春の巻
第九帖
人民には分別与へてあるから反省できるのであるぞ。反省あるから進展するのであるぞ。ほっておいても、いらんものは無くなり、いるものは栄へるのであるが、人民の努力によっては、よりよくなるのぢゃ。省みねば生れた時より悪くなると申してあろうが。慾、浄化して喜びとせよ。喜び何からでも生れるぞ。広い世界に住めば広く、深い世界に住めば深く向上する。物の世界から霊の世界へ、無限の世界へ入るから無限の生命が与へられるのぢゃ。無限の喜び得ること出来るのぢゃ。無限世界とは物と霊との大調和した、限りなき光の世界ぞ。真理を知ることが、無限を得ること。まことの神をつかむことぞ。よいものつくるには大き手数かかるのぢゃ。ふところ手でいては出来ん。手出せ、足出せよ。
――― ここから ――――
旧暦の一月一日でございます。
当帖を失礼致します。
「分別」とは、なんでございましょうか?
「道理」とは、なんでございましょうか?
反省には「分別が必要」なのでございましょう。
反省あるから「進展する」とございます。
言葉遊びや、理屈ではございません。
何を基に、何を基準として霊肉反省をするのでございましょうか?
「かへりみる」のでございましょうか?
この基本が霊肉備わってない状態におきまして、聖典、聖書を読めばどのような解釈となりましょうか。
また、そのような状態で無き地獄を流布喧伝すれば、どのような事になるでしょうか。
ハラ無し臆病者、無茶苦茶モノの理屈に惑わされ騙されぬように御気をつけ下さいませ。
無論、「神仏が血のしたたる生贄などを求める事はありませぬ。」当たり前の道理でございましょう。
かむながらたまちはへませ いやさかましませ
御読みくださりありがとうございました。喜拝
――― ここから次の帖 ――――
春の巻 第十三帖
自分はよいが、世の中が悪いのぢやと申しているが、その自分省みよ。自分が神の理(ミチ)にあり、真実であるならば、世の中は悪くないぞ。輝いているぞ。自分にふりかかって来る一切のものは最善のものと思へ。如何(いか)なる悪いこともそれは最善のものであるぞ。この道理よくわきまへて下されよ。真の神を理解すれば、一切の幸福得られるのぢや。世を呪ふことは自分を呪ふこと、世間や他人を恨むことは自分を恨むこと。このこと悟れば一切はそこからひらけくるぞ。十のもの受けるには十の努力。
――― ここから ――――
このような帖がハラの掃除(潔斎)すらしてない者、神示をハラに治めず一度二度ぐらいただ読んだだけの者に都合よく他を苦しめるコトに利用されてしまいますので、利用され盗まれない為にも、今の時節的にもチキンと打っておきましょう(前回更新の続き)。
『自分にふりかかって来る一切のものは最善のものと思へ。如何(いか)なる悪いこともそれは最善のものであるぞ。』
さて、『ハラの掃除・洗濯をしておらぬ』ならば、
どのように当帖は写るでしょうか。
(このような帖を利用し、潔斎すらもしておらぬ十悪を行う者が『悪事を働く為・またそれを肯定する為』などに意図的に利用してはなりません。自己愛的変質者ならば、神示を都合よく使い盗みマコトの人々を苦しめるロクでもない口実に使うのですから打っておきます。 また聖書等も何千年も盗み合い奪い合い騙しあい殺し合い、ナニが何だがサッパリ分からなくなっているのも、ハラの掃除をしてない者が都合よく勝手に利用してきたからなのです。しかも現代では洗脳(マインドコントロール)として利用される始末。ですから本来起こらない争いがワザワザ起こるのです)
現代の実状的にハラを確認する為。
神示を持ち出す者がいるならば、まずは、
潔斎されておりますか?
カイの御用は実践されておりますか?(実践すれば得心されますが振動的な意味合いで心の御柱に関係。また共感性の問題でもございます。 *神示とは『神典』なのです)
日々神示を拝読(朗誦)してますか?
