上つ巻

上つ巻 第二帖(二)

 親と子であるから、臣民は可愛いから旅の苦をさしてあ るのに、苦に負けてよくもここまでおちぶれて仕まうたな。鼠でも三日先のことを知るのに、臣民は一寸先さへ分らぬほどに、よう曇りなされたな、それでも神の国の臣民、天道人を殺さず、食べ物がなくなっても死にはせぬ、ほんのしばらくぞ。木の根でも食うて居れ。闇のあ とには夜明け来る。神は見通しざから、心配するな。手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳 引きとなるから、人に知れんやうに、人のため国のため働けよ、それがまことの神の神民ぞ。酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる、それまで我慢出来ない臣民 沢山ある。早く (モト)の神の申す通りにせねば、世界を泥の海にせねばならぬから、早うモト 心になりて呉れよ、神頼むぞよ。盲が盲を手を引いて何処へ行く積りやら、気のついた人から、まことの神の入れものになりて呉れよ、悪の楽しみは先に行くほど苦しくなる、神のやり方は先に行くほどだんだんよくなるから、初めは辛いなれど、さきを楽しみに辛抱して呉れよ。配給は配給、統制は統制のやり方、神のやり方は日の光、臣民ばかりでなく、草木も喜ぶやり方ぞ、日の光は神のこころ、稜威ぞ。人の知恵で一つでも善き事したか、何もかも出来損なひばかり、にっちもさっちもならんことにしてゐて、まだ気がつかん、盲には困る困る。救はねばならず、助かる臣民はなく、泥海にするは易いなれど、それでは元の神様にすまず、これだけにこと分けて知らしてあ るに、きかねばまだまだ痛い目をみせねばならん。冬の先が春とは限らんぞ。 の国を八つに切って殺す悪の計画、 の国にも外国の臣が居り、外国にも神の子がゐる。岩戸が明けたら一度に分かる。六月の十日、書は、ひつくの神。てんめ御苦労ぞ。


――― ここから ――――


当帖は上つ巻 第二帖でございます。


さて、マコトに恐縮ではございますが「神」とは なんでしょうか?


「神の臣民」とは なんでございましょうか?


これがうれしうれし得心されていなひならば、“行けども行けども不毛”でございましょう。


「神」という言葉すら悪用し、犯罪の限りを尽くす集団すら現れましょう。

恐縮ながら「世のアリサマ」から、様々に観えるのでございます。


“このモノらは、すでに現れている”とお伝えをしております。


皆様、人類は危機的状況だと まだわかりませぬか?

御神示は、たとえではなく、誠に誠に恐縮ながら皆様方は“一寸先さへ分らぬほどに曇りて”おるのでございましょう。

あきらめる方々も でている状態でございます。


もはや御伝わりますまいが、地球、世界、日本の状況を観れば得心されると存じます。




善の外道、 悪の外道。


口、言葉だけではなく御神示にもございますように「外道」はなくさねばなりませぬ。


かむながらたまちはへませ いやさかましませ

御読みくださりありがとうございました。喜拝


※ 機会がございましたら“この帖につきまして”を 関連情報にあげさせていただきます(イマの時節的にも、だいぶ遅れておりまするが、恐縮ながら この件は知っておかないと“取り返しがつかない状態となります”)。


『人の知恵で一つでも善き事したか、何もかも出来損なひばかり、にっちもさっちもならんことにしてゐて、まだ気がつかん、盲には困る困る。(上つ巻 第2帖)』




――― ここから次の帖 ――――


上つ巻 第七帖(九)

 いくら金積んで神の御用さして呉れいと申しても、因縁のある臣民でないと御用出来んぞ。御用する人は、何んなに苦しくても心は勇むぞ。この神は小さい病直しや按摩(あんま)の真似させんぞ、大き病を直すのぞ。神が開くから、人の考へで人を引張って呉れるなよ。六月の十七日一二のか三。


――― ここから ――――


大き病を直すのぞ。』とございますが、大き病とは、どのやうな病なのでございましょうか?




