一八十(磐戸)の巻
四帖(二四〇)
この方この世のあく神とも現はれるぞ、闇魔とも現はれるぞ、アクと申しても臣民の申す悪ではないぞ、善も悪もないのざぞ、審判(さばき)の時来てゐるのにキづかぬか、其日其時さばかれてゐるのざぞ、早う洗濯せよ、掃除せよ、磐戸(ゐわと)いつでもあくのざぞ、善の御代来るぞ、悪の御代来るぞ。悪と善とたてわけて、どちらも生かすのざぞ、生かすとは神のイキに合すことぞ、イキに合へば悪は悪でないのざぞ。この道理よく肚に入れて、神の心早うくみとれよ、それが洗濯ざぞ。一月二日、 のひつ九のか三。
――― ここから ――――
上記のあくとは開く(カイ)神(またアクは人民の思っているアクではない)。
開神(あく神)。
臣民については土台なく善も悪もわかってはいない。
(基本がないのでありますから、本当の意味の善悪を知らない。またなんなのかさえ分かっていない。なにが善でなにが悪なのかがわかってないということです。ゆえに円とならずイキ詰まる)
ゆえに当然今の世がある。 (失礼な表現でございますが、人々に土台がなく自分<自分達>さえよければ他をどうなってもよいといふ身慾・自己中心となっている極悪のハラ詰もりでございましょう。<邪見>全体のつながりがあって自分がいることさえ知らないならば当然このような狂った獣たちの世となるのです。調和があるようにみえるだけでそれは騙しであり、私達は日々欺かれ盗まれており“本当の調和”ではないのです。<今の世は霊肉十善の逆をしているではないですか>つまり実際はマコト無く、肉にのみ囚われておりますからワレヨシ・大泥棒集団蔓延る偽のチョウワでございましょう)
『イキに合へば悪は悪でないのざぞ。』
“イキに合えば”でございます。
神の“イキ”に合わすとは御心(一十ヽ)に適うということ。(立体に入る)
つまり“歓喜”を中心として動く。(ゆえに真中は動かず)
そうなると悪も善もない(当然まずはマコトの『潔斎』をしなければなりません。『ア火ハの巻 第三帖』を御参照しマコトの実践をして下さいませ)。
『それが洗濯ざぞ。』
上記参考になれば幸いでございます。
――― 関連帖 ――――
日月(ひつ九)
の巻第三十六帖(二〇九)
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一八十(磐戸)の巻 第八帖
神の国の昔からの生神の声は、世に出てゐる守護人の耳には入らんぞ、世に出てゐる守護人は九分九厘迄
外国魂ざから、聞こえんのざぞ。外国の悪の三大将よ、いざ出て参れよ、マトモからでも、上からでも、下からでも、横からでも、いざ出てまゐれよ。この神の国には世の元からの生神が水ももらさぬ仕組してあるから、いざ出て参りて得心ゆくまでかかりて御座れ。敗けてもクヤシクない迄に攻めて御座れよ、堂々と出て御座れ、どの手でもかかりて御座れ。その上で、敗けてこれはカナワンと云ふ時迄かかりて御座れよ。学、勝ちたら従ってやるぞ、神の力にカナワンこと心からわかりたら末代どんなことあっても従はして元の神のまことの世にして、改心さして、万劫末代
口説(くぜつ)ない世に致すぞよ。一月九日、 の一二のか三。
――― ここから ――――
当帖は磐戸の巻 第八帖でございます。
くれぐれも悪霊憑のオクビョウモノは取り違え、勘違いをされ、
“日本国民”を攻め、攻撃などなさらぬようにでございます。
そのようなモノがもし、いるならば、ただの妄想に憑りつかれた狂人、犯罪者でございましょう。
「キが違っているモノが犯罪を犯す口実のために」神典、聖書などはあるのではございませぬ。
恐縮ながら平易として、個に対してと打つならば、
