黄金の巻

第十帖

 もう化けては居られん。化けの世はすんだのであるから、人民ウソしてはならんぞ。嘘見分ける鏡 与へてあるぞ。早う改心なされ。仏の取り次ぎ、キリストの取り次ぎ、天理、金光、大本の取り次ぎさん、早う改心結構ぞ。アラーの取り次ぎさん、道教も同様ぞ。人間はいつも創られつつあるものぞ。これでよいと云ふことはないぞ。ゴッドも仏も神も皆その通りざぞ。世の中も、大千世界も亦同様ぞ、つくられつつあるのぞ。愛と云ひ真と云ふも皆方便ぞ。何れも誠の現われであるぞ。はうべんの世はすみてハウベンの世となるぞ。そのハウベンの世すみて誠の世となるのぢゃ。善悪なき世となるのぢや。判りたか。かのととりの日。一二十(ヒツキノカミ)


――― ここから ――――


当帖を失礼致します。


誠に恐縮ながら、釈尊(仏教)の例が分かり易いでしょうか。

御釈迦様が開かれた法は、その時代・背景・環境におきまして『最善最適の道』でございました。


『何も付け足すこと無い最善最適の道』でなかったと云われるものはおりますまい。


釈尊なのでございますゆえ。


その道が加上等され、本質が化け、二義的となってしまいました。


尊ひ他の御方々も『御道』を開かれました。

それが全て二義的になっているのでございます。

つまりうれしうれし誠ではなくなっている。


御恩知らずにも時代の権力背景、金・利益・利害の為、改ざんされ、口先だけカタチだけの形骸化となってしまった。


含みも多々ございますが、このままでは人民ふくめましてどうなるのか得心されましょう。

ゆえに誠の改心(霊肉一体の行)が必要である。

『嘘見分ける鏡』を与えてあるのだから、それを使い立ち返りなさい。

と仰られているのでございます。



後半の他巻ではオク、含みもございますが、

これもまた、霊肉潔斎されていないハラ無しモノならば、

鼻高々に身慾信心、“もっともらしい理屈”で周りを巻き込み、さらには悪事に加担させ、不毛となりましょう。



誠に恐縮ながら、うれしうれし日々改心改善、口・心・行を揃えを入れなさり『立体の真道』をゆうゆうと御進みくださいませ。



かむながらたまちはへませ いやさかましませ

御読みくださりありがとうございました。喜拝



新しきカタはこの中からぞ。日本からぞ。日本よくならねば世界はよくならん。




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黄金の巻 第十七帖

 神、拝しても筋違ふと水の泡ぞ。まだ迷うてゐるが、それでは仕組成就せんぞ。褌しめて一本道の真心結構。金がよければ金拝め。人がよければ人拝めよ。神がよければ神拝め。かのととり。一二十


――― ここから ――――


褌しめて一本道の真心結構。



内の自分に火を御つけくださいませ。

理(ミチ)は一本。

褌をただしめるだけでは意味がございません。


誠に恐縮ながら、御恩を御知りくださり、

区別、順をわきまへくださり、

マコトにうれしうれし御五柱、御十柱を御建てくださいませ。



御読みくださりありがとうございました。喜拝

かむながらたまちはへませ いやさかましませ




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黄金の巻 第二十二帖

神まつれ、祖先まつれ、子孫まつれ、心まつれ、言葉まつれ、行まつれ、食物まつれ、着るものまつれ、住居まつれ、土地まつれ、感謝感謝で喜び来るぞ。奇蹟では改心出来んのであるぞ。かのととりの日。ひつ九十


――― ここから ――――


様々な動きがございますゆえ御注意してくださいませ。


それでは誠に恐縮ながら当帖を失礼致します。
「まつれ」とございます。


「神まつれ」

「祖先まつれ」

「子孫まつれ」

「心まつれ」

「言葉まつれ」

「行まつれ」

「食物まつれ」

「着るものまつれ」

「住居まつれ」

「土地まつれ」


言だけ読めばなんとも簡単でございます。


恐縮ながら「まつれ」とは、どのようにしたらよいのでしょうか?



かむながらたまちはへませ いやさかましませ

御読みくださりありがとうございました。喜拝



『悪の仕組は、日本魂をネコソギ抜いて了ふて、日本を外国同様にしておいて、一呑みにする計画であるぞ。日本の臣民、悪の計画通りになりて、尻の毛まで抜かれてゐても、まだキづかんか、上からやり方かへて貰はねば、下ばかりでは何うにもならんぞ。』

『尻の毛まで悪魔に抜かれてゐて まだ判らんのか、あんまりな事ぢゃなあ。』

『向ふの云ふこと、まともに聞いてゐたら、尻の毛まで抜かれてしまふのが、神にはよく判りて気つけてゐたのに、今の有様その通りでないか。まだまだ抜かれるものあるぞ。』

『尻の毛まで抜かれてゐると申してあろう。早うめさめよ。悪の道、教にまだ迷うて御座るが、早うめざめんと間に合はんぞ。』

『だまされて御座る人民多いのう、何と申したら判るのであるか、奇跡を求めたり、われよしのおかげを求めたり、下級な動物のイレモノとなってゐるから、囚われてゐるから、だまされるのぢゃ、霊媒の行ひをよく見ればすぐ判るでないか。』

『大和魂とは神の魂ぞ、大和の魂ぞ、まつりの魂ぞ、』


祓え祝詞等

サニワの方法(内観)




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黄金の巻 第二十四帖(五三五)

 口で知らすこと判る人には、判るぞ。大切なことはミミに聞かしてあるぞ。天狗ざから、軽く見るから分らんのざぞ。神示はいらんのぢふではカスぢゃぞ。(テン)を見失ってゐるぞ。(テン)あるのが判るまい。云ふてならん。仕組は出来上がらんと、人民には判らん。仕上げ見て下され。立派ぢなあ。で悟りて下されよ。云ふだけで聞けば実地に出さんでもよいのぢ。実地には出したくないのぢ。この道理、よく悟りて呉れよ。実地に出しては人民可哀さうなから、こらへこらへてくどう申してゐる内に、早うさとりて下されよ。かのととりの日。一二十


――― ここから ――――


天狗ざから、軽く見るから分らんのざぞ。


当たり前のコトがとても大切なのでございます。拝
ですが“この当たり前”すらも恐縮ながら今の人々は分からないのでございます。
なぜでございましょうか?

此度の“二つの帖”は心して深く広く“ハラ”で御読みくだされば幸いと存じます(イメージし考えながら何卒御読みください。とてもとても重要なコトなのでございます。恐縮ながら宜しく御願い致します。拝)。



神示はいらんのぢやふではカスぢゃぞ。


上記はハラが治まっていない状態ならばどのように解釈されますか(因みに“神示はいらない”といふ意味はございません)。


何のためにひふみ神示があるのでしょうか。

(また『九(コ)の道は中行くミチ』でも打たせていただきましたが、“なんのために宗教があった”のでございましょうか)


今の時節、とても重要な帖なのでございます。

根本についても恐縮ながら打たせていただいております。
神示にございますように、


ヽ(テン、キ)を見失ってはおられませぬか?