御読みくださりありがとうございました。喜拝

かむながらたまちはへませ いやさかましませ



今の臣民 日をいただかぬから病になるのざぞ、(地つ巻 第九帖)

皆病気になりてゐること分らぬか。(水の巻 第七帖)

洗濯すれば治るぞ、(ウメの巻 第二十六帖)




――― ここから次の帖 ――――


上つ巻 第九帖(九)

 この世のやり方、わからなくなったら、この神示録(しるし)をよまして呉れと云うて、この知らせを取り合ふから、その時になりて慌てん様にして呉れよ。日本の国は一度つぶれた様になるのざぞ。一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ。その時にお蔭を落さぬやう、シッカリと神の申すこと腹に入れて置いて呉れよ。六月の十七日、ひつくのか三。


――― ここから ――――


 当帖は、上つ巻 第九帖でございます。


一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ。


皆様、

「神」とは何でございましょうか?

「仏」とは一体、何でございましょうか?


さて、今の世では霊肉、

・不殺生(ふせっしょう)

・不偸盗(ふちゅうとう)

・不邪淫(ふじゃいん)

・不妄語(ふもうご)

・不綺語(ふきご)

・不悪口(ふあっく)

・不両舌(ふりょうぜつ)

・不貪欲(ふとんよく)

・不瞋恚(ふしんに)

・不邪見(ふじゃけん)


 さて皆様、どうでございましょうか。

もはや、御五柱もたたず「行わないのが当たり前」ともナってゐるならば始末が悪い。

今の社会構造、政治、経済、芸能含めまして、九の基本・基礎にそって霊肉うれしうれし当たり前に、マコトに実践されていますでしょうか?


では、私たちは、どのような四、段階に、ゐるといふことでございましょうか?


誠に恐縮ながら、もはや霊肉、何も観えず感じずとは存じますが、

この事をよくよく、御考え“おそれ御自覚”くださいませ。

そして、「霊肉連なり」をご覧くださればと存じます。



つまり、現在までに「どうなってゐる」といふことなのでございましょうか。


 恐縮ながら「ガイコク」は、特ではございまするが、

もはや、長きにマコトの神を知らず、マコトの仏すら知らぬのでございますから、

さらには、「知らぬ事すら、知らぬ」のでございますから、

「神、仏」などと云わず、としてくださればと存じます。


この先、どのようにナルのかは明々白々でございましょう。


御神示をうれしうれしご拝読くださり、

よくよく、この意味、九の状態・状況・性質・配列・順序・法則・数・言・色を、御考えうれしうれし観てくださればと存じます。


私たちは、「どのような世にゐる」のでございましょうか。



かむながらたまちはへませ いやさかましませ

御読みくださりありがとうございました。喜拝





――― ここから次の帖 ――――


上つ巻 第十帖(十)

 神に目を向ければ神がうつり、神に耳向ければ神がきこえ、神に心向ければ心にうつる、掃除の程度によりて神のうつりかた違うぞ。掃除出来た方から神の姿うつるぞ、それだけにうつるぞ。六月十九日、ひつくのか三。