そのものの体中に刃物やらを突き立て加害する凶行となったとしましょう。
そのものは絶命して、それで終わりでございます。
ただの精神異常者、人殺しとなるだけでございます。
集団ならば、ジェノサイド(大量虐殺)となりましょう。
神の国と称してまして、大量破壊兵器を使用すれば、
これもまた国土が破壊され、多くの人命が奪われます。
ただの精神異常者、人殺しとなるだけでございます。
集団ならば、ジェノサイド(大量虐殺)となりましょう。
つまり、異常者視点におきまして、
そのような犯罪をしても、まったく呆れるほどに意味がないといふことでございます。
不毛。
そのものは、“物理的な攻撃すら受けないところにおられる”ということでございます。
邪霊集団は一匹も行けぬ場所でございましょう。
誠に恐縮ながらまったく異なりますが、
オクビョウモノ泥棒集団の親玉のやり方ともある意味におきましては似てるのかもしれませぬ。
つまりは、そのようなことを御神示は伝えているのでございませぬ。
くれぐれもこのような誰でも分かることを平気で行ってきた“妄想狂のチが低いナニサマと化した、ただの人殺し犯罪者に使われぬよう”気を付けてくださいませ。

また皆様、神国の昔からの生神、世の元からの生神とはなんでございましょうか。
さらに、世に出てゐる守護神とはなんでございましょうか?
その世に出ている守護神は九分九厘迄外国魂でございますから、
世の元からの生神の声は届かないとございます。
『タマのこわさざぞ、(磐戸の巻 第七帖)』
かむながらたまちはへませ いやさかましませ
御読みくださりありがとうございました。喜拝
――― ここから次の帖 ――――
一八十(磐戸)の巻 第十帖
悪の仕組は、日本魂をネコソギ抜いて了ふて、日本を外国同様にしておいて、一呑にする計画であるぞ。日本の臣民、悪の計画通りになりて、尻の毛まで抜かれてゐても、まだキづかんか、上からやり方かへて貰はねば、下ばかりでは何うにもならんぞ。上に立ちてゐる人、日に日に悪くなりてきてゐるぞ。メグリある金でも物でも持ちてゐたらよい様に思ふてゐるが、えらい取違ひであるぞ。早う神の申すことききて下されよ。世界の何処さがしても、今では九九(ここ)より他に、神のマコトの道知らす所ないのざぞ。此の道の役員、上から見られん所によきことないと今度の御用、なかなかにつとまらんぞ、洗濯急げよ、掃除急げよ、家の中が治まらんのは女にメグリあるからぞ、このことよく気付けておくぞ、村も国々も同様ぞ。女のメグリはコワイのざぞ。節分からは八回拍手うちて下されよ。神はげしくなるぞ。一月十二日、 のひつ九の 。
――― ここから ――――
「悪魔に邪魔されて神示読む気力も無くなる臣民
沢山出て来るから気付けておくのざ。」とございますように御神示を読む気力すら無くなる方々も多いのではないでしょうか。
それでは誠に恐縮ながら、当帖を失礼致します。
当帖では、「まだキづかんか」とございます。
他帖にもこのようにございます。
「世をもたれん天地の大泥棒をこの世の大将と思ってゐて、それでまだ眼覚めんのか、よく曇りなされたなあ、」
「この世の大泥棒をタカヤマぢゃと申して、この世を自由にさせておいてよいのか、元の元の元をよく見極め、中の中の中の見えぬものを掴(つか)まねばならんぞ、そこから正さねば外側からばかり清めても何もならん。」
キづいたならばナニをせよ。と仰られているのでしょうか?
そのまま尻の毛抜かれっぱなしで、よいと仰っているのでしょうか。
このように御神示では何度も仰っていますが、
日月の信奉者方は今まで何もしてこなかったのでしょうか?