礼拝・ひふみ祝詞などは? (御縁ある御方に広めておりますか?)
などと、お訪ねください(これに同じく『四苦八苦』についても利用する仏魔がおりますゆえ念の為こちらで御覧下されば幸い。拝)。
それでは今一度、基本に立ち帰り下記帖を。
『与へられた使命を果たすには潔斎せねばならんのざぞ。かへりみる、はぢる、くゆる、おそる、さとる、の五つのはたらきを正しく発揮して、みそぎ祓を実践せねばならんのであるぞ。(ア火ハの巻 第三帖)』
つまり、『与えられた使命(御用)をするには、
潔斎をしなければ出来ない。(潔斎してないものが、「御用」と口では云ってもそれは御用ではなかったのです)』
と、キチンと書かれているでしょうに。
霊肉十悪(当然他の情報を盗む事、またそれを知りつつ盗まれた情報を使う、共有する事も勿論含まれます。『タマのイクサ』なのですから)を起こし起こさせるスコタンは、御用すらさせていただけないのでございます(なぜならば『潔斎すらできない穢れたハラ』で一体ナニを判断し御用するといふのでしょうか?しかもそれすらも自覚できないのですから日々実践を行っていない証明でありましょう。さらには『霊肉十悪すら行い、また行わせている』のですから。とんだスコタン、ロクでもない食わせ者の『外道・魔』の集団でございます)。
このような者達が、いくら立派、綺麗な飾りある言葉(綺語・妄語等)を吐こうとも、そのヤカラの云ふ神示の御用とは口だけであり、実は誤用(マ違い。『真』ではなく『魔』)であった事が分かるでしょうに(現在のジツ無き『キの抜けた世、マ抜け』になっているのですから、つまりマコト無く『キ違い』なのでございます)。
ここもとても重要ですから恐縮ながらシッカリとハラで知り治めて(押さえて)いただきたく存じます。拝
『自分はよいが、世の中が悪いのぢゃと申しているが、その自分省みよ。自分が神の理(ミチ)にあり、真実であるならば、世の中は悪くないぞ。輝いているぞ。』
『世の中』は調和繁栄日々うれしうれし弥栄しているのですから世の中は悪くはない(日々与えてくださっている)。
『人々のハラに原因があり、ケガレ人々の心根が悪い(取違いいたすなよ、人は神の子、歓喜の子。「生まれもって悪い人はいない」といふ意)』のでございましょう(ですがすべての災い禍は極一部の人々が起こしてきた。そしてそれを黙認し、しかも悪事すら手伝ってきたスコタンがおられたからこうなってしまっているのです、ほっておくなら我々がさらに自由すら奪われ苦しみ殺されてしまうのでございます)。
ですから『世界が狂うている(悪人、狂人)』とも神示にございます。
ちなみに上記引用させていただいた帖も貼っておきます。
『 大奥山は神人交流の道の場である。道は口で説くものではない。行ずるものである。教は説かねばならない。多数決が悪多数決となるわけが何故に判らんのぢゃ。投票で代表を出すと殆んどが悪人か狂人であるぞ。世界が狂ひ、悪となり、人民も同様となっているから、その人民の多くが選べば選ぶ程、益々混乱してくるのであるぞ。(月光之巻 第七帖)』
マコトのうれしうれし幸福を得、より良くするには、うれしうれしの光の国実現しかございません。
それには『国の潔斎、人の潔斎』を“マコトに”しなくてはならない(『十のもの受けるには十の努力』。そして我々が様々なカルト宗教、またカリスマ等に依存する事無く、大難となる前に親心を汲み取り、自ら努力し実行・実践しなければならないといふ事なのです。実に当たり前のコトでございます)
。
霊肉十善をモトとして『かへりみよ(五つの働き)』、 (マツリ)せよ。
といふうれしうれし爽やか(サワヤカ)な『春の帖』でございます(春のそよ風を感じるでしょう)。
