夏の巻
第二十二帖
つくり主とつくられるものとでは無限にはなれて行くのぢゃ。和ないぞ。和のないところ天国ないぞ。こんな判りきったこと、何故にわからんのぢゃ。尻の毛まで抜かれてゐると申してあろう。早うめさめよ。悪の道、教にまだ迷うて御座るが、早うめざめんと間に合はんぞ。
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当帖は夏の巻 第二十二帖でございます。
悪の道、教。
「神、霊、魂はない。」といふ レイのとどの詰まるところの思想(教) もございまするが、
これも現代でいふ “一種の宗教(カルト)” でございましょう(魂、霊がないと信じ込まされているのでございますゆえ、命(いのち)すらも モノ扱い となるのでございます。 カレラは 口 では国民の為と ウソぶきまする が、“人をモノのように扱う” レンチュウでございます。ゆえに国民もモノ、道具のように扱われるのでございまする。 “魂、霊がない” のでございますから人々は “人形と同じ” なのでございまする ここからも日本人とは精神構造そのものがまったく異なることが分かると存じまする。“心そのものがない” のでございまする。カレラにとってはそれも物質)。
正直、もはや 宗教 や 思想(政治体制) といふのは、大衆から思考、カネ、時間を巻き上げる手段とも存じております(権威、見栄などのためにしておられる方もおりまするが、もはやそのようなモノに付き合う時間すらも、今の人類にはありませぬ、もったいない状態でございましょう)。
『人を苦しめてはならん。』
『人を殺してはならん。』
最低限の御柱でございますが、これすらも守ることができない 国の段階 ならば、
御神からありがたく段階や状態ごとに御言をいただいておりまするが、
もはやあなた方には、恐縮ながらご理解すらできぬ状態でございましょう (今、どのような危機的段階に日本、世界、人類、地球が直面、突入しているのか? すらも理解しておられぬレベルでございましょう。 ならば申し訳ございませぬが、正直、皆様にお伝えをしたくありませぬ)。
御十柱をカクカクの国、組織に照らしてみてくださいませ。
日本は神国、天国でございまするが、口(クチ)だけならば幾らでも云えましょう。 もはや数パーセントと存じておりまする。このことすらピンとこぬならば閉口。
かむながらたまちはへませ いやさかましませ
御読みくださりありがとうございました。喜拝
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夏の巻 第二十三帖
無限のものと、有限のものと、ムとウとをまぜまぜにして考へるから、人民の頭は兎角ウになりがちぢやぞ。慾、浄化せよ。
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御神示は、
「欲を浄化するにはどのような実践をしなさい。」と仰られているのでしょうか。
それ以前のハラの問題ではございますが、恐縮ながら皆様に問います。
「他の苦しみを喜びと感じる」「慾の為に他を犠牲にする」「他を苦しめる、他を苦しめる事に繋がる」「他から奪う」「他を欺く」等の慾とは浄化と云えるでしょうか?
「順を乱し霊肉十善の逆を行なう、行なわせる慾とは浄化と云えるのか?」とも問うておりまする。
うれしうれし立体と云えますでしょうか?
また、「教義の為」「何々様の為」等の理由を使い。他に霊肉犠牲を強いる、また他をコントロールし強いるように働きかけるのは慾の浄化でしょうか?
ヨク噛んでいるといえますでしょうか?
果たしてそのような働きとは「慾の聖化であり、喜び」でしょうか?
『省みねば生れた時より悪くなると申してあろうが。慾、浄化して喜びとせよ。(春の巻 第九帖)』
つまり御神示は慾をうれしうれし浄化する為には「どのような実践をしなさい」と仰られているのでしょうか。
※ もちろん禁慾を説かれているのではございません(黒鉄の巻 第三十四帖)。
もう一つ、時節的に下記も御知りくださいませ。
うれしうれし正法、潔斎も説かず「悪自由」という惑わしを用いて、邪霊・悪霊憑きのスコタンは巧みに人々を騙すでしょう。
では「悪自由にしない、させない為にはどのようにすればよい」と仰っているのでしょうか?
勿論、下記御神示も声を出しハラで御読み下さいませ。
『慾出して下さるなよ。順乱れる所に神のはたらきないぞ。人民
自由にせよと申して、悪自由してならん。(黄金の巻 第五十帖)』
日月の皆様、何卒御気を付け下さいませ。
神に御願ひなさり『潔斎(けっさい)』の意味を先づ御め、治め、知めください。
恐縮ながらマコトに祈り、考え、働き下さいませ。
額に気をまず集め、ハラでものごとを処理してください。
日々うれしうれし祓い、慾を浄化してください。
心付いて神示を御読みくださいませ。
うれしうれし御読みくださりありがとうございました。拝
かむながらたまちはへませ いやさかましませ
――― ここまで ――――
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