また日本、自分だけがよければとも思ってはおられませぬか?

邪念を感じておられる御仁もおられると存じますゆえに、チキンと打たせていただきますが、

災いを求めたり、不安、恐怖のみを煽(あお)ったり、またそれにより、結果喜ぶ(興奮含め)人達が見受けられますが、その心根はドコに繋がっているのでしょうか。

いいですか?よくよく意味を御理解ください。我々人類にとってとてもとても重要な意味を打たせていただいております。内的な意味、内実、心の問題として打たせていただいております、コノ心の問題が戦争、人種、民族、途上国、家畜、環境、全ての人災<厄、禍>に繋がっている重大な問題だと打たせていただいております。拝)


念をおしますが恐縮ながらとてもとても大切な事なのでございます(またコの問題とは、心有る多くの日月之民がうれしうれし“御用されております”が、その邪念が“キの御用等”の大変な邪魔となるのです。御用されておられる方々、頭が下がります。光拝)。
注意深く御自分のハラ(心根)をよくよく観つめていただきたく存じます(もはやコノ意味すら分かりませぬか?恐縮ながら「御自分の心の動きを観察してください」と打たせていただいております)。

結果、“貴殿らの心の動き”とは、災い・禍を求めるハラヅモリに繋がって(陥って)はおられませぬか?

その苦しみを喜び等と勘違いするハタラキにより本来無い地獄をワザワザ作り出し、我々多くの生き物が殺され、あるいは霊肉傷つくといふコト(どのような理由にしろそれを望んで喜ぶ、興奮するジブンがおられませんか?)にも繋がるのでございます。


でございますから(いいですか?恐縮ではございますが、目を瞑り、よくよく心の眼を開きココロで御考えください。災い禍が起これば我々生き物はどうなるでしょうか?苦しみ殺されるのです。人ならば家族がおりましょう、御自分が同じ状況ならばどのように感じ苦しむでしょうか?例えば洪水等で被災された人達の直接的苦しさをシルには水に顔をつけてごらんなさい、呼吸できない苦しい状態を想像していただきたい、そのように心あるヒトならば『相手の立場になって実感しなさい』と神示は仰っているのです)、不安、恐怖のみを煽ったりする心根とは、『他の苦しみを願い喜ぶ魔が、巧妙に心(ハラ)に巣食っている』といふコト(アカシ)なのでございます。


何度もくどくど打たせていただいておりますが、この重要な全ての問題の根幹足る『内的な動き(ハタラキ)』に未だに気づかれない人々が多いと存じます(ゆえにタマのイクサだと神示は仰っているのでございます。光拝)。

(各ブログも含め某掲示板等を見て御覧なさい、邪霊、獣のおもちゃにされた人達、心無い工作員も含めての巣でございます。恐縮でございますが、それを見て、また面白いと感じ入るならば類はなんとやらでございましょう。他の苦しみを自己の快楽としているヤカラまでゐる始末、「他人の不幸は」という漫画等まであるそうでございます。このような人達が居り、さらにワザワザ造り出す限り我々が真に心休まる時はないでしょう。カルトに洗脳されている人達も含め犯罪予備軍がウジャウジャいるのでございますから、その危険性を少しは実感されているでしょうか?)



よく己を監視しサニワしていただきたく存じます。

(内観すれば得心されますが、よく分析すれば“巧妙に善の仮面を被っておりますが、実は悪といふ意識”<念といいましょうか>も居るのでございます)



サニワの方法(内観)

霊の発動をとめて、静かにする法(龍音之巻)


恐縮ながら、当サイトを御読みくださり(感謝)、まだ聴けるのならば何卒御実践していただきたく存じます。
神示とは学・理窟ではなく『うれしうれし実践・行動・努力する為にある』のでございます。
土台(人としての基本、基礎、五つの働き)がシッカリと治まった(御恩、感謝、実践)ならば心之御柱が建ち、マコトに御教えていただけるのでございます。光拝

ならば恐縮ながら、御魂の段階により、うれしうれし神宿るのでございます(無論カイ之御用<食べ物>も関係するのでございます)。

メールくださった方々にもありがたく御伝えさせていただいておりますが、額の目を何卒御使いください。拝


額について(一)




神の国の元のミタマと外国のミタマとスッカリ取換へられてゐるのにまだ眼覚めんのか。神の国は真中の国、土台の国、神の元の鎮まった国と申してあらうがな。神の国であるぞ、我さへよけら、よその国、よその人民どうなってもよいといふ程に世界の臣民、皆なりてゐるが、表面(うわべ)ばかりよい事に見せてゐるが、中は極悪ぢゃ。(一八の巻 第八帖 三七三)


上記帖を合わせて御覧下さい。



何千年と“偶像崇拝(カタチ、格好のみで内実がまるでない)”ともなっていたのでございます。

恐縮ながら、まだそれに気付かず(真実から逃げ)続けようとするスコタンもおられますが、それはある意味過去からの因縁(メグリ)なのでございます(目に観えるカタチにおきましても“偽宗教的形態(邪教、実は我々を霊肉苦しめ、しかも悪業を積ませるカルト)”は何千年とカタチを変え(化け)作られ現在もありますでしょう。
それにより我々を霊肉惑わし苦しめてきたのでございます。
もういい加減に歴史に習い“ソコから離れ、断たないとならない”コトを御気づきください。
我々がソレに騙されて散々苦しめられ殺されてきたのでございますから、まだ懲り(コリ)ず続けるキなのでございましょうか?『自分だけ良ければ』と思いなさるなよ、個の繋がりから我々が霊肉苦しみ殺されるのでございますから何卒ご勘弁のホドを)。


さらに、現世においても未だ目覚めずメグリ(他を惑わし巻き込む)を日々セッセと積んでおりますから(集団化し増長・暴走した妄想が心的慣性力も含め固定化している始末。神示的には“集団の憑き物”となっている状態)、もはや声も届かず遠く外れておられる人もおられると存じますが、何卒御自分、御先祖様、御家族様、御子様の現在、過去、未来、イマの為にも御戻り気(キ)を付けていただきたく存じます。拝



そなたは口をつつしめよ。そなたは一度 神をすてよ。神にしがみついてゐるから、小さい囚われた、ゆとりのない神を、そなたがつくり上げてゐるぞ。信ずれば信ずる程 危ないぞ。大空に向って大きく呼吸し、今迄の神をすてて心の洗濯をせよ。神を信じつつ迷信におちてゐると申してあること、よく心得よ。(月光之巻 第五十一帖)


顕斎的意味(ゝを忘れずに)でも打たせていただいております。

(恐縮ながら善の外道の方々含め洗脳から解かれますように、現在の貴殿らの教義が『霊肉十善に一つでも合わないのならば』間違いなく邪教でございます<十善の逆をすればどうなるでしょうか?>。また現在の自称宗教が本物の御教えであったならば、人殺しの武器を現在もワザワザ作り続け、カネの為に他を騙し苦しめ殺すような事もおきますまい、また人の基礎・基本から外れる行為・行動である霊肉十善の逆<十悪、無論他から盗んだ情報を知っているならばそれは外道の一味に組みしている証拠>を行わせることはないのでございます)