(『ア火ハの巻 第三帖』光教の教旨を日々拝読されておられるコトと存じます。光拝)
ですから、うれしうれしの『かへりみる実践(そして努力)』をくどくどと説かれているのでございます。拝
『世を呪ふことは自分を呪ふこと、世間や他人を恨むことは自分を恨むこと。』
呪ふとは『恨みのある人に悪い事が起こるように祈る』。
恨むとは『ひどい仕打ちをした人に対して機会が有れば仕返し相手に仕返しをしてやろうと思う気持ちを、いつまでも忘れずに持ち続ける事』でございます。
つまり『ハラの具合を整えよ。』と念を押して仰ってくださっているのでございます(肉体のハラには、正露丸も時には必要でしょう)。
己のハラに地獄があるから、本来無い地獄がウ(膿)まれる。
(『相手・対象に恨みを持たれる“霊肉十悪”はしてはならない』とも仰られているのです。また世についても『国、政治家、官僚、集団等カネで世を縛っている者達が恨まれるような事<霊肉十悪>を人々にしてはならない。 (マツリ)改善せよ』とも仰られているのです)
キヅキを言語化する為にくどくどこれも打っておきましょう。拝
心無いスコタン(加害者・集団・国等)が、被害者に対して『相手が恨みを持っている』と感じ、また『恨みを持っているからこれこれこのように行動しているのだ』等々、思い違い勘違いでそのように考へる、また『感じられる』といふことは、それほどの『ひどい仕打ちを心無く相手にしてきた』という“内的気づき”でもあるのです。
加害者(我々を苦しめてきた自己愛的変質者)が、被害者が『恨み』を持っていると感じるならば、それだけ酷いコトをなさってきたという己(加害者自身)の心の訴え(苦しんでいる)でもあるのでございます。
ならば『恨み呪われるような事をやめなさい。』
(これすら感じられないなら悪魔そのものでしょう。守護神の声すらも聴かず聴こえず、人に必要不可欠な内省すらできない欠陥的状態)
これを機会に直接、間接的にも十悪を行ってはなりません。
(奪う事無く人々にうれしうれしお与えください。拝)
関連してこれも、
どこぞのカルト団体は根本無知にもホドがあり、よりによって『神仏』に相手を呪い殺すように筋違いも甚だしく祈ると聞きますが(つまり普段から相手を『恨み、呪っている心根』だといふ事でしょう。外れも外れのキ違い邪教でございます)。
心無い悪事を率先して働き働かせ、その行動こそが自らが自己愛的変質者の集団(普段から相手を恨んでいる心根、習性)だと周囲に恥ずかしげもなく公言していると同義なのでございます(自分らの所属している団体名を公言できますか?なぜ隠すのでしょうか?)。
ゆえに、今回ある意味『かへりみた』のでございますから、マコトに『はぢて』いただきたく存じます。拝
『恨み、呪われると“己が思うほど”の悪事をしている』のですから、それを止めればメグリ積む事無く済む事(潔斎)なのでございます(回向キ心し菩提心に目覚め下さい)。
これも打っておきますが、心有る人達が『我々を苦しめる悪事を御指摘している事』は、うれしうれしの真心からであり、相手に『恨み』がありしているコトではないのでございます。
(もう一度打っておきますが『恨まれる』と感じるような十悪を相手・人々にしなさるなと打っています。ですから当たり前に、それを指摘されるのです。また迫ってくると思うのです。指摘されたくないならば、己がどのような悪事を働いてきたのかをまずは省みて観ていただきたく存じます<あまつふみ>)
むしろ、心無い被害者(スコタン)に対して『憐憫の情』さえ持っている慈悲深い御仁もおられます。光拝