時節も正に訪れ、大泥棒の正体も判明しています。
誠に恐縮ながら日本の現状を観ますに、何十年もナニもしてこなかったならば、尻の毛まで抜かれ放題で未だに騙されているという事なのでしょうか。
さぞやツルツルピカピカになっていることでしょう。

『メグリある金やら物』とございます。
メグリある金やら物とはどのような状態の金やら物と仰っているのでしょうか?
恐縮ながら、霊肉うれしうれし見分ける鏡に照らしてくださいませ。
また、どのようなモノから、ナニからそれが生じているのか。
それは世つぶす基(もと)ともなっているのでございましょう。
何卒、その繋がりをひとつひとつお調べ御覧下さいませ。
皆様、神国神代とは、ばくち、娼妓、四つ足を喰らい、盗みを行い、人を騙し、人殺しをするという国の事なのでしょうか。
御読みくださりありがとうございました。喜拝
かむながらたまちはへませ いやさかましませ
――― ここから次の帖 ――――
一八十(磐戸)の巻 第十一帖
心にメグリ積むと動物のイレモノとなるぞ、神のイレモノ、動物等に自由にされてゐて、それでマコトの神の臣民と申されるか、判らんと申してあまりであるぞ。ゴモク吐き出せよ、其儘にしておくと段々大きくなりて始末にゆかんことになりて、しまいには灰にするより、手なくなるぞ、石流れて、木の葉沈むと申してあろが、今がその世ざぞ。改心してキレイに掃除出来たら、千里先にゐても、ひつきの神とたのめば何んなことでもさしてやるぞ、この神は世界中何処へでも届く鼻もってゐるのざぞ、この世つくりたこの神ざ、この世にわからんこと一つもないのざぞ、神の御用さへつとめて下されたら、心配ごとが嬉し嬉しのこととなる仕組ざぞ、日本臣民ばかりでないぞ、何処の国の民でも同様に助けてやるぞ、神にはエコがないのぞ。一月十三日、 の一二か三。
――― ここから ――――
コトハ(言の葉・九十八・光透波)とは『神をうれしうれし讃える為にある』のでございます。
『キの御用』でもございます。
うれしうれしマコトの言葉を御使いください。
ヒトがどのような九十波を使うのかで、その木の性質が分かり根も分かるのでございます。
石流れてとはイシ(意思、一四)の事でもあり、それが流されれば木の葉(言葉)も沈むでしょう(キも沈む・チも下がる)。
神典ひふみ神示は『どのような行為・行動をすれば獣のイレモノになる』と仰っているのでしょうか?
『実言』が無くなれば、終いには悪キ言葉を放ち神を貶(おとし)めるようになるとも仰っているのでございます。
動物の入れ物と成り下がり、人に必要不可欠である「かへりみるコト」すらできなくなりメグリを積み、霊肉十善の逆をするというコトでございます(身慾信心・ワレヨシ自己中心、一方的ともなり霊主体従の逆が正しいとすら思ってしまう。邪見)。
さらには騙し欺き盗むコトすら日々平気で行えるようになってしまい、カネに魂すら売り渡し、それについて何の疑問も持てなくなる程にチは下がり、他の苦しみを自己の喜びにできるまでになってしまいます(そのようなモノはなんと呼ばれるでしょうか?)。
恐縮ではございますが、言葉として視覚的に分かりやすく打ちましょう。拝
つまり、
不殺生(ふせっしょう)
不偸盗(ふちゅうとう)
不邪淫(ふじゃいん)
不妄語(ふもうご)
不綺語(ふきご)
不悪口(ふあっく)
不両舌(ふりょうぜつ)
不貪欲(ふとんよく)
不瞋恚(ふしんに)
不邪見(ふじゃけん)
上記、霊肉十善を口・心・行を和しマコトに実践しなければイシ流れ土台すら立たず、木が傾き倒れ『葉が沈む』というコトでございます(人としての当たり前のコトすら理屈をコネできないのでございます。ならば盗み騙しが蔓延り、社会にそのようなヤカラが巣食い習慣化し、腐敗汚職が常識化してしまい<逆様>、偽宗教・カルト蔓延りマツリゴトすら盗まれ『私達が苦しみ殺されることにツナガル』のでございます。人だけではなく当たり前な霊肉ともに安全・安心の社会環境ともなりますまい)。拝