恐縮ながら現在まで宗教だと思い込んでおられるモノとは『口・心・行一致せず、実践なく、口先のカタチだけであり、内実(テン)がまるでない』のでございますから世の実情を観るならば『マコトではなかった』と分かると存じます。拝

(『祈りについて』を御参照くだされば幸いと存じます)。



早うさとりて下されよ。



当帖に戻りますが、二回目のさとる”とは五つの働きの『かへりみる、はぢる、くゆる、おそる、さとる』の“さとる”でございます。


つまり日々「かへりみよ」改心・改善せよ。

間に合わなくなる、一日も早く気づけよ

と仰られてゐるのでございます。拝


己の心根に地獄があるから、地獄を作り出すのでございます。

本来地獄とは無いのでございます(つまり現在の人々の心根は自分がよければ他がどうなってもよい、無関心という有り様であり、御恩を知らず順を知らず、知らないといふ事すら知らず、テンなく『本来無い地獄に住んでいる有り様』なのですから、恐縮ながらあの世ではうれしうれし天国に行けない(心根、段階が違うのですから住めない)という道理となるのでございます)。


恐縮でございますが何卒、国、人共にあらゆる場(場加)で、「さとらせて」いただけるやうに「みそぎ祓を実践」していただきたく存じます。


かむながらたまちはへませ、やさかましませ
うれしうれし『マコトの光の国実現』を心より御祈り申し上げます。

御読みくださりありがとうございました。光拝




――― ここから次の帖 ――――


黄金の巻 第二十九帖

 二二の盗み合ひ、世の乱れ。心して怪しと思ふことは、たとへ神の言葉と申しても一応は考へよ。神の言葉でも裏表の見境なく唯に信じてはならん。サニワせよ。薬、毒となることあると申してあらうが。馬鹿正直、まことの道 見失ふことあると申してあらうが。道は易し、楽し。楽しないのは道ではないぞ奉仕ではないぞ。世界に呼びかける前に日本に呼びかけよ。目醒まさねばならんのぢや。それが順序と申すもの。神示で知らしてあらうが。ここは種つくるところ、種は人民でつくれんぞ。神の申すやう、神の息戴いて下されよ。天の道、地の道、天地の道あるぞ。人の道あるぞ。何も彼も道あるぞ。道に外れたもの外道ぢやぞ。前は一筋ぞ。二筋ぞ。三筋ぞ。曲ってゐるぞ。真直ぐであるぞ。心得なされ。節分から(オーヒツキオーカミ)と現れるぞ。讃えまつれ。三年の大ぐれ。かのととり。一二十


――― ここから ――――


神の息 戴いて下されよ。とございますが、どのようにすれば、神の息を戴けるのでございましょうか。



当帖には、サニワせよ。とございます。


皆様、自分すらかへりみれないモノが、他のことをかへりみることが出来るでしょうか?

人としての基礎・基本すら守れないものが、他人のことをあれやこれやと判断すら出来ないといふ事でございましょう。


ご自身のことすら、ご判断が出来ないのでございますゆえ。


自己霊肉サニワできないモノは、“他をサニワする以前の問題”だといふ事でございましょう。


道すら外れているのですから、己の行ってきた悪事悪業すら、御光を、うれしうれし真上真中にあて観ることすらも出来ません。

逃避から生じた妄想、御神示・聖典・聖書すらも改ざん、改変、さらに月日を積み重ねた妄想の構築、ガイコク、その本来無い地獄逃げ込みます。


詰まる所、地獄そのものになり下がっているといふことも得心されるのではないでしょうか。


ご自分の犯罪、大罪を隠すために、偉ぶり、権威付けを行い、儀式化を行い、周りを惑わす。

ただ臆病モノが、己から逃げるために、猟奇的に行動する心理にも似ていると存じます。


しかもさらに狂いますゆえ、特徴としまして、顕示誇示を行うまでになり下がりまする。

それが集団、組織化すれば、どうなるのでございましょうか?


泥棒、邪霊集団そのものが、本来無い地獄そのものであることが得心されるのではないでしょうか。



御読みくださりありがとうございました。喜拝

かむながらたまちはへませ いやさかましませ




――― ここから次の帖 ――――


黄金の巻 第五十帖

 口で云ふことよくきけよ。肉体で云ふこと、神の申すこと、よく聞きわけ下されよ。霊媒通じてこの世に呼びかける霊の九分九分九厘は邪霊であるぞ。はげしくなるぞ。世界一平まだまだ出来さうで出来ない相談。奥の奥、見通して下され。うごきは必要であれど、皮むくぞ。次も駄目、次も駄目、その次の次がまことの一家ぢや。寒い所暖かく暑い所涼しくなるぞ。仏には仏の世界はあれど、三千年でチョンぞと申してあらう。神示しめすに、順乱して来るぞ。慾出して下さるなよ。順乱れる所に神のはたらきないぞ。人民自由にせよと申して、悪自由してならん。(十二月七日)一二十


――― ここから ――――


恐縮ながら当帖は、霊媒の類を行うもの、いわゆる現在のスピリチュアルなどに関係する人々も含めまして、ありがたく事前の警告をされている内容でございます。


霊媒通じてこの世に呼びかける霊の九分九分九厘は邪霊であるぞ。はげしくなるぞ。と、仰られております。


こやつらの仕組に騙されていては、バケモノとなってしまいましょう。

人や動物を操るハイテクノロジー技術すらも存在致します。

例えではなく、憑依、乗っ取ることが可能でございます。

まさに悪霊の類でございます。


さらに、まるで神と対話しているように錯覚させることも可能でございます。

つまり、この邪霊の仕組により、騙されるモノが後を絶たず、蔓延ると仰られております。

その口から放つは、悪霊、邪霊の悪臭でございましょうに。


世界中の情報を取得し精査くださいませ。

この件にて、邪霊集団どもに加害すら受けています人々が存在致しますのでお調べくださればと思います。

すでに異常な事態となっております。

民衆の悲鳴に、どうか御気付き、ご傾聴ください。





このようなモノに乗っ取れた人たちは、ふわふわと頑なに信じて疑わず、非常に観念的でございます。

ご自分で「コレこれはコレなど」と、そのように思われたとしても、実のところは邪霊集団に“そのように思わされてるようにコントロールを受けております始末”。


霊媒の行を、霊肉うれしうれしサニワせずして行うといふ事は、現在はさらに、大変危険でございます。

ご自分では、偉い神、高位の神霊などと通じておられると、思いこんでおられますが、この段階におきまして恐縮ながら、それこそが騙されている一つの見極めともなりましょう。