ただ、これらを読んでもキカズ、さらに相手に『呪い・恨み』をさせるように人道すらも外れたスコタン(もうそうなったら人の皮を被った悪魔・獣<サイコパス>でございます)もいるのでございます(神・仏は改心を待っているのでございます。上の者が改心しないと下の者が苦しむ。拝)。
そのような者に対しては断固としてハラから怒り抗議しなければなりません(『相手に恨みがありしてるのではない。また被害者に恨まれるような事はしてはならない』)。
そうしないならば、我々自身(女性、子ども達、弱者、子孫)が霊肉苦しみ殺されるからでございます。
何卒、国の潔斎、人の潔斎をマコトに日々うれしうれし御実践努力なさってくださいませ。光拝
御読みくださりありがとうございました。
かむながらたまちはへませ、いやさかましませ。
――― ここから関係帖 ――――
月光之巻 第五十帖(八三七)
――― ここから次の帖 ――――
春の巻 第十九帖
小乗の行と馬鹿にするでないぞ。理屈で神を割出したり、そろばんでハヂキ出したり、今の鼻高さんはしているなれど、何処まで行っても判りはせんぞ。土耕す祈りに神の姿現はれるぞ。とどまってはならん。いつも弥栄々々に動いて行かなならん。大中心に向って進まねばならん。途中には途中の、大には大の、中には中の、小には小の中心はあるなれど、行く所は一つぢゃ。ぢゃと申して小の中心を忘れてはならん。神は順であるぞ。先づ小の神から進んで行けよ。ほんとのこと知るには、ほんとの鍛練いるのぢゃ。たなからボタモチ食っていては段々やせ細るのみ。鍛えよ鍛えよ。鍛えればこそ光出て来るのぢゃ。
――― ここから ――――
当帖は春の巻 第十九帖でございます。
『とどまってはならん。いつも弥栄々々に動いて行かなならん。大中心に向って進まねばならん。』
畏れながらキが元でございます。
進むには、進むだけの準備が必要でございましょう。
そして順序、法則、段階がございます。 ある段階では当たり前、通じることが他の段階ではそうではありませぬ。 益々弥栄とナリなり、動き最善となりましょう。
ただし皆様、大変に恐縮ながら現代とは、
うれしうれし御十柱、御五柱が建っておりませぬ段階。
ゆえに、ある程度のルールが必要な程の“低い低い世界”でございます。
神国(しんこく)の御民が住まふ日本。
戦後から特にガイコクに入られておりますることは今の政治などを観ましても得心なさることでございましょう。
よくよく日の本、相(そう)をご覧くださいませ。
御神示の「世の中」という意味ではございませぬ。
公すら黙認すらしている人身売買、
人殺し、暗殺が秘密裡(ひみつり)に蔓延(はびこ)り、
息をするように嘘を吐き、
騙し合い、
大衆は何も考えず、
また考えさせられず、
日々の目先、享楽(きょうらく)ばかりを追い求め、
一部の人々は神、仏すらも利用し、
巧妙に日本を破壊する目的、反社会的な仕様等を隠しながら、
排他的なつながりを作り(徒党や群れ)、
罵倒し合いさせ合い、
犯罪にすら手を染めながら、
自分らは特別な存在、特別な集団、有能な組織だとお念仏のように唱え、
踊らされ暴れておりましょうに。
恐縮ながら、がいこく泥棒集団に騙された日本人、また率先して老若男女が、これらに関わってゐる始末。
ニホンジンが日本人を差別し、
憎しみ合わせ苦しみを与え、暴力行動、人殺しすらも行われております。
これが今の世のありさまの一風景でございましょう。
さて皆様、高い世界でございましょうか?
このような行為、行動を起こしている魂の状態・性質、見て見ぬふりをしている素養・段階、世界のことを一体なんと云ふ、なんと呼ぶのでございましょうか?
上から数えましょうか?下から数えましょうか?

