目に入ることの表(おもて)は一番の天国に通ずることぞ、神のまことの姿と悪の見られんさまと、ハッキリ出て来るのぞ、神と獣と分けると申してあるのはこのことぞ。何事も洗濯第一。八月の十八日、の一二


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富士の巻 第九帖でございます。

当帖で仰っておられます「腐った臣民」とは、どのような人たちのことでございましょうか。


また「腹の底にシックリと神静まってゐる臣民」とございますが、「腹の底にシックリと神静まってゐる」とはどのような状態なのでございましょうか。

これこそが「人間の誠の姿」とございます。



邪霊集団はびこっておりますゆえ、まどいと称して貴殿様が誘われることもありましょう。


その際は、うれしうれし御五柱、御十柱に霊肉照らし合わせくださいませ。

御一柱でも欠けてゐるならば、マコトではございません。

なにとぞ、御離れくださいませ。



御読みくださりありがとうございました。喜拝

かむながらたまちはへませ いやさかましませ



「悪神総がかりで善の肉体に取りかからうとしてゐるから よほどフンドシしめてかからんと負けるぞ。親や子に悪の神かかりて苦しい立場にして悪の思ふ通りにする仕組立ててゐるから気をつけて呉れよ。(富士の巻 第六帖)」

「世界のことは皆、己の心にうつりて心だけのことより出来んのざぞ、この道理わかりたか、この道はマナカゆく道とくどう申してあること忘れるなよ、(磐戸の巻 第七帖)」




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富士(普字)の巻 第十二帖

 御土は神の肉体ぞ。臣民の肉体もお土から出来てゐるのぞ、この事分りたら、お土の尊いことよく分るであろがな。これからいよいよ厳しくなるぞ、よく世の中の動き見れば分るであろが、汚れた臣民あがれぬ神の国に上がってゐるではないか。いよいよとなりたら神が臣民にうつりて手柄さすなれど、今では軽石のような臣民ばかりで神かかれんぞ。早う神の申すこと、よくきいて生れ赤子の心になりて神の入れものになりて呉れよ。一人改心すれば千人助かるのぞ、今度は千人力与えるぞ、何もかも悪の仕組は分りているぞ、いくらでも攻めて来てござれ、神には世の本からの神の仕組してあるぞ、学や知恵でまだ神にかなふと思ふてか、神にはかなはんぞ。八月の二十一日、のひつ九のか三。


――― ここから ――――


当帖は富士の巻 第十二帖でございます。


早う神の申すこと、よくきいて生れ赤子の心になりて神の入れものになりて呉れよ。


生れ赤子の心。


生れ赤子のこころ とは、なんでございましょうか?




大変に恐縮ながら、

貴方様が、

ナニか考えましても、

今までの狂(くる)った洗脳教育、ある偏(かたよ)った集団思想を元に構築し考え、

行動しますゆえ、

ならば、まずは「考えないこと」でございます。

御五柱、御十柱をもとにうれしうれし実践いただき くださいませ。


御神に、

うれしうれし霊肉御捧げくださいませ。


恐縮ながら、

あなた様がある段階に達しておられぬならば、

御気付きもできませぬが、

ご自分がゴジブンを邪魔いたしますゆえ、

生れ赤子の心 にてうれしうれし御神の入れものになりてくださいませ。





信じられぬのも無理はございませぬ「悪の仕組」の一つ

でございまするが、

貴方が知らぬ科学技術などにより、

現在、遠隔にてヒトすらも様々に操作が可能でございます。

これにより想像もつかぬ悪事が、

はぢることもなく裏で行われておりました。


「自身が考えているのか、そのように考えさせられ玩具にされているのか?」

うれしうれしサニワくださいませ。


悪に玩具(おもちゃ)にされてゐる臣民人民 可哀想なから、此の神示御言霊高くお読みになりまして悪のキ絶ちて下さればと存じておりまする。



『日本の人民餌食(えじき)にしてやり通すと、悪の神申してゐる声人民には聞こへんのか。よほどしっかりと腹帯締めおいて下されよ。』とはタトエではございませぬ。


またこのような御言すらも悪事を行う道具(どうぐ)、神典、聖典、神示すらも悪用もされておりまする。


過去、今より日本の皆様、思い当たることは ございませぬか?