――― ここから ――――


大泥棒集団(邪霊集団)蔓延り、言・数すらも盗まれマインドコンロール・洗脳などにより幼い頃から御自分がジブンに騙されているものも多かったゆえに失礼致します。

盗み騙しをするような心構えで、一体どのような神・仏がうつるといふのでしょうか。

理由を付け御自分を騙し、様々に盗み入る事もまた同じく泥棒であり、人の道すら外れた外道でございましょう。



人とは神の子であり喜びの子でございます。

表裏。

心と行と口を一致させくださいませ。


本年の初めでございます。

恐縮ながらキが元でございます、よく噛みしめて味はひて喜び当帖も拝読され、うれしうれしマコトに御実践下さいませ。



ひふみ神示をうれしうれし朗誦くださいませ。

カムながらたまちはへませ いやさかましませ


御読みくださりありがとうございました。拝




――― ここから次の帖 ――――


上つ巻 第十八帖

 岩戸開く役と岩戸しめる役とあるぞ。一旦世界は言ふに言はれんことが出来るぞ、シカリ身魂みがいて置いて呉れよ、身魂みがき第一ぞ。この道開けて来ると、世の中のえらい人が出て来るから、どんなえらい人でも分らん神の道ざからよくこの神示読んで置いて何んな事でも教へてやれよ、何でも分らんこと無いやうに、この神示で知らして置くから、この神示よく読めと申すのぞ。この道はスメラが道ざ、すめるみ民の道ぞ。みそぎせよ、はらひせよ、臣民 早くせねば間に合はんぞ。岩戸開くまでに、まだ一苦労あるぞ、この世はまだまだ悪くなるから、神も仏もこの世には居らぬのざといふところまで、とことんまで落ちて行くぞ。九月に気をつけよ、九月が大切の時ぞ。臣民の心の鏡凹(くぼ)んでゐるから、よきことわるく映り、わるきことよく映るぞ。今の上に立つ人、一つも真の善い事致しては居らん、これで世が治まると思ふてか、あまりと申せばあまりぞ。神は今まで見て見んふりしてゐたが、これからは厳しくどしどしと神の道に照らして神の世に致すぞ、その積りでゐて呉れよ。神の申すこと、ちっともちがはんぞ。今の世に落ちてゐる臣民、高い所へ土持ちばかり、それで苦しんでゐるのざ。早う身魂洗濯せよ、何事もハッキリと映るぞ。六月二十六日、ひつくのかみ。


――― ここから ――――


今日は御神示が降ろされた六月十日であり時(とき)の記念日でもございます。光拝



みそぎせよ、はらひせよ、臣民 早くせねば間に合はんぞ。



皆々様、うれしうれしマコトの玉串と成り鳴り下さいませ。


霊主体従天地不二足る順を治め、御五柱足る。


かへりみる

はぢる

くゆる

おそる

さとる


を正しく霊肉十善に照らし合わせる(発揮する)。


御十柱足る。


不殺生(ふせっしょう)

不偸盗(ふちゅうとう)

不邪淫(ふじゃいん)

不妄語(ふもうご)

不綺語(ふきご)

不悪口(ふあっく)

不両舌(ふりょうぜつ)

不貪欲(ふとんよく)

不瞋恚(ふしんに)

不邪見(ふじゃけん)


に霊肉(精神的肉体的所作、口・心・行の一致)照らし合わせ、みそぎ祓を御実践下さいませ。

すべての元の実践のミチでございます。


基本の土台(ミコト)。


人としての当たり前の基礎でもございましょう。
かへりみらずに、殺し騙し欺き惑わし貪り犯し、そのツミ穢れた心根で怒りを貪るモノはなんと呼ばれるでしょうか?さらにその行為行動すらかへりみれないのです。
そのようなモノが周りにゐるならばと想像して御覧なさい(※ 眼をつぶりしばしイメージなさって下さい)。

実にこのモノらは詭弁を使い己から逃げておられる(本当の甘ちゃんでありアオイ。さらに自分だけがよければ他がどうなってもよいといふ極悪モノでございましょう。さらにガイコクでは戦争のアリサマを御覧なさい、ナニを目的として“途上国にさせられた民衆”を大量殺戮してきたのでしょうか)。


また、どのような集いがあってもよいのですが、九の正法が無いならばマコトではございません。

無いならば歓喜を真中としていなひといふ事でございます。

どのような理屈を捏(コ)ねようとも、子供でも分かる人間ならば必要不可欠な正しい実践でございましょう。


つまり九の正法をマコトに御実践していないしどうしゃ、集いはエセ、偽(カルト集団)でございます。

口で善き事を云っても、行が伴ってないならば、ハラがツミ穢(けが)れている証拠ではございませんか(そのような人々により現在まで我々は散々惑わされ騙されてきたでしょう。その実が現在の仏魔カルト集団蔓延る日本社会なのですから)。