さて序で。
この件につきまして、皆様方にお伝えをさせていただきます。
恐縮ながら、よくよく御ききくだされば幸いと存じております。
スピリチュアルなどと称しまして、
また妄想知識情報をひけらかし、
さらけ出し、
興味関心事、不思議事にて人々を傾倒、惑わしておりまする集まりがそこらかしこにございます。
己は他が知らぬことを知っているのだぞ!と、知らぬことをそのようなものだと刷り込められ、
さも知ったような気になっているだけでございましょう。
それはただの情報でございます。
知識偏、頭だけでご満足をさせ(他に依存をさせ思考停止)、
行動をすることをやめさせる手法でございます。
これらも邪霊集団 魔の仕組みの一つございます。
“大衆の行動、動きを封じること”が目的。
これらが蔓延り、本来動きよく御用をなさる日本人の皆様方がナニもしなければ、
このクニはどうなるでしょうか?
ガイコクにいいようにされ、気付いた時はもう遅く、亡国となりましょう。
御神示は、皆様に全体主義のようなものを、お伝えさせていただいているのではございませぬ。
日本が本当に危機的な状況に置かれていると御実感くださいませ。
ゆえにまずは潔斎、動かなければなりませぬ。
思想洗脳などに、心を奪われた大衆ばかりとなったならば。
もし現在までに多くの御方らが動いてくださらなかったならば、
日本はどうなっていたでしょうか?
このクニが、本当に大変なときに、このようなモノらはイマダニ一体ナニをしているのでしょうか?
ドコに進んでいるのでございましょうか?
気付いた時には尻の毛まで綺麗にすっかり抜かれ、足元すらなくなってゐるでしょうに。
ツルツルキラキラ輝きお花畑、
自分たちには関わりなく、楽しく生きよう。
楽しいことだけに目を、意識を、向けよう。
さすれば、素晴らしい事、安楽、豊かさ、穏やかだけが向かってくる。
そのようなスバらしい霊団に私たちはいける。
実は事実から目を背けて“フワフワと、ご自分らだけがラクをしているだけ”でございましょう。
これも悪の仕組みの一つ。
何もしなければ物事、事態は良くはなりませぬ。
大掃除、大洗濯、お洗濯でございまする。
多くの日本人の皆様がジツに苦しみ、悲しみ、自殺(他殺)すらもしております。
さてさて、あなた方にとりましては、このようなことはごく一部のことであると、そのように信じたいのでありましょう。
同じ地、日本でのことでございまするが、どうでもいいのでございましょう。

改心改善をさせていただくにも、
マコトにうれしうれし御用をさせていただくにも、
潔斎後の動き、順序、法則が必要でございます。
何事も祓い清め、潔斎後、何卒サニワくださいませ。
マコトの祈り、マコトの考へ、マコトの働き うれしうれし三つ揃はねばなりませぬ。
御読みくださりありがとうございました。喜拝
かむながらたまちはへませ いやさかましませ
『鏡を掃除して呉れよ。』
『人のため国のため働けよ、それがまことの神の神民ぞ。』
『キが元と申してあろがな、上は上の行、中は中、下は下の行ひ、作法あるのざぞ、マゼコゼにしてはならんぞ、この中からキチリキチリと礼儀正しくせよ。』
――― ここから次の帖 ――――
春の巻 第二十六帖
神にまかせきると申しても、それは自分で最善をつくして後のことぢや。努力なしにまかせるのは悪まかせぢや。悪おまかせ多いのう。魂の財産は金を得るより数倍六ヶ敷いぞ。ぬれ手で粟のやり方、カスつかむぞ。むやみに腹が立ったり、悲しくなったり、くやしくなつたりするのは、まだめぐりあるからぢや。めぐりの霊界との因縁が切れて居らぬからぢや。愛は養はねばならん。夫婦はいのちがけで、お互にきづき合はねばならんぞ。夫婦愛はあるのではない。築き上げねばならんぞ。生み出すのぢゃ。つくり出すのぢや。そこに尊さあるぞ。喜びあるぞ。左には宗教、右には芸術。
――― ここから ――――
御神示では「何でもよい」とは仰っておられないことは御承知と存じます。
何でも味噌糞一緒ではなく、“順”・“道理”がありその上で立体的に向上せよ。
と仰っておられます。
そして、各々には段階がございます。
霊主体従、霊肉十善、霊肉五つの働きは根本の根本。