イマダニ、コレにも騙されて盗まれておりまする。


世界が狂ひ、悪となり、人民も同様となっている段階でございまする。


誠に恐縮ながら、

もはや「みえず、きこえず、いえず、わからぬ」ならば、今の段階関わらぬほうが賢明と存じております。


おもちゃ となるだけでございましょう。

そのようにされるならば、あなたはどのような行為行動をさせられてしまうでしょうか。

ただし、貴方は「ゴジブンは自身で考え動いていると怒りすら持ち、否定なさる」ことでございましょう。



『ぐづぐづしてゐると間に合はん。気の毒出来るぞ。』




かむながらたまちはへませ いやさかましませ

御読みくださりありがとうございました。喜拝




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富士(普字)の巻 第十四帖

 臣民にわかる様にいふなれば、身も心も神のものざから、毎日毎日 神から頂いたものと思えばよいのであるぞ、それでその身体(からだ)をどんなにしたらよいかと云ふこと分かるであろうが、夜になれば眠ったときは神にお返ししてゐるのざと思へ、それでよく分かるであろうが。身魂みがくと申すことは、神の入れものとして神からお預りしてゐる、神の最も尊いとことしてお扱いすることぞ。八月二十三日、の一二のか三。


――― ここから ――――


恐縮ながら、当帖は臣民ならば、わかると存じまする。



その身体(からだ)をどんなにしたらよいかと云ふこと分かるであろうが、


誠に恐縮ながら、どんなにしたらよいのでございましょうか?



臣民でないならば答えることすら出来ないと存じます。


つまり、分からないのでございますから、うれしうれしはたらき実践することすら出来ないといふことでございましょう。



御読みくださりありがとうございました。喜拝

かむながらたまちはへませ いやさかましませ




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富士(普字)の巻 第十七帖

 九十が大切ぞと知らしてあろがな、戦ばかりでないぞ、何もかも臣民では見当とれんことになりて来るから、上の臣民 九十に気つけて呉れよ、お上に神祀りて呉れよ、神にまつらうて呉れよ、神くどう申して置くぞ、早う祀らねば間に合はんのざぞ、神の国の山々には皆神祀れ、川々にみな神まつれ、野にもまつれ、臣民の家々にも落つる隈なく神まつれ、まつりまつりて弥勒(みろく)の世となるのぞ。臣民の身も神の宮となりて神まつれ、祭祀(まつり)の仕方 知らしてあろう、神は急(せ)けるぞ。八月二十五日、のひつ九


――― ここから ――――


神祀るとはお祭りばかりでないぞ、神にまつらふことぞ、神にまつらふとは神にまつはりつくことぞ、神に従ふことぞ、神にまつはりつくとは、子が親にまつはることぞ、神に従ふことぞ、神にまつらふには洗濯せなならんぞ、洗濯すれば神かかるぞ、神かかれば何もかも見通しぞ、それで洗濯洗濯と、臣民耳にたこ出来るほど申してゐるのざ。


日月の民を練りに練り大和魂の種にするのであるぞ、日月の民とは日本人許りでないぞ、大和魂とは神の魂ぞ、大和の魂ぞ、まつりの魂ぞ、取違ひせん様に気付けおくぞ。


神祭りはしないでゐる臣民居るが、神祭り元ぞ、神迎えねばならんぞ、とりちがへと天狗が一番恐いのざぞ、千匁(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。




弥栄弥栄。

畏れながら、神祀らねば何も出来ませぬ。

神州清潔の民。感謝。


また、本来日本の御祭りの目的とは何でございましょうか。

恐縮ながらゴオンを知り、誠にうれしうれし御祭りくださいませ。


序でに、御伝えさせていただきますが、四ツ足は喰ろうてはなりませぬ(こちらを御覧下さいませ)。

まずは順序(『何事も順正しくやりて下されよ、神は順であるぞ、順乱れた所には神の能(はたらき)現はれんぞ』)。

いつも剣の下にゐる気持で心ひき締めて居りてくださいませ。喜拝



御読みくださりありがとうございました。


かむながらたまちはへませ いやさかましませ




――― ここまで ――――