この霊肉十善は大きな御神の木(キ・十善で御一柱でもございます。光拝)と観てくださればよい(ちなみに御五柱が『かへりみる、はぢる、くゆる、おそる、さとる』の霊肉不二の実践でございます。何千年も同じことを飽きずにしておられたのですからこれも打たせていただきますが、霊のみに価値を置き一方的となり、肉体をおろそかにすることも邪見なのでございます。どちらともに獣に利用され多くの争いが起こされ我々が苦しんできたでょう。『霊肉不二』であり『霊主体従』足る順を踏まえ霊肉一致した『うれしうれし中行くミチ』が『マコト』なのでございます。しかも恐縮ながらこれはまだ初歩でござます。拝)。
イシ(一四)が流れる事によって『木の葉』が沈み、立(建)たなくなるといふコトなのです(数霊ミスマルノタマもごらんくださいませ。※ 数霊は重要なコトでございます)。
神示の仰るところの『邪見(じゃけん)』というコトなのです。
『今の人間
鬼より蛇より邪見ざぞ、(日の出の巻 第二十帖)』
得心されましたでしょうか。
でございますから『ヒトとは尊ひ神の入れ物』であるのだから、ケモノ(動物)のイレモノとならぬようにチキンと、日々ハラの掃除・洗濯(口・心・行の一致。マコト)を実践せよ、“その後に”国、人ともに写しなさい。と仰られておられるのでございます。光拝(それほどに『潔斎』とは今の人たちが思っておられる以上に重要なコト<根幹>であり大切なコトなのでございます)。
「御五柱・御十柱を立てよ」
と仰ってくださってゐるのでございます。
何よりもまずは潔斎(みそぎ祓)の実践といふコトでございます(九十運動)。
『ア火ハ(『青葉』)の巻 第三帖』を御実践下さいませ。拝
三千年(みちとし)の不二は晴れたり、言答(イワト)あけたり
うれしうれし奥山で待っております。
ひふみ神示、祝詞をうれしうれし九エを出して朗誦してください。
かむながらたまちはへませ いやさかましませ
御読みくださりありがとうございました。光拝
ブログなど更新しております。
恐縮ながら『大泥棒の正体』も含めまして大事な内容でございますゆえに何卒御覧下さいませ。
神のイレモノ、動物等に自由にされてゐて、それでマコトの神の臣民と申されるか、判らんと申してあまりであるぞ。
石流れて、木の葉沈むと申してあろが、今がその世ざぞ。
口だけ文章だけならばマコトではございませんでしょう(それでこの世がどうなっているでしょうか?このままではこの国はどうなりますか?)。 どの集団も「我(身慾・ワレヨシ)」を折り(折中も含めまして)、捨て、マコトの御用に御使えくださいませ。拝
うれしうれし光の国実現の為、各々の御仁様方の御用、御協力、御支援を御縁ある世界大和の皆様に賜りますよう心より願い、御祈り申し上げます。
――― 関連帖 ――――
水の巻 第六帖
アメの巻 第十三帖
――― ここから次の帖 ――――
一八十(磐戸)の巻 第十二帖
マコトの者は千人に一人ざぞ、向ふの国にはまだまだドエライ仕組してゐるから今の内に神の申すこと聞いて、神国は神国のやりかたにして呉れよ。人の殺し合ひ乍りではケリつかんのざぞ、今度のまけかちはそんなチョロコイことではないのざぞ、トコトンの処まで行くのざから神も総活動ざぞ、臣民石にかじりついてもやらねばならんぞ、そのかわり今後は万劫末代のことざから何時迄もかわらんマコトの神徳あたへるぞ。云はれぬこと、神示に出せぬことも知らすことあるぞ。一月十三日、 の一二か三。
――― ここから ――――