妄言を吹聴し、周りすら巻き込み悪行を積み重ね、邪霊集団の玩具(おもちゃ)にされまするので、誠に恐縮ではございますが、御気を付けくださればと存じます。


下手をすれば、本当のきちがい(狂人)となり下がってしまいましょう。





当帖にて誠に恐縮ながら、お伝えしております邪霊集団とは、元は人でありましたが、外道になり下がり、邪霊の入れ物となったハラ無しのバケモノ。

ご自分に向き合うことから逃げ続けた、所謂がいこくに逃げた臆病者モノ集団の事でございます。


日々うれしうれし掃除洗濯を願います次第。



かむながらたまちはへませ いやさかましませ

御読みくださりありがとうございました。喜拝




――― ここから次の帖 ――――


黄金の巻 第五十一帖(五六二)

 喜べよ。よろこびは弥栄のたね蒔(ま)くぞ。祈りは実行ぞ。云はねばならんし、云へば肉体が申すやうに思っておかげ落すし、判らんこと申すやうに、自分のものさしで測るし、学の鼻高さんには神も閉口。(十二月七日)一二十



――― ここから ――――



喜びとは「キ」とも読みますが、御恩・感謝を知ることは、よろこびを御伝え出来る「用」でもございます(同じく祈りも「キ」とも読みます)。

当帖で仰られているように「祈りとは実行」でございます。

と、申しましてもマコトの喜びの事であり、マコトの祈りは実行だと仰っているのでございます。拝

他の苦しみを喜びと取違い勘違いし、また快楽と感じれるような盗み騙し奪う事をなんとも思えない腐った心根(喜びから外れた外道)の事ではございません。
このような入れ物ツンボとなり下がったハラ無しのスコタンは、人(ヒト)としても論外ではございますが、神示を信奉なさっている皆様におきましてはおのもおのもの我の段階により様々によころび感じ取れると存じます。

では、御神示を日々拝読なされていますの皆様
どのような「喜び」と神示は仰っているのでしょうか?
何を「喜べ」と仰っているのでしょうか?

段階、段階におきましても、大変に重要なイミだと分かるでしょう。拝



恐縮ながら当帖は短いですが、神典ひふみ神示の御言葉は凄まじいイメージ(歓喜)の塊(油)でございます。

頭が下がる思いでございますが、日々うれしうれし潔斎(みそぎ祓)されています皆様のハラに響いていると存じます。
恐縮ながらさらに辿り(噛み)御覧になりくださいませ。

山を登る御方は実感して湧く(味はひ)と存じますが、登山は岩、川、木々、斜面、足元の具合などがあり真直ぐには行けますまい。
心身の状態、遭遇する動物や気温、天候にも影響されると存じます。

でございますから、うれしうれし無理することなく曲がって真直ぐ進むのでございましょう。

山登りは大変だと存じますが、喜びますますおしくださいませ、松心弥栄弥栄。拝



ひふみ神示を無理なくうれしうれし御縁ある御方七人にマコトに御伝えください。

益々あかるくなりますゆえ益々喜び拝読くださいませ。

かむながらたまちはへませ いやさかましませ


御読みくださりありがとうございました。喜拝







――― ここから次の帖 ――――


黄金の巻 第六十一帖

 自分のみの信仰は、私心私情のため、自己つくりてから人を導くのぢやと理窟申してゐるが、その心根洗つて自分でよく見つめよ。悪は善の仮面かぶつて心の中に喰入ってゐるぞ。仮面が理窟、理窟は隠れ蓑。(十二月七日)一二十


――― ここから ――――


当帖を打たせていただく前に「日の出の巻二十三帖」を打たせていただこうと存じておりました。

それをまずは、少しだけ打たせていただきます。


徳を積むといふことは、高い世界との御縁を結ぶといふ事なのでございます。

徳を積めば積むほどご縁をいただき高い世界からの御導きがあるといふことなのでございます。


では誠に恐縮ながら、ここでいふ『徳』とはなんでございましょうか。

かむながらたまちはへませ いやさかましませ



さて、当帖を失礼致します。

『霊肉の鏡』を日々掃除しておられる御方は得心されると存じますが、何事も鏡に照らせば観させていただけます。


日々うれしうれし磨くことで、御自身内部の情報、外界の情報を観た際、ソレが“どのようなモノなのか、また方向”なのか、“正体を判別する”こともできます。


しかし、潔斎すらできぬ悪霊憑き、泥棒集団(犯罪者)は、この心の鏡に自分を照らすことすら恐ろしくできません。


ところでもし“憑依するように”粘着迫害されたならば、泥棒集団にはこのようにお聞き下さい。

『自分らの御先祖様、家族に、己らのしてきた所業(行為行動)をいえますか?』

『つまりあなたたちは、どのようなコトを行ってきたのか?』と。



戻りますが、ゆえに外に外にと意識を向けもっともらしい理屈をこね、善の仮面をつけ逃げ回る。

さらに外に逃げることにより道外れ、自分に都合のよい妄想(隠れ蓑)を作り出します。


これは“本来存在しないものであり、ある意味の地獄”。



そうなりますと“鏡”から逃げる為に、身慾の為に、もっともらしい理屈で周りを巻き込み、悪事に加担させ、邪霊集団化する。


何も関係ない赤の他人(一般市民)にすら妄想を押し付け、対象を非人間化して攻撃性を向けるのでございます。


これが今のバケモノ跋扈する世界の正体(有様)でございます。



残念ながら、そのようなシステム(善の仮面)が作り上げられた結果、幼少より内省すらできぬように教育されたものが増殖する。


内に問題があるのにも関わらず、外部に攻撃性を向けるように仕込まれます。

しかも本人にはまったく自覚がないように洗脳をされます。

※ 唖然としますが、隠されてきた“テクノロジー技術(犯罪)”が使用されています


操り人形と化したものが、さらに集団化し上に上がる事によってどうなりますでしょうか?


うわべだけ、カタチだけキレイごとの仮面をつけた、心無い世となるのでございましょう。



当然、内部にまで入り込んでいるのでございますから、社会や国家間でも同じような状態になります。


内の政治経済等の問題(悪事悪行)を、国民に知られないように、または我々を苦しめる悪法改悪などから国民の目を逸らすため、そやつらはどうするでしょうか?


つまり、自分たちが鏡から逃げ回ってきたのと同じように、都合よく“もっともらしい理屈”をつけ、善の仮面を被り騙すのでございます。


または、もっともらしい理屈をつけ悪事をさせようとする。


これこそ泥棒集団、悪霊憑きのパターンなのでございます。


「国内問題」から目を逸らさすため、外部に敵を作り、優位さを顕示し、高圧的に攻撃を向けるように仕向ける。



ですがそのような「逃げの茶番」も鏡に照らせば正体が分かります。

理屈や誤魔化し、スリカエ等により、国家、社会問題、国民にとって好ましくない政治経済の改善から逃げているだけだと明らかになる。


裏を返せばこやつらが、国民にとって好ましくない状態(悪事)をしてきた。

それを隠すため、逃げる為に外部に国民の意識(注目)を向けさす。


国民は、そのもっともらしい理屈に翻弄され、時には感情を刺激される(その国家国家において自国民は、それが正義であり善だと思わされます)。



ですから、今後さらに注意をしていただきたく打たせていただいておりますが、TVマスメディア、ウェブでの報道につきまして、国家間の争い、憎しみが“ある時期”に煽(あお)られ行われるということは、つまり隠したい、国民の目を、その怒り不満を逸らしたいという思惑があるといふことなのでございます(※ 御神示にございますが、すでに政治経済は、ほぼ乗っ取られています)。