その内にかへりみれなくなり、十悪を起こす事を何とも思えなくなり、楽しみにすらしてしまういれものつんぼ、間抜けたハラ無しになってしまうでしょう。

そのようなモノに惑わされ騙されるならばどうなりますか、今の世を御覧なさい。


まずうれしうれし掃除、洗濯第一、みそぎ祓を御実践した後に周りに写し下さいませ。



今までの世とは九の正法すらも知らなかったのでございます。

知らなかったから当然御実践もされなかった。

天地不二足るマコトの正法でございます。



人々が霊肉「かへりみらない」


ならば


はぢることにならず

くゆることにならず

おそることにならず

霊肉さとるコトにならないのでございます。



『かへりみる』という基本(働き)がどれだけ大切な御柱なのか得心されるでしょう。


正しくかへりみることにより

はぢることになり

くゆることになり

おそることになり

さとるコトに御柱が響き合い成り鳴るのでございます。


九の御五柱を御十柱に“霊肉(御五十柱御五十柱。御百柱千万とさらに成り響き鳴るでしょう)”照らし合わす事により、正しく発揮されマコトのみそぎ祓の実践と大きく成り鳴るのでございます。


大切事でございます。

いいでしょうか?この泥海の現状を知り憂(うれ)いておられる日月・大和之御民ならば、何卒行動していただきたく存じます(恐縮ながらナニをどのように行動すればよいか分かっておられますか?)。
九のうれしうれしの基本、基礎の大切さをマコトに治め知り、周りに実践させなければ我々動植鉱物が霊肉うれしうれしとならず、しまいには衆愚化統制させ大量殺戮されてしまうでしょう(そのようになってきているではないですか。茹で上がるまで分からない人々が多いですが少しでも神民に響く事を心より御祈り申し上げます。拝)。

知られているだけでも年間自殺者三万人以上一日に百人というのは何を意味しているのか御考え下さいませ。
ウラで隠れて悪魔、獣憑きがナニをしているのか知っておられるでしょうか???


御五柱御十柱を御立て下さいませ。光拝



ところで、神示を喰いものとして人々を惑わしカネを儲けているスコタンがおりますが、

その所作を観ればどのようなハラ積もりなのか分かると存じます(この時節となってもまだ騙され分からないのでしょうか。ならばマコトにサニワなさっておられないという証拠)。

恐縮ながらこの言に反応されるアナタの事でございます。

これにより鳩尾(水落ち)に怒りがあるならば邪霊に巣食われている証拠でございましょう。


ペテンしの災いの口から神すら騙(かた)っている仏魔蔓延(はびこ)っていた時世であり、神・仏と言葉巧みに惑わし金儲けをする憑き物をしょったバケモノまでおられる始末。

そうなりますと人々は神・仏などあるものかと、唯物論教の盲信徒といふ、たわけた悪循環にもなってしまいます(倫理・道徳すらも知識だけで行動なく、社会システムそのものも悪魔憑きに化かされ実践できない状態でしょう)。


そのような輩(やから)には何卒惑わされぬように願い上げます。
見透かされ指摘されれば言い訳をし“己の身慾信心を隠すため”厚顔無恥にも御指摘なさる御仁を貶(おとし)め攻撃すらできる心根ときている。

獣憑きは改心なさる事を御心より御祈り申し上げます(周りがこのモノらのおかげで直接的間接的に無残にも苦しみ殺されてきたのです。大事だと自覚下さい)。

言葉(光透波)とは、身慾信心・悪事悪行を肯定し人々(己)を誑(たぶら)かし惑わす為にあるものではございません。

神をうれしうれし讃える為にあるのでございます。光拝



日々、神典ひふみ神示をうれしうれし拝読(朗誦)し、大祓祝詞、ひふみいろは祝詞等をのりのり御唱え下さいませ。

御読みくださりありがとうございました。

御土に感謝、誠の神民の皆様感謝致します。光拝


かむながらたまちはへませ いやさかましませ




――― 関連帖 ――――


はじめに(一)

ア火ハの巻 第三帖




――― ここから次の帖 ――――


上つ巻 第十九帖

 神の国の山に祭りて呉れよ、祭るとは神にまつらふことぞ、土にまつらふことぞ、人にまつらふことぞ、祭り祭りて嬉し嬉しの世となるのぞ、祭るには先づ掃除せねばならんぞ、掃除すれば誰にでも神かかるやうに、日本の臣民なりて居るぞ、神州清潔の民とは掃除してキレイになった臣民のことぞ。六月二十七日、一二