今回は、ひふみ神示とはどのようにして水面下で有名になったのか?といふ繋がりから、手塚治虫様の代筆(鉄腕アトム)などもなされた月光仮面、8マンなどで有名な桑田二郎様といふ御方など御紹介させていただこうと存じておりましたが(ひふみ神示関係では「言霊」という漫画を数冊出されております)、取り止め今回はこれを出さねばなりません。
長文でございますが、何卒ハラで御読み下さいませ。拝
神示の仰るところの邪霊集団がいる事を我々は知りました。
つまり、その通り実際に存在していたのでございます。
厭(あ)きれる事に、このような時節となっても、いまだに見てみぬフリなどをしておられるスコタンもおられる始末。
このようなありさまから、人心を惑わし乱し盗む、今のような狂いに狂った国の実状ともなっているのでございます。
いれものつんぼと成り下がり気付かぬ人も多いと存じます。 未だ泥海が当たり前とお思いなのでございましょう。
日本だけでも邪霊集団蔓延り知られているだけでも年間自殺者三万人以上一日百人とも云われており、国の借金1200兆円以上(日々増えているのです)でございます。
世界の餓死者一日何万人以上でございましょうか。
そのような現状にも関わらず、食べ物につきましても投機対象とし、さらに日々食べられる物を大量に捨てております。
このような世のさまから観て取り御実感なさり、今一体我々はどのような段階におり、また状況下におかれているのか?
ではどうすればよいのか?
と、恐縮ながらマコトにかへりみて、口・心・行を一致した潔斎を何卒御実行下さいませ。
それでは当帖につきまして打たせていただきますが、「どえらい仕組」とございます。
つまり一般的な常識(思い込まされている日常的なさま)から離れた「どえらい仕組」なのでございましょう。
今までの我々が知っている科学的な所謂(いわゆる)一般常識ではないといふことでもございましょう。
ハラが無い化け物、悪霊憑きの所業等(キが違っている)でございますから、どのような人道を外れた仕組なのか?といふ事なのでございます。
このどえらい仕組に対処する為には、
イシを持たなければなりませぬ。
イシと申しましても、今の善悪すら知らぬところのイシではございません。
恐縮ながら、今回打たせていただく内容も大変に重要でございますのでハラで御取り御気を付けくださいませ。
皆様、大泥棒集団は、その名の通り隙あらば盗もうとする算段でございます。
霊肉十悪を起こすような邪念・衝動などを起こし起こさせ、盗もうとしております。
念を押して打たせていただきまするが、例(たと)えではございません。
恐縮ながら、どのようにハラ無しの邪霊集団がコヤツラに操られているのかお知りしょうか?
大泥棒集団がイマ、ナニを行っているのか、観得ておりますでしょうか。
こやつらは、たわけた事に正神側のひふみすら盗もうとしておりました。
日々、数を盗もうとし、
日々、言葉を盗んでおります。
日月神示を信奉する皆様、恐縮ながらこれがどのような御恩知らずなイミなのか御分かりならば幸いと存じます(ならば、とんでもない事を目論む異常集団だと知ったでしょう)。
マコトに実践なさっておられる御方はピンと得心なさると存じますが、“このようなイクサ”も行われてゐる最中でございます。
ですから御神示が必要となるのでございます。
当サイトを御読みくださっている皆様は、僭越ながらどちらを選択するのでしょうか(勿論中行く真中を御実践なさる事を願い上げます)。
念を押して打たせていただきますが、譬(たと)えではなく、
人々を乗っ取ろうともしております。
何卒、御気をつけくださいませ。
もうはじまっているのでございます。
誠に恐縮ながらくどくどと打たせていただきますが、この意味をハラから治め得心くださいませ。