同じように、事件事故、芸能のニュースを作り出し、関心をソコに向けるという手法も使われております。


この問題の根本たるは、ただ単に“鏡から逃げている”というに繋がるのでございますから、“各々”ナニを隠したいのか?恐れているのか?を観想してみてくださいませ。

つまり、こやつらは『臆病者(オクビョウモノ』ということにも繋がりましょう。



このような状態化を各国民は意識すらできずに(意識させないように)、いまだに騙され、操られています。

そして多くの国民が知られずに迫害され盗まれ、自然に見せかけられ殺されています。


とどの詰まり国民生活の安心・安全を危機的に損なっているということに繋がるのでございます。



恐縮ながら得心されたでしょうか。

また、各々の泥棒集団、悪事を働く犯罪者集団は、“各々のもっともらしい理屈”をつけ犯罪に加担させるために盲信者を騙してきたというワケでございます。


迫害されるのは、日本でいえば日本人でございます。


しかもソレラを使い、社会、地域間、国家間を操る為、さらに“もっともらしい理屈”を憑(つ)け悪事を行ってきた泥棒集団の裏がいることは皆様も得心なさっておられることでしょう(日本のメディア報道には出てこないモノどものことです)。



ならば、各々の自国民はどうすればよいでしょうか。

ほっておけば管理監視社会がさらに“表面的にも”進み、国民が迫害され殺されることになります。


因みに、人とは肉のみであり、御神の御恩を蔑ろにし、信奉すらできない人間がいたとします。

そのものらは結果、獣のシステムである“弱肉強食に自ら望んで従っている”ということなのでございますから、自分たちが力の強いモノに支配されても苦しめられても殺されても文句はいえません。


しかも日の本足る日本におきまして、御恩を知り御神にしがみつかないといふことは、自ら進んでソレラを望んでいるということでございましょう(恐縮ながら、もはや他人事ではなく『元に返り神国日本になるしか選択肢は残されていない』と打たせていただいております)。



日月の信奉者様方は恐縮ながら大丈夫だと存じますが、うれしうれし霊肉潔斎をすることが、先を観させていただく為にも、益々肝心であり不可欠でございます。

我々は、御神の御恩を知り、霊肉感謝し、霊主体従であり、弱肉強食から離れています。


霊のみでもならず、肉のみでもありません。


恐縮ながら今後も、うれしうれし鏡を磨くことが大切でございます。

御五柱御十柱をうれしうれし御建てくださいませ。



かむながらたまちはへませ いやさかましませ

御読みくださりありがとうございました。喜拝




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黄金の巻 第七十二帖(五八三)

 世界の人民皆改心せよと申すのぞ。どんなめぐりある金でも持つて居ればよいやうに思うて御座るなれど、めぐりある金はめぐりそのものと判らんか。家の治まらんのは女が出るからぞ。夫立てると果報は女に来るぞ。天界に住む者は一人々々は力弱いが和すから無敵ぞ。幽界に住む者は一人々々は強いが孤立するから弱いのぞ。仲よう和してやれと申す道理判りたか。そなたは何万年の原因から生れ出た結果であるぞ。不足申すでないぞ。十二月十四日。


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恐縮ではございますが、初歩でございますマコトの『和』、そして『一つの仕組み』、『邪霊集団(破壊的カルト集団)』について打たせていただきたく存じます。


当ファイルを作成している最中(もなかではございません)におきましても邪霊集団の迫害に遭いなかなかに進みませんでした。

ですが当帖は、清々しく探検隊のように二段構えとなっております。


ブログにおきましても、当方が何年も破壊的カルト集団の被害に遭っている事を打たせていただくのも、それほどの狂った世だといふコトなのでございます。

皆様はこのような狂った日本・世界の実状御知りくださいませ。

(つまり言論・行動・思想の自由すらも奪おうとする、日本となっているのです。ほっておけばどうなるかは一目瞭然でございましょう。“こやつらは”過去からどのような悪事・悪行をしてきのでしょうか? しかも現在メディアすらもほぼ『カネにより支配されていると思わされている』のでございます。カネ第一といふ価値観を反転させなければ我々の希望溢れる明るく楽しい元気ハツラツとした自由が奪われ苦しめられ殺されるような、さらに狂った世とするように仕掛けてくるでしょう。つまり『メグリあるカネでも第一としているシステムから離れるコト』が我々が選択しなければならない解決の一つの方法なのでございます。それをしなければどうなるかは実感してきたと存じます。我々に残された選択は、潔斎し神マツリ、立体に入らないとならないのです。つまり口・心・行を結んだマコトの実践。 ブログもうれしうれし御読み下さいませ)


当帖は後に『重要な言』となります。

清いハラで御読みくださいませ。拝



天界に住む者は一人々々は力弱いが和すから無敵ぞ。幽界に住む者は一人々々は強いが孤立するから弱いのぞ。


和すとは『マツル』というコトでもあり、『霊肉潔斎する』といふイミでもあるのでございます(和するには順序としまして潔斎しなければならない』のでございます。天界に住まう者は当然呼吸をする如く自然にうれしうれし神の御心<光・言>を御実践なさるでしょう。日々がマコトの芸術<生活>なのでございます)。


繰り返しますが、

潔斎をしなければ(しないものは)『マコトに和す』こともできないのでございます。


『和す』とは悪自由、悪平等でミチを守らず、脅迫(霊肉十悪)も含め邪霊集団に行動・思想コンロール(マインドコントロール等)され、強制的に巻き込まれる(取り込まれる)コトではございません(それでは獣・魔が望んでいる『家畜化』でございましょう。ブログにも打たせていただきましたが、現在の物と化した家畜の現状から察しくださいませ)。


現在はコノ『和す』本来のイミすらマコトに知らず、邪霊集団が心無く道理すら知らず泥海で跋扈(ばっこ)しております。

ゆえに世が狂っている(神の尊ひ入れ物である人が、獣・魔となり下がり狂っているのでございます)


このスコタン集団は『聖書にある獣・魔の集団に行為・行動があまりに酷似している』と申される御方もいるでしょうが、それはまたの機会に打たせていただきましょう。


このような集団に都合よく『尊ひ言(和)』も悪用(盗まれ)され、さらにはガスライティング等(意味は御調べ下さい)により、被害者対象を貶(おとし)める工作もされ、現在まで有志が分断(仲たがい、二枚舌含め)されていると存じます(狂ったノイローゼ集団は仏魔等に侵され、『和す』以前の『ヒト以前の問題』となっております。カネで魔・獣に魂を売り渡し人間を辞めているのでしょう)。