基本中の基本でございます。
その上で向上せよ。
努力せよ。
最善をつくせ。
と仰られておりまする。
向上するには、
進むには、
歓喜に向かうには、真中にうれしうれし向かわなければなりませぬ。
『この平凡の理(ミチ)の道理が何故に判らんのぢゃ。得心出来んのぢゃ。それに従へばこそ向上、弥栄するのぢゃ。』
御神示にございますように従わなければ向上、弥栄しない。
また「行き詰まる」とは改まる、ありがたい機会でもあることを御知りくださいませ。
『天狗ざから、慢心するから、理がなくなるから行き詰るのぢゃ。』
改める(かへりみる)事が出来るといふのは、キチンと日々「洗濯掃除をさせていただいてゐる。」といふ御恩を知る大切なうれしうれしの対話であり作業でもございます。
日々、掃除洗濯第一、そこに嬉嬉が生じる。
かへりみるというオン柱が建つから、さとる事にイーたる。
うれしうれし向かうから、進ませていただける。感謝感謝
神の道は無理のない道。
楽な道ではございません。
前も打たせていただきましたが、山登りをイメージしてくださいませ。
無理をすれば、どうなるでしょうか。
ですから時には迂回をしながら順を踏んで、無理なく登れます。
つまりうれしうれし立体の理であるから無理がないミチといふ事でもございましょう。
御神示は尽きない油。
拝読すればうれしうれしとなり掃除・洗濯をさせていただけます。
『悪魔に邪魔されて神示読む気力も無くなる臣民
沢山出て来るから気付けておくのざ。』と他帖にございます事、お忘れなきように願います。
恐縮ながら、大泥棒集団に盗まれてきた日本の為にもマコトにうれしうれし最善を願います。
『努力せねばならん。ぢっとしてゐては進めん道理ぢゃ。あかりつけなければ闇のよは歩けんぞ。それぞれのあかりとなれよ。油は神示ぢゃ。油つきん、いくらでもあかりつけて下されよ。(黒鉄の巻 第六帖)』
『今度の行は世界の臣民みな二度とない行であるから、厳しいのぞ、この行
出来る人と、よう我慢出来ない人とあるぞ、この行
出来ねば灰にするより他ないのぞ、今度の御用に使ふ臣民はげしき行さして神うつるのぞ。(富士の巻 第五帖)』
またこれも時節的に恐縮ながら開かせていただいておりますが、「ただむやみに腹が立ったり、悲しくなったり、くやしくなったり」と“される場合”もございますゆえ、よくよく御自分を監視しサニワなさってくださいませ。
御恩知らずにもホドがある邪霊集団のタクラミ。
つまり日本、世界そのものにめぐりがあるといふ事でございましょう。
モトから霊肉うれしうれし掃除洗濯しなければなりません。
ほってほければどうなるかお分かりと存じます。
ところで皆さま、水も含めまして自国の安心・安全な食とは「クニの基本」であり投機などの金儲けの為にあるのではございません事は当たり前に知っておられると存じます(御恩知らずな「かえりみない」団体・国は順を知らず悉く御柱が倒れ、行き詰まりヨドミ腐り悪臭を放つ。仕舞いには邪霊の棲家と化ス。合点でございましょう。そうなりますと当然法則通り、周りを苦しめ迷惑をかけ盗み騙しを平然と行うことになるでしょう)。
御読みくださりありがとうございました。喜拝
かむながらたまちはへませ いやさかましませ
『この道理分りたら神の仕組はだんだん分りて来て、何といふ有難い事かと心がいつも春になるぞ。(富士の巻 第五帖)』
――― ここから次の帖 ――――
春の巻 第二十七帖
八合目あたりに参ると総ての様子が、ほぼ見当つくぞ。それ迄は誰でもよくわからんもんぢゃ。これと云う先達があったら、先達の云うこと、云う通りについて行けよ。おかしい先達は始めからおかしいぞ。苦労し、手をかけ、金かけるほどよいもの出来るぞ。信念越えて自分より上のものにまかせきったのが理解であるぞ。信念だけでは何事も出来ん。確信は理解からぞ。
――― ここから ――――
当帖は春の巻 第二十七帖でございます。
『おかしい先達は始めからおかしいぞ。』
「おかしいものをおかしい」と 観れる御仁方ならば、「このような状態」とはなりませぬ。
では、「おかしいものをおかしい」と観るにはどうしたらよいのでございましょうか?