盗まれぬ為には、正法(マコトのイシ)を御し持たなければなりません。
順を治り知り霊主体従、神人合一、天地不二をハラにシッカリ鎮め治め、口・心・行を一致させ、
かへりみる、はぢる、くゆる、おそる、さとるの五つの働きを正しく“順に”霊肉十善に照らし合わしくださいませ。
正法とは学・理屈ではなくミチであり、御実践なさらないと意味がございません。
マコトの真中行くミチでございます。
これを実践するイシをシッカリとお持ちでないならば盗まれると御知りくださいませ。
ハラから何卒、何卒御知り下さいませ。
そのコトにつきましてはハラから皆様に御伝えしていると存じます。光拝
誠に恐縮ながら、大切な時節でございますから失礼し、これも打たせていただきますが、御神示が分かると申して取違い鼻高になりませんように願い上げます。
我々とは尊ひ神の入れ物(器)であり、何も知らないのでございます。
何も知らない我々でございますから、どうか日々驕(おご)り高ぶる事なく赤子心でシッカリと正しく観させていただき、盗まれぬように日々みそぎ祓を実践し御気を付け下さいませ。
また時節的に外の現象とは、邪心が凝りて起こされている事でございます。
惑わされぬように願います。
打てぬ事もたくさんありますが、日々裁かれているのでございますから、はじめの一を何卒、消さない(消されない)ように願い上げます。拝
額の目を正しく御使いくださいませ。
恐縮ながら、はじめ(一)の遣り方は、すでに出させていただいております。拝
誠の大切事でございます。
目を暫(しば)し瞑(つぶ)りイキを整え、日々御実践くださいませ。
日々是イクサでございます。
ひふみ神示を声を上げ朗誦(拝読)し、祝詞を唱え、カイの御用などもチキンと御実践下さいませ。
これも必要不可欠な、日々のみそぎ祓いでございます。
神示の仰るマコトとは、全てが不足なく足りて鳴り成るのでございます。
よく御自分を日々、正法に照らし御観察下さいませ。
大泥棒集団にバカサレ騙され盗まれる事なきように願い上げます。
何の事か御分かりになると存じますが、あのような外道集団、ハラ無しバケモノ集団が世を乱し、人心を誑(たぶら)かし、霊肉人々を苦しめてきたのでございます。
日々、こやつらは負けておる事すら知らぬ始末。
改心改善せよ、大泥棒集団よ。
御読みくださりありがとうございます。
かむながらたまちはへませ いやさかましませ
光拝
――― ここから次の帖 ――――
一八十(磐戸)の巻 第十三帖
コトちがふから、精神ちがふから、ちがふことになるのざぞ、コト正しくすれば、正しきこととなるのざぞ。日本の国は元の神の血筋のまじりけのないミタマで、末代
世治めるのざ。何事も末代のことであるから、末代動かん様に定めるのざから、大望であるぞ。上の臣民この儘(まま)で何とか彼んとかいける様に思ふてゐるが、其の心われよしざぞ。今度は手合して拝む許りでは駄目ざと申してあろが、今度は規則きまりたら、昔より六ヶ敷くなるのざぞ、まけられんことになるのざぞ、神魂(カミタマシ)の臣民でないと神の国には住めんことになるのざぞ。 この世治めるのは地の先祖の生神の光出さねば、この世治まらんのざぞ、今度はトコトン掃除せねば、少しでもまぢり気(け)ありたら、先になりてまた大きな間違ひとなるから、洗濯々々とくどう申してゐるのざ。神は一時は菩薩とも現はれてゐたのざが、もう菩薩では治まらんから、愈々生神の性来現はしてバタバタにらちつけるのざぞ、今の学ある者大き取り違ひいたしてゐるぞ。大国常立尊大神と現はれて、一時は天もかまひ、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、 (モト)の (ニホン)の (カミ)の光りクッキリ現はさなならんと仰せあるぞ、早う洗濯せんと間に合はんぞ。