盗み騙し(ウェブにおいても盗み見る行為・行動も勿論含まれます)を行い、その悪行を「神仏がそうしろ」と云ったかのように歪曲、曲解させ、当たり前のように改ざん、情報操作を日々行い、道理すら知らず守らず、ミチを外れ我々を苦しめ殺す邪霊集団となっているといふ状態なのでございます(このように神と獣がタテ分けられているコトも御知り下さいませ、ちなみにこれが『弥勒の仕組』でございます<『五六七の仕組とは弥勒(みろく)の仕組のことぞ、獣(けもの)と臣民とハッキリ判りたら、それぞれの本性出すのぞ、今度は万劫末代のことぞ、気の毒出来るから洗濯大切と申してあるのぞ。今度お役きまりたら そのままいつまでも続くのざから、臣民よくこの神示(ふで)よみておいて呉れよ。富士の巻 第四帖』>。この獣(けもの)は、マコトの神を裏切る『魔の言によりコントロールされている』のです。そして獣・魔でございからハラ無く盗み・騙し・二枚舌・脅しなどミチを外れ霊肉十悪の行為・行動をしてしまうのでございます。つまり『そのような神を裏切る行動を行わせる魔言<例えば書・洗脳書>』が存在しているという証(あかし)なのでございます。それに獣(けもの)・邪霊集団は従っているという事なのでございます)。



さらに現在は、邪霊が滑稽(こっけい)なコトに集団(チーム)として動いているのでございます。

これ以上コッケイ(コケコッコー)なコトはございますまい。

(畏れ多いことに正神側の御仁方を脅し分断もしているのです。つまり集団化し大和しないように邪魔をしているのでございます。その悪行の流れとしまして人々に真実・事実を知らせない為にもTVメディアを使い白雉化させております。最近では公知されたようでTV画面の住人はパペット人形のようにパクパクとしかモノいえぬでしょう。人々もようやくスコタン集団に言論封鎖・統制までも行われているほどの狂った世だと気づきました。我々が声を高らかに挙げ、マコトに実践し行動をしないならば先がどうなるでしょうか?)



またこの邪霊集団は閉鎖された集団内のみの偏向(へんこう)された情報<機関紙・新聞など>で、マインドコンロールを日々信者に行っております。

ですから集団化することにより、さらに偏りノイローゼ状態とされているのでございます(この洗脳状態が、正法に照らし、かへりみる事を阻害する働きも作り出している。本来神の言を実践している方々に対して憎悪の感情が向くようにも工作しマインドコントロールしているのでございます)。



御理解されているとは存じまするが、邪霊集団がいくら集まっても『和ではございません』。

魔言にコントロールされ人々を苦しめ殺す悪行・悪業を働く、ただの残念な集団(馴れ合い)でしかないのでございます(これらは本来無い地獄なのでございますから、後にすべて綺麗に消え去ります)。


また、潔斎もしていないモノタチですからイシもなく、御用(使命)も果たせないのでございます。(判別すらできず、物事を考えられる状態ではないのでございます。そのようなモノタチに考え実行させたから集団内のノイローゼ状態が悪化し、自作自演のテロも起こされてきたのでしょう)


このような集団が携帯・メール等で善人・友人の仮面をつけ何も知らぬ人々にコンタクトをとってきますが、騙されないように願い上げます(すべて対象を苦しめる為に仕掛けている嘘・騙しでございますので)。拝


さまざまな詭弁、改ざんをし、『天界の遣り方を真似ているようにミセカケ』人々を苦しめ殺しているのでございます(そして善人を装うハタレの魔集団)。

この悪行により、たくさんの人たちが犠牲となってきました(他の苦しみを自己の喜びとできる邪霊・獣の集団がいたのでございます)。



それでは、旧暦元旦これも重要な事でございますのでうれしうれしさわやかに二段目を置いておきます。拝

どうも慢心取違い勘違いをされている人がおられると存じます。

恐縮ではございますが、神示に御縁が、もしあるならばマコトに日々潔斎をし、ひふみ神示をハラに鎮まるまで何度も拝読(朗誦)下さいませ。

うれしうれしのマコトのカタを御出しくださいませ。

何卒御用宜しく御願い致します。光拝


それでは、まず今の世の現状でございますが、

道を外れた国(外道)と手を組めと神示は仰っているのですか?

またなんども打ちますが『悪と魔とは異なる』のでございます。

下記神示を御覧下さい。拝



幽界と申すのは道を外れた国のことざと知らしてあらうがな。(白銀の巻 第六帖)


外国とは幽界の事ぞ、外国と手握るとは幽界と手握る事ざぞよ。(ア火バの巻 第二帖)


神の国の昔からの生神の声は、世に出てゐる守護人の耳には入らんぞ、世に出てゐる守護人は九分九厘迄 外国魂 (磐戸の巻 第八帖)


 悪の仕組は、日本魂をネコソギ抜いて了ふて、日本を外国同様にしておいて、一呑みにする計画であるぞ。日本の臣民、悪の計画通りになりて、尻の毛まで抜かれてゐても、まだキづかんか、(中略)メグリある金でも物でも持ちてゐたらよい様に思ふてゐるが、えらい取違ひであるぞ。早う神の申すことききて下されよ。世界の何処さがしても、今では九九(ここ)より他に、神のマコトの道知らす所ないのざぞ。磐戸の巻 第十帖)



このように外国(幽界)と手を握ってはならない。

と仰っております。

しかも現在の民はイシも無く九分九分九厘まで外国(幽界)魂となっているのでございます。

(このようにイマサラ手を握る必要もございますまい)

つまり『潔斎されておられない道を外れたスコタン』と手を握ってはならないとも仰っておられるのでございます。

なぜでございましょうか?

呆れ果てまするが、それにより惑わされ騙されナニかを握ってこのようなむちゃくちゃな狂った世とナッテイルのでございましょうに(911等、破壊的カルト集団が神になったかのように人々を騙し脅し悪事を行い行わせ、言論の自由すら奪われ、人が駒となりTVメディアではすでに、人々はなんでもモノを言うコトすらできなくなっているのでしょう。世のアリサマを御覧なさい。これが人々がガイコクと手を握っている悲惨な結果でございます。このように『魔の実』が出ている。我々を苦しめ家畜化する心無い地獄をわざわざ作り出しているのです)。



ちなみに、聖書におけるイザヤ書の預言された世界はどのような行為・行動を人々が行うことで達成されるのでしょうか?(現在の邪霊集団のような存在は綺麗サッパリございません。つまりこのような集団は無くなるのでございます。またシナリオとしまして預言を成就するにはこのような集団はどうなるでしょうか)



今のような霊肉十悪を起こし起こさせるツミ穢れた集団は論外といたしまして、どのような言に従えば、聖書・神典で預言された元神を真中とした、うれしうれしの世とナリナルのでしょうか。

(親心を汲み取り、子は動くものでございましょう。念の為打っておきますが、奇跡を求めたりしても『各々の心根に問題がある』のでございますから、各々が御自分の力でマコトにかへりみて改心改善しない限り救いはないのでございます。心之御柱も立たないでしょう。狂った世の因は、神の言をマツリ実践しないツミケガレタ人々の心根から生じる厄であり禍であるコトからも分かると存じます。拝)