――― ここから ――――


同じようなコトを打たせていただいておりますが、同じコトではございません。当帖は少し六ヶ敷(うれしうれし)いかもしれませぬがハラで御読みされば幸いと存じます。拝



上記帖の清潔・掃除”という言葉を一方的な方(この世は物質・肉体のみと信じている)が見れば次のように思うでしょう。


一、 物質的な側面での清潔・掃除である

「身体、家を清潔・掃除をすることなのである。」と読まれるかもしれません。



また、精神的な側面として当帖で説いていると観る方もおられる事でしょう。


二、 精神的な側面での清潔・掃除である

「己の心、また一段上がり他の心も清潔・掃除することなのである(事につながる)。」と読まれるかもしれません。



さらに、ひふみ神示を実践しハラに治めておられる御仁はこう説いていると知る(治る)でしょう。


三、精神的・物質的両面での清潔・掃除である

「順は霊主体従不二であり、霊・体(キミ)別々ではなく一体であり霊を潔斎し、身体も潔斎するコト(さらに霊を潔斎することは身体も潔斎するコトにつながる。不二一体ならばこの逆もまた)により両潔斎マツリ合わし大和合のマコトの潔斎となる。」と。


ゆえに“マコト”の神の入れものとなれるのでございます。

このように段階(ハラ・身魂のレベル)によって“大まかに”三段階にありがたく教えていただけるのでございます(“意識の次元が上がり立体に広がる”と観てくださればよいと存じます。拝)。


ではどのように清潔・掃除をするのでしょうか。


物質的な事は分かると存じますが少しだけ打たせていただきます。

(ただ身体等をキレイにするといふコトではありません。因みに仏教で掃除等をするのもカタだとはいふコトは御存じと存じます。無論、ただあれだけでは不足()なのです。


物質的(食べ残し等も含めて)に部屋、居住区(周辺住宅が不潔ならば悪臭も発するでしょう。また有害危険物質、放射能もとお考えくださればより安全な環境意識が大切だと分かるでしょう)等を汚せば、どのようになるのかイメージしていただきたい。

ムシが湧き、さまざまに菌等も繁殖する

そうなれば衛生的にも人が住めなくなり健康も害(そこな)い、無駄(むだ)な殺生(せっしょう)をしなくてはならなくなる。

(これも知っておられるとは存じますが念のために。我々は息をするのも、水を飲むのも、食べることも“日常知らず知らずに”細かい意味でも殺生をしているのです。この点からもツミ積もる事が分かるでしょう)


ゆえになるべくそのようにしない(させない)ためにも“潔斎(けっさい)が大切(必要)”なのです。


肉体と同じように精神(心、霊的)も日々穢(けが)れる。

掃除をせずにいたならばどうなるでしょうか?

心も病み闇に通じ十悪を起こす事にもなるのです。

他の苦しみが自己の快楽に変換できる魔(心無い人、悪魔)になってしまうかもしれない。

(個人から社会的なつながり・広がりにおいても、“潔斎せずほっておけば”十悪を起こし起こさせるバケモノをウミ出してしまうかもしれないのです。そうなると我々が霊肉ともに苦しむことにつながる。*過程の話をしておりますが現在すでにそのようにすでになっているのです)


ゆえに日々の潔斎(霊肉実践・祓い実践等)が必須であり大切な心身の作業(御用)なのです。



因(ちな)みに“潔斎(けっさい)”とは辞書では、

『神仏をまつる前に酒・肉などを絶ち行いを慎み心身を清めること』

とございますが、これだけではございません。



下記帖を御覧ください。


マツリせる者を善と云ひ、それに反する者を悪と云ふのざぞ、人々のことごとマツリ合はすはもとより、神、幽、現、の大和実践して行かねばならんのざぞ。天地(あめつち)の大祓ひと呼応して国の潔斎、人の潔斎、祓ひ清めせねばならんのざぞ、与へられた使命を果たすには潔斎せねばならんのざぞ。かへりみる、はぢる、くゆる、おそる、さとる、の五つのはたらきを正しく発揮して、みそぎ祓を実践せねばならんのであるぞ。ア火バの巻 第三帖)』





つまりマツリせる者とは潔斎をする者でもあるのです。潔斎しなければマコトにマツリせるコトはできない。

そして潔斎とは玉串となるために欠かせない手間なのです


それには『かへりみる、はぢる、くゆる、おそる、さとる』の五つの働きを正しく発揮とございます。


正しく発揮するにはどうすればよいのでしょうか?