この道の役員、吾は苦労して人助けるのざぞ、その心でないと我出して吾のこと思ふてゐるとグレンざぞ。仏もキリストも何も彼もスカリと救はねばならんのざ、殺して救ふのと、生かして御用に使ふのとあるぞ、今度はハッキリ区別するのざぞ、昔からの因縁ざぞ。この方のもとに参りて、昔からの因縁、この先のこと克く聞いて得心出来たら、肚の底から改心してマコトの御用結構につとめあげてくれよ。逃げ道つくってはならんぞ、二つ三つ道つくってはならんぞ。ますぐに神の道に進めよ。神の道は一筋ざと申してあろが。何なりとそれぞれの行せねばマコトのことは出来んのざぞ、世界の片八四浜辺からいよいよが始まると知らしてあること近うなりたぞ、くどい様なれどさっぱりと洗濯してくれよ、神の国は神のやり方でないと治まらんから今までの法度(はっと)からコトから、やりかたかえて、今迄はやりかた違ってゐたから、神のお道通りに致しますと心からお詫びせねば、する迄苦しむのざぞ、この苦しみは筆にも口にもない様なことに、臣民の心次第でなるのざから、くどう申してゐるのざぞ、何も彼も神にささげよ、てんし様にささげよと申してあろがな、それが神国の民の心得ぞ、否(いや)でも応(おう)でもそうなって来るのざぞ。神国の政治経済は一つざと申してあろうがな、今の臣民に判る様に申すならば、臣民働いてとれたものは、何でも神様にささげるのざ、神の御社は幸でうづもれるのざぞ、御光輝くのざぞ、光のまちとなるのざぞ。神からわけて下さるのざぞ、其の人の働きによってそれぞれに恵みのしるし下さるのざぞ、それがお宝ぞ、お宝徳相当に集まるのざぞ、キンはいらんと申してあろがな、元の世になる迄に、さうした事になってそれからマコトの神の世になるのざ。神の世はマツリあるだけぞ、それ迄にお宝下さるのざぞ、お宝とは今のお札(さつ)の様なものざぞ。判る様に申すなら、神の御社と臣民のお役所と市場と合した様なものが、一時は出来るのざぞ、嬉し嬉しとなるのざぞ、マコトのマツリの一(ハジメ)ざぞ。このことよく肚に入れて一二三(ひふみ)として説いて、早う上の守護人殿にも、下の守護人殿にも知らして、安心して、勇んで暮す様にしてやりて下されよ。それも臣民の心次第、素直な人、早う嬉しくなりて、心勇むぞ、さびしくなりたらたづねて御座れと申してあろがな。一月十三日、 の一二か三。
――― ここから ――――
当帖は、磐戸の巻 第十三帖でございます。
「神魂(カミタマシ)の臣民」とは、どのような臣民でございましょうか。

御神に心向けられ、御神示をマコトにうれしうれし拝読され洗濯してくださいませ。
御読みくださりありがとうございました。喜拝
かむながらたまちはへませ いやさかましませ
――― ここから次の帖 ――――
一八十(磐戸)の巻 第十八帖
今度の御用は世におちて苦労に苦労した臣民でないと中々につとまらんぞ、神も長らく世におちて苦労に苦労かさねてゐたのざが、時節到来して、天晴(あっぱれ)世に出て来たのざぞ、因縁のミタマ世におちてゐるぞと申してあろがな、外国好きの臣民、今に大き息も出来んことになるのざぞ、覚悟はよいか、改心次第で其の時からよき方に廻してやるぞ。改心と申して、人間の前で懺悔するのは神国のやり方ではないぞ、人の前で懺悔するのは神きづつけることになると心得よ、神の御前にこそ懺悔せよ、懺悔の悪きコトに倍した、よきコトタマのれよ、コト高くあげよ、富士晴れる迄コト高くあげてくれよ、そのコトに神うつりて、何んな手柄でも立てさせて、万劫末代名の残る様にしてやるぞ。この仕組判りたら上の臣民、逆立ちしておわびに来るなれど、其の時ではもう間に合はんから