すべての民は神の喜びの子でございます。

何卒うれしうれしマコトの御道にお戻り下さい。

潔斎すらもできない邪霊集団はそのツミ穢れた口を慎み、御実践している人々の邪魔をする事なく、神の御民に戻りくださいませ。拝。


神の臣民は御自身、己の御子様を元神にうれしうれし捧げくださいませ(何千年と閉められてきた正法が開き、現代ではようやく元神のマコトの御神意を実感させていただき得心体得されると存じます。光拝。この尊ひ意味も取違い勘違いされていたようでございますが。ゆえにこのような狂った世に事実何千年もなっていたのでございましょう。また、毎日御恩を知り感謝し食<ヲ>すコトも日々元神にありがたく捧げさせていただいているのでございます。うれしうれし感謝感謝)。


霊主体従、天地不二、神人合一をハラに入れ口・心・行を結び霊肉一体うれしうれしマコトの潔斎し和しください。

かむながらたまちはへませ いやさかましませ


御読みくださりありがとうございました。光拝



道とは三つの道が一つになることぞ、みちみつことぞ、もとの昔に返すのざぞ、つくりかための終りの仕組ぞ、終は始ぞ、始は霊(ひ)ぞ、富士、都となるのざぞ、幽界(がいこく)行きは外国行きぞ。地つ巻 第十一帖



今度は根本の天の御先祖様の御霊統と根元のお地(つち)の御先祖様の御霊統とが一つになりなされて、スメラ神国とユツタ(ユダヤ)神国と一つになりなされて末代動かん光の世と、影ない光の世と致すのぢゃ、今の臣民には見当とれん光の世とするのぢゃ、光りて輝く御代ぞ楽しけれく。ヒカリの巻 第六帖




――― 関係帖 ――――


カゼの巻 第十三帖

一八の巻 第八帖

ウメの巻 第十一帖

ヒカリの巻 第六帖

黄金の巻 第八十三帖

黒鉄の巻 第二十七帖




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黄金の巻 第八十一帖(五九二)

 心に凸凹あるから幽界のものに取りつかれて、つまらんことになるのぞ。つまらんことをひろめて亡びるぞ。(一月三日)一二十


――― ここから ――――


さて、時節ながら誠に恐縮ではございますが真実の情報を尊ひ御縁あるマコトの御信奉者様のみに、畏れながら御伝させていただきます。


当内容は、TVなどの一般メディア情報だけが当たり前であり真実だと思い込んでいる一般的な人たちには到底理解が出来ない本当の事実でございます。


残念ながら彼等には理解していただこうと思っても今はまだ難しいと存じます。


呆れるほどに、そこまで強力に“一般的な”集団的な憑き物(マインドコンロール)にかかっているのでございます。




未だに騙され、洗脳・マインドコンロール化に置かれ、または意図してデタラメな情報を垂れ流しているモノたちもおられまする昨今。

それもあり、なかなかにコレを突破することはむずかしいと存じます。


それでは皆様、『邪気、邪魔』と御神示にはございますが、これが一つに何を御示しになっているのか、皆様はご存知でございましょうか。



泥棒集団とは、盗み騙しを行ってきた外道・邪霊にトリツカレタモノどものことでございます。

カルト集団化・組織化しており、莫大なカネの力、現在の言葉で要約すれば財力を持っています。


財力を持っている組織ですから、それを使い世代を渡り自分らの蓄積してきた“妄想”をウソで塗り固め拡大・拡張しようとたくらんできました。

そのような経緯もあり費やした時間が多ければ多いほど『間違っていた』と素直に真実を認め、否定はできないものでございましょう。

偽りに満ちた自分らの存在すらキレイサッパリ否定するのでございますゆえ観る事すら怖くて怖くて出来ない。


また、真中を直視するマコトの勇気すらこの人を辞めたモノらには持ち合わせておりませぬ。


ゆえに臆ビョウ者はひたすらに逃げ、意識を自分以外の外。

関係の無い一般国民にまで妄想を貼り付け強制・強要し攻撃性を向けようとします。

その不毛な連鎖が今の世。



それでは、こやつらが妄想を“具体的に実現する”にはナニを使うでしょうか?


科学力でございましょう。


その妄想(もうそう)を実現させる為に開発したハイテクノロジー技術を現在まで“巧妙(こうみょう)に隠し”、人々を惑わし盗み騙しを行ってきたのでございます。


現在の言葉に直せば、洗脳(せんのう)・マインドコンロール機器がこれに当たります。


御神示の言葉では、邪霊集団・魔・悪魔はまだえらい仕組、トンデモナイ仕組の一つといふ言になります。



この事は御神示におきましては、『わるき言葉、息吹、邪魔(邪念)』とも云われています。

それを対象(人、動物、鉱物:電子機器コンピューター等)に飛ばす技術が使われていたのでございます。


実際に存在する技術であり暗愚な現実でございます。

それにより、幻聴・幻影・インスピレーション・直感を人為的に錯覚させ起こすことすら可能。


笑わせる怒らせるアクションすら作り出すことが可能です。

ターゲットになった人、または洗脳状態化におかれ操られた加害集団は精神病にも似た行動をします。


今や人や動物が遠隔ロボット状態化していると御伝えしても過言ではございますまい。



初めての情報に困惑されると存じますが、“残念ながら”これが我々人類が置かれている現在の位置であり、改善しなければならない真実の世界です。


では皆様がその技術があると“真に知ったならば”、占い師、霊媒師やスピリチュアル等と呼ばれている人たちの特徴・行動(霊媒の行)を当てはめてくださいませ。

ちなみに、あるタイミングにおける“低周波的な筋肉の動き”は神からのメッセージという方もいますが、残念ながらコレでございます。


このような技術を用いて“攻撃”されれば、神・仏・あるいは高次元からの伝達と取違ひ騙されてしまうでしょう。


根拠無く神秘に胸踊り信じ込まされた情報は、ウェブなどで自信満々に広められ邪霊側のあるシナリオにおける“都合のよい攪乱(かくらん)情報”となるのでございます。



それが、今の世の無様な有様、状態であり、御神示でいふところの『霊媒通じてこの世に呼びかける霊の九分九分九厘は邪霊であるぞ。はげしくなるぞ。(黄金の巻 第五十帖)

取違ひからぞ。霊媒の行見ればすぐ判るでないか。早う改心せよ。霊のおもちゃになってゐる者多い世の中、(黄金の巻 第五十七帖)』という具合でございます。


真実とは実(じつ)に…奇なり。



いまや操られ加担している、所謂御神示でいふ裏切り者がたくさんでておりますが、そのモノらにも何卒騙されぬようご注意を念を込め願います。


誠に恐縮ながら、スッカリ天狗になり騙されているからでございます。

それを維持するような魔のサポートもございますゆえ、さらに戯言(ざれごと)が狂気となりましょう。


正神側の御仁すらも未だに騙されている始末。


ですからマコトに恐縮ながら“御仕組みが整う”のではございます。



当方は畏れながらこのような呆れた事態、魔の仕組みもあり既にハラで知っていますゆえ、当サイトにて何年も皆様に感謝と共に御伝えさせていただいております。



いいでしょうか皆様。

マコトの神の御警告・御神示をうれしうれし知るためには下級の獣の入れ物、操り人形とならない修行が必要でございます。

また、情報を常に御自分でサニワして何度も御調べくださいませ。


くどくど打たせていただいておりますが、御恩に応えるためにもマコトにうれしうれし玉串にナルことが必須でございます。

皆様、御神様にうれしうれし御自分を捧げくださいませ。


勿論、以前に旧約聖書の真実を開かせていただきましたが、何千年も取り違えてきた“妄想に充ちた生贄”という意味ではございませんゆえ、くれぐれも取違え勘違いなさらぬようにお願い申し上げます(因みに生贄も人の恐怖が産み出した妄想であり何の意味もございません)。