正しく発揮する基準がなければ正しく発揮しない。

それには基準足る、マコトの十善が必要。

その基準なしにナニを『かへりみる、はぢる、くゆる、おそる、さとる』のでございましょうか?

ゆえに「十善とは実践の基礎・土台である。」とくどくどと打たせていただいているのでございます。

その土台がありはじめて正しく心の働きが発揮(機能)し潔斎(ハラ、ミの掃除・洗濯)することができるのでございます。


これがある意味の“キ・ミの御用”なのです(キミの御用でもあります。ゝ・霊の御用とカタチ・○・体の御用。どちらも“和す御用”でもございます)

キがいただけるようなハラを作る。神の入れもの玉串となる。邪を待つようなハラでは、神心に適ってはおりますまい。ゆえに“五つの働き”で日々改心・改善しないとならない



キが頂けるようにするには潔斎、潔斎。

下記帖も御覧ください。


『実地に見せてからでは助かる臣民少ないし神も閉口ぞ。ひどい所程 身魂に借銭あるのぢゃぞ、身魂(みたま)の悪き事してゐる国程 厳しき戒(いまし)め致すのであるぞ。五と五と申してあるが五と五では力出ぬし、四と六、六と四、三と七、七と三ではカス出るしカス出さねば力出んし、それで神は掃除許りしてゐるのざぞ、神の臣民それで神洲清潔する民であるぞ、キが元と申してあるが、キが餓死(うえじに)すると肉体餓死するぞ、キ息吹けば肉息吹くぞ、神の子は神のキ頂いてゐるのざから食ふ物無くなっても死にはせんぞ、キ大きく持てよと申してあるが、キは幾らでも大きく結構に自由になる結構な神のキざぞ。アメの巻 第十帖』



では「キを頂けるようにすればどうすればいいのか」


神の臣民それで神洲清潔する民であるぞ、キが元と申してある


と、いふコトにツナガルのでございます。

潔斎とは神の御民の日々の御用(使命)なのです。

そして神の国の御用(使命)でもあるのです。

(個人だけではなく家族、社会、世界へと全体が行わなければならない。現在はガイコク魂、獣州不潔の民ですからワレヨシ騙し殺しが蔓延る内省なき心無い世と今はなり下がっている)


これをどこまで、より立体に広げられるのか(ウズ・用・動き)というイクサ(弥栄弥栄)でございます。

無論、人だけのコトではなく(傲慢になりなさるなよ)三千世界霊肉ともに動植鉱物までうれしうれしという深さ広さ(立体)につながることが肝心要(まずはキの御用。実践実践)。



御読みくださりありがとうございました。拝




 大宇宙の弥栄生成化育は寸時も休むことなく進められてゐるのざぞ、弥栄が神の御意志ざぞ、神の働きざぞ、弥栄は実践ざぞ。人としては其の刹那々々に弥栄を思ひ、弥栄を実践して行かねばならんのざぞ。宇宙の総てはとなってゐるのざぞ、どんな大きな世界でも、どんな小さい世界でも、悉く中心に統一せられてゐるのざぞ。(ア火バの巻 第三帖)』


『日月の民を練りに練り大和魂の種にするのであるぞ、月の民とは日本人許りでないぞ、大和魂とは神の魂ぞ、大和の魂ぞ、まつりの魂ぞ、取違ひせん様に気付けおくぞ。でかけのみなとは九九(ココ)ぢゃぞ、皆に知らしてやりて下されよ、幾ら道進んでゐても後戻りぢゃ、此の神示が出発点ぞ、出直して神示から出て下されよ、我張りてやる気ならやりて見よれ、九分九分九厘で鼻ポキンぞ、泣き泣き恥ずかしい思いしてお出直しで御座るから気付けてゐるのぢゃ、足あげて顔の色変へる時近付いたぞ。世建替へて広き光の世と致すのぢゃ、光の世とは光なき世であるぞ、此の方の元へ引寄せて目の前に楽な道と辛い道と作ってあるのぢゃ、気付けてゐて下されよ、何(ど)ちら行くつもりぢゃ。アメの巻 第十帖』