くどう気付けてゐるのざぞ。臣民、かわいから嫌がられても、此の方申すのざ。悪と思ふことに善あり、善と思ふ事も悪多いと知らしてあろがな、このことよく心得ておけよ、悪の世になってゐるのざから、マコトの神さへ悪に巻込まれて御座る程、知らず知らずに悪になりてゐるのざから、今度の世の乱れと申すものは、五度の岩戸しめざから見当とれん、臣民に判らんのは無理ないなれど、それ判りて貰はんと結構な御用つとまらんのざぞ、時が来たら、われがわれの口でわれが白状する様になりて来るぞ、神の臣民はづかしない様にして呉れよ、臣民はづかしことは、神はづかしのざぞ。愈々善と悪のかわりめであるから、悪神暴れるから巻込まれぬ様に褌しめて、この神示よんで、神の心くみとって御用大切になされよ。一月十四日、 の一二のか三。
――― ここから ――――
磐戸の巻 第十八帖でございます。
当帖「大き息」とは「どのような息」のことでございましょうか。

因みに御神示の各巻には次のような御言葉がございます。
「神の身体から息出来ぬ様にしてゐるが、」
「足からお土の息がはいるのざぞ、臍(へそ)の緒の様なものざぞよ、」
「皆がそれぞれに息する道あろがな。野見よ森見よ。神の経済よく見よ。」
「光食へよ。息ざぞ。」
各々の帖うれしうれしご拝読くださいませ。
「因縁のミタマ世におちてゐるぞと申してあろがな、外国好きの臣民、今に大き息も出来んことになるのざぞ、覚悟はよいか、」
当帖にございます「大き息」とは「人民」が、無意識に行っている呼吸のことではございません。
どうも邪霊憑の泥棒集団は、御神示を盗み、「大衆の呼吸器・循環器、心臓」などを加害し、苦しめる所業も行っているようです。
自分らが、「神にでも化けるつもり」でございましょうか。
神・仏すら知らぬ「モノ」が神になろうとするなどとは、あまりにも滑稽ではございませんか。
いったいこやつらは「ナニ」になろうとしているのか。
オクビョウモノの「バケモノ」に、でございましょう。
あたりまえのようにマスコミなどで流されている病、変な病すらも、このモノらが自然に見せかけ、裏で隠れて行っているシワザでございます。
逃げに逃げたあげくの臆病者の狂いに狂った末路の姿と所業。
こちらの仕業にしましても、「そんな馬鹿な」とほっておけば、人民は赤子まで巻き込まれ多くが苦しみ殺されることでございましょう。
ですから「見せてはならん」と仰っていたのでございます。
マコト無く、キチガイが使えば人動物などを苦しめる道具と成り果てます。
この憑物どもが使えば、聖典・聖書・仏典も、ただただ己の為、御柱の逆の行為・行動をする為に利用するだけでございましょうに。
ですから、今の世があるのでございます。
キチガイとは、自分ではキチガイだと気付いてはいません。
恐縮ながら、盲つんぼを誑かし集団化させ邪霊集団と成り果てます。
逆にマコトの方々を、キチガイに見せかけることまで行うでしょう。
鍵無くハラ無しの状態にて、勝手に解釈を行い人々を甘言にて惑わし、ナニ様のように人に苦しみを与え剰え殺し、家族身内すらも諍い口実を与え殺させ、盗み騙し人々を争わさせ戦争すらも行わせるのでございます。
その行為行動・所業を観れば、どのようなモノに使われているのか分かりましょう。
ですが、この仕業にすら、誠に恐縮ながらあなた方は一方しかミえず、目・耳を塞ぎ、口を噤み御気づく事は難しいでしょう。
かむながらたまちはへませ いやさかましませ
御読みくださりありがとうございました。喜拝
「息とは初のキであるぞ、気であるぞ。」
「神示通り出て来ても、まだ判らんか。神示は神の息吹きぢゃ。心ぢゃ。口上手身振り上手で誠ない者この方嫌ひぢゃぞ。」
――― ここまで ――――

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