悪魔とは、本来存在するものではなく“御自分に向き合う事のできないただの臆病者”といふ意味であることもお忘れなきように願います。




序でに失礼致しまして、

先月の続きでございますが、

泥棒集団の悪気から離れるという事は御用の側面からも大切でございます。

この心無い犯罪者集団の“厄”や、“被害者”に組織犯罪をするための口実(理由付け)として、後に犠牲を払うマガい物の“福”を断つという事は肝心要。


では、如何様にすればよろしいか?


日々初心、霊肉共にマコトに潔斎。


という事に繋がるのでございます。


勿論、霊主体従順を治(し)り、まずは御自身の御潔斎をなさり、次ぎにうれしうれし広げ日本、世界の御潔斎をさせてただくという事でございます。


それには、まずは“マコトにうれしうれし立つ足場が必要”だといふことなのございます。

各々が神の子なのでございますから、何卒御自愛くださいませ。





まだ先ほどしか御伝えしていませんが、少しはこの外道邪霊集団のタクラミとは、“皆さまが思ってる以上のトンデモナイもの”だと分かっていただければありがたく存じます。


今後の分かり易い例としまして『オウム事件』を思い出してくださいませ。

あるキッカケから、大量虐殺思想へと転嫁しました。


このようなカルトは皆、求心力を維持する為にさらなる恐怖不安(暴力)でコントロールするパターン的行動へと突き進みます。

これはどのカルト集団でも同じであり、“国単位の大きな組織”で観ましても大量虐殺等の悪事がただ表に出ていなかっただけでございます。


さらに共通するところ、このモノらは盗み騙し人を殺め、神・仏と虚言のたまう知ったぶりをする根本的無知は御承知と存じます。

子どもでも分かりまするが、盗み騙しをしてきた人殺しに、神・仏を語る資格すら無いでしょうに。

神・仏とは何なのか?』すら知っているような態度を取りますが、なにも知らないのでございます。


こやつらが、間違った虚構・妄想に取り憑かれている事は誰でも判ります。

0から十まですべてがデタラメ、思い込みときている。

行為・行動は勿論、神言、仏の真の教えの逆の反社会的集団。


ですから、ほっておくことは大変に危険なのでございます。


そのようなモノが猛々しく跋扈(ばっこ)していては、妄想である生贄犠牲(いけにえぎせい)を強いる心無い末法の世となっていたのも頷(うなず)けることでございましょう。



長くなりそうなのでここまでにいたします。

まず日本の御民は、似非キリスト教から離れ、似非仏教から離れ似非宗教から離れないとなりません。

もちろん、どの集団でもいいのですが、マコトのを真中にしていない似非(エセ)は神国日本には、もはや必要ありません。

この国の秩序、社会性、民族性、人々の心、精神をズタズタに破壊するだけなのですから。


つまり現実を見ず、逃避し逃げる不毛な行動はもうできません。


我々を搾取(さくしゅ)し苦しみながら殺そうとするモノを放置する事は自殺行為であり御家族、御親族、女性子供たちを殺すのと同義だと自覚若しくは自分ごととして実感しなくてはなりません。


その対処・作業をしないならば、この国すらなくす事に繋がるからでございます。


もう日本には、このミチしか選択肢(せんたくし)が無いことを念を押して御伝え申し上げます。

誠に恐縮ながら、よくよく覚悟してくださいませ。



また、これも当たり前のことではございますが、“マコトの御用(ごよう)を実践できる”のは、マコトの潔斎(けっさい)をしている御仁しかできません。


なぜならば、他のものでは『光の国とは何なのか』すら解って無いからでございます。


重ねて恐縮ながら『マコトの信者、信奉者とは何なのか』すら、まったくわかってないのでございます。


知らないことを、どう実現しようといふのでしょうか?


ですから任せるわけにはいかないのでございます。



妄想に充ちたマ違った思い込みを元にした“実の無い行動”をするだけであり、仕組すらわかってないのですから、つまり邪魔(じゃま)となります。


恐縮ながら、ここまで御伝えさせていただき改めて警告しておきますが、特に真中の国日本でつまらんものを広めて人々を巻き込まないように心より御願い申し上げます。


恐縮ながら、まずは凸凹をなくす様に神に縋(すが)り努め、霊肉うれしうれし御潔斎をなさる事をお薦め致します。


マコトの実(み)のみからマコトが育つ。

道理で御座いましょうに。



御読みくださりありがとうございました。喜拝

かむながらたまちはへませ いやさかましませ



この御道は鼻高と取りちがひが一番邪魔になるのぞと申すのは、慢心と取りちがひは調和(まつり)の邪魔になるからぞ。(富士の巻 第二十二帖)




――― ここまで ――――


黄金の巻 第九十帖(六〇一)

 世界中がいくら集つて、よき世にいたす相談いたしても、肝腎のが判らんから、まとまりつかん。たれ一人、悪いわがままの癖持たん人間ないぞ。その癖を直して行くのが、皮むくことぢや。改心ぢや。弥栄行くことぢや。金持つと金の地獄に理屈もつと理屈の地獄に、神に捉はれると神の地獄に落ちて苦しむぞ。持たねばならんし、中々ぢやなあ。先づ求めよ、求めねばならん。先づ捨てて求めよ、求めて行ぜよ。(一月三日)


――― ここから ――――


恐縮ながら、当帖は時節的にも大変に重要でございます。

現し世は地獄的想念が、ある意味におきまして集団化され固定化をしています(ガイコクは特にでございます)。

どうしてそのようになっていたのでしょうか。

大変に恐縮ながら、その実感を現在、皆様が分かり易くされているともいえます。

掃除洗濯しなければなりません。

本来無い地獄から、うれしうれし離れくださいませ。


地獄的想念が本来無い幽界を作り出し、苦しみの元となり連鎖を繰り返し、さらなる地獄的想念を作り出していました。

そのようにならないためには、うれしうれしマコトの改心を実践され弥栄行くことでございます。


神の申すこと、よくきいて生れ赤子の心になりて神の入れものになりて呉れよ」といふことでございます。


恐縮ながら、まずはおのもおのも己に立ち向かうも御恩を知りうれしうれし掃除洗濯でございます。



かむながらたまちはへませ いやさかましませ

御読みくださりありがとうございました。喜拝


――― ここまで ――――











 

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