誠に恐縮ながら、
何千年前から、「何もわかっていなかった」ことが明らかになっております。
イマダニ「わかっていなかったことすら、わかっていない」のでございます。
大変に恐縮ながら、これが今の状況でございます。
信ずれば信じる程に まこと危うき。
『空中楼閣』でございましょうに。
「おかしいもの」でありましても、時間が経ち集団化しますとどうなるでしょうか?
「そこを基、また発している」のでございますから、現在の状況・状態とは 得心となりましょう。
外国とは幽界の事、外国と手握るとは幽界と手握る事でございます。
マコトにうれしうれし神の御身(みみ)と 御ナリくださいませ。
かむながらたまちはへませ いやさかましませ
御読みくださりありがとうございました。喜拝
――― ここから次の帖 ――――
春の巻 第五十一帖
人民の因縁性来はみな神示にかかしてあるぞ。そなたのこと何も彼も一目ぢや。因縁判つてうれしうれしで御用結構。うれしおそろしくなる仕組。
――― ここから ――――
「うれしおそろしくなる仕組。」とございます。
誠に恐縮ながら、日月の皆様は因縁お判りになり、そこから社会全体の問題点の繋がりも判っておられるのではないでしょうか。
当帖も仰っておられますが、うれしうれし一体大和楽の光の国実現の為、御用をつとめなければなりません。
日月の御民の皆様に、うれしうれし御伝えさせていただきますが、いま邪霊泥棒集団により隠されてきた仕組、非道に民間人に対して使われてきた軍事(科学)技術を啓発しようと有志方が動いておられます。
この技術に化かされ、騙され操られ、苦しめられてきた人達も多くおります。
「日本、世界でいったいナニが起きていたのか?」をマコトに繋がりも含めまして御知りくださいませ。
恐縮ながら、大変な状況でございますゆえ、マコトにうれしうれし御働きくださいませ。
他帖におきましても「祈りと申すのは心でゐのり願ふことでないぞ。実行せねばならん。地上人は物としての行動をしなければならんぞ。口と心と行と三つ揃はねばと申してあること、忘れたか。」とございます。
仰っておられますように「祈りとは」実行であり、うれしうれしマコトに動くことでございます。
ジッとしてゐてはなりません。
逃げて眼塞いで、懐手してゐては苦しむのみでございましょう。
我れよしと云ふ悪魔と学が邪魔してゐる事にも何卒御気をつけくださいませ。
重ねて恐縮ながら、御神示におきましても「動くところ、神力加はるのざぞ」「ジッとしてゐる善は善でないぞ。」と仰っておられます。
御五柱御十柱うれしうれし御建てになり、うれしうれしマコトの御用となりますように御祈り申し上げます。
御読みくださりありがとうございました。喜拝
かむながらたまちはへませ いやさかましませ
『楽してよい御用しようと思ふてゐるのは悪の守護神に使はれてゐるのざぞ。(カゼの巻 第十三帖)』
――― ここまで ――――

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