――― 関係帖 ――――


水の巻 第六帖

水の巻 第十一帖

水の巻 第十四帖

水の巻 第十七帖

松の巻 第十六帖

松の巻 第二十九帖

磐戸の巻 第二帖




――― ここから次の帖 ――――


上つ巻 第二十二帖

 いよいよとなれば、外国強いと見れば、外国へつく臣民 沢山できるぞ。そんな臣民一人もいらぬ、早うまことの者ばかりで神の国を堅めて呉れよ。六月二十の八日、一二のか三。


――― ここから ――――


当帖は上つ巻 第二十二帖でございます。


早うまことの者ばかりで神の国を堅めて呉れよ。


皆様、まことの者とはなんでございましょうか。

神の国とは、なんでございましょうか?


では、堅めるにはどうしたらよいのでございましょうか?



カムながらたまちはへませ いやさかましませ

御読みくださりありがとうございました。喜拝


――― ここから次の帖 ――――


上つ巻 第三十九帖

 地震かみなり火の雨降らして大洗濯するぞ。よほどシッカリせねば生きて行けんぞ。カミカカリが沢山出来て来て、わけの分らんことになるから、早く此の理(みち)をひらいて呉れよ。神界ではもう戦の見通しついてゐるなれど、今はまだ臣民には申されんのぞ。改心すれば分りて来るぞ、改心第一ぞ、早く改心第一ざ。ひつくのか三。


――― ここから ――――


当帖を失礼致します。


『地震かみなり火の雨降らして大洗濯するぞ。』


とございますが、これも人民を苦しめ殺してきた臆病モノの組織犯罪加害集団…御神示的には邪霊、泥棒集団により、そのように意図的に起こすことが可能な時節・段階となっております。

一方の集団内にて、かけております眼鏡…所謂あるカルト層(実は、その行為行動が御神から離れ、偶像崇拝だと気付いてない集団)におきましては、神が起こしているようにミセカケ、貴方がたをさらに誑かし騙すことでしょう。


つまりは、「聖典・聖書などに記されている状態をある程度は、作り出せることが出来る悪仕組みが整っている」といふことでございます。


この状態を悪用して、ウヨウヨと皆様を扇動する輩も出現を致します。


民衆への情報コントロールにおきましては、マスメディアや学者などを使い、「ある状態」の発生段階・その分野での学説などにあわせましての段階的な災害など。


この一連の仕業を「ミセカケての破壊活動」とでも表現を致しましょうか。



他にも皆様にお伝えしたいことが多々ございますが、割愛とさせていただきます。



このような点につきましても、御神示にて予め、教えてくださっております。


臆病モノに操られ、人民が本来ない地獄そのものとカス。

そのようにならぬよう願っております。


誠に恐縮ながら、つまりは、「キが大切」でございます。


よくよくサニワされまして、「区別」に御気を付け下されば幸いと存じます。





御神示では、「人民の心次第」と申されております。

マコトに恐縮ながら改心第一でございます。

早く改心第一でございます。

大き病を直しくださいませ。


恐縮ながら、日月の御民の皆様におきましては、フンドシ締めくださればと存じております。


かむながらたまちはへませ いやさかましませ

御読みくださりありがとうございました。喜拝



人間の心次第ぞ、しかし今の臣民のやうな腐った臣民ではないぞ、いつも神かかりてゐる臣民ぞ、神かかりと直ぐ分かる神かかりではなく、腹の底にシックリと神鎮まってゐる臣民ぞ、それが人間の誠の姿ぞ。(富士の巻 第九帖)




情報をいただきましてのお知らせですが、

平成二十六年頃から検索エンジンGoogle等では、当サイトの検索が難しくなっております。

BINGなどで、検索をしてくださればと存じます。


また今後におきまして、無理することなく、このサイトを広げてくだされば幸いに存じます。感謝 喜拝




――― ここまで ――――