サニワの方法(内観)


ゝ神示におけるサニワの方法を

各々自己の感情(波・パターン)に御注目(サニワ)していただきたく存じます。


今回これを開かせていただくのは神示に御縁ある方に必要な実践だからでございます。

ひふみ神示には帖ではなく、巻(竜音之巻)でも書かれております。

それほどに重要と存じます。


このイクサは暴力で他を制するような外道の戦いではなく、順を知りマコトを貫く己のタマ(身魂)のイクサからうれしうれし始めないとなりません。


過去においては畏れながら世尊(釈尊)の内観の“戦い”を拝読された事もあるかと存じます。


悪魔の仕組を知る事にもツナガリますゆえ、少しでも参考になれば幸いでございます。



 世界中が霊かかりとなると申してあるのは今のことであるぞ、かかりてゐる世界自身わからなくなっているぞ、サニワせねばならん、サニワの方法書き知らすぞ。世界を、日本を、自分をサニワせねばならん。(竜音の巻 第三帖


とございますように、世界中が霊かかりとなっております。

感受性、霊感に秀でた方は、動物も含めナニやらおかしいと感じておられるコトと存じます。


ですが現代の人たちとは、恐縮ながら「善悪が何かも知らぬ存ぜずくらいの有様」でございます。
内観すらした事のない人たちばかりであり、「邪霊の動き」に気づく事すらできないと存じます。

つまり外(外界)は五官(般若心経ぐらいは御読みになった事かと存じますが)を使い盛んに使い見るが、内を観る動きをなさったことがない(といふコトは“思惟したコトがない”といふ具合にも、つながると存じます)。


恐縮ながら、つまります事にそれこそが意思があるようで意志がないといふ状態(こんにゃく)だとも存じます。

ならば“五つの働き(かへりみる・はぢる・くゆる・おそる・さとる)”も発揮された事がないとも存じます(つまり御神示で仰る「潔斎すらもした事のない状態」と打っております)。

この働き(御五柱・御十柱)を起こすには、順としまして「内観」が必要不可欠なのでございます


恐縮ながらTV、日常で日々交換され与えられてきた情報のみ、他から刷り込まれた情報・知識、表層での移り変わりの情報のみが自分の考えとも錯覚しておられると存じます。

(このような「文章」を打たせていただきましても、どのような真意を当方が打たせていただいているのか想像、理解することすらできないかもしれません。逆に内観された事がある方は「なにを初歩的な事と」申すことでございましょう)



ゆえに恐縮でございますが、マコトの意志をつけていただきたく存じます(マコトに内観する事にもつながるのでございます)。


まず、上述のような「文章」も含め読まれて苛立ち・怒り・衝動などがワクならば、それは一つに「イマそのように実感なさった御自分を確認」されたのでございます

内的動き(サニワ)」を御覧になさったのでございます。

さらに、その動きからツナガリをたどり心根をよくよく観察していただきたい(本当に御自分から生じたイメージなのか、言なのか。御自分の光・色ならば、あるツナガリは糸のように分かれ、それぞれが細く色も変わり観えなくなるかもしれません)。

ココでの皆様に御伝えしたい大切事は、自分ではないモノに感応され、そのような感情(言・波)がワイテいるのかもしれない事を、見分け・知り・対処する実践を、恐縮ながら打たせていただいてゐる。といふ事でございます。

この御実践から自他共に知る事が、御神示で仰るところの、


世界中が霊かかりとなると申してあるのは今のことであるぞ、(竜音の巻 第三帖)


にも繋がるのでございます。



上述の実践から知る、獣(邪霊、憑き物、泥棒)とはその獣性のままでありますから、その本質は変わらぬのでございます。

衝動的に相手の反応のまま憤り、知ったかぶりをし、決めつける、高ぶるものまたその特徴と存じます(六ヶ敷とは存じますが、まずは御自身をサニワなさり内実を知り、何卒早急に御潔斎下さいませ)。

同じように反応すること”により、どのような憑き物(また情報、パターン)なのか、内観時等でその特徴も観てとれるのでございます(“左記のような動きを、当方がしたとしても”意味がありさせていただいているのでございますから、恐縮ながら御了承していただきたく存じます。拝)。



どんな下級霊であっても、その霊を馬鹿にしてはいけない、馬鹿にすると反射的にサニワを馬鹿にして始末におへんことになるぞ。(竜音之巻第十八帖)


このように反発したくなる、または怒りの感情をおぼえるならば(特に霊肉十善についての内容、理について)、憑き物に感応されていると存じます(客観的には、目つき、言動でもわかる。このような状態の者には酒等は飲ませては危険でございます。酒とはそのような憑き物を、より感応され(させる)やすくナルという効果もあるのでございます。ですから酒を飲みたくなる。この酒につきましては無論逆の意味もあると存じます)。

追記:酒について
カルト集団に盗まれています社会情勢を観て分かりますように、現在は特に邪霊等が多く、霊肉十善を知らず治めず、その逆をしているくらい(暗い)の世でございますから、ハラの掃除・洗濯(禊祓い等)をしていない人が酒を飲めば邪霊・悪霊の類にとり憑かれやすくなります。(昔から気違い水とも呼ばれるでしょう)特に酒はおすすめしません。



自己内で、下記の感情や衝動がわいた場合も御注意していただきたく存じます(御神示を拝読せず、祓い実践をせず、<ミチ>をハラに入れてない者は特にでございます。ハラが獣に感応され、おもちゃとなり下がっているからでございます)。



霊かかりの動作をよく見極めればすぐ判る。高ぶったり、威張ったり、命令したり、断言したり、高度の神名を名乗ったりするものは必ず下級霊であるぞ、インチキ霊であるぞ、インチキ霊にかかるなよ、(竜音之巻第五帖)


ゆえにそのような感情、特徴などが起こった時は、良ひ機会。


それこそが獣の入れ物(感応)となっている実感であり証拠なのです(「やったー」と感嘆の声をおあげなさるな、これはよくない事なのでございます)。


もし怒り等を感じたならば“貴殿等がそれ(悪口・悪い意識やイメージ)を感じて生じた行動・感情ではない事を何卒御知りくださいませ”、その状態をまずは御自覚なさっていただきたく存じます(まだ分からないと存じますが“とてもとても大事な事”なのです)。


どこまでが自分の感情(意志)なのか、感情でないのかを内観をよくよくし、判断していただきたく存じます(「言」に感謝し、霊肉共に「綺麗な言葉」を日々使う大切さも知ると存じます)。

(序でに、ひとつ別の例を。実際に御実践なさってください。映画、TVなどで感動するシーンがあり、それにかぶせ音楽が流れますが、貴殿は「場面に心が震え感動しているのでしょうか?」それとも「音楽に感動をしているのでしょうか?」このように日常で簡単に内観の作業ができるのでございます)



よくよく内観(目を瞑り己の心の微細な動きをも具(つぶさ)観察)していただきたく存じます。

さらに五官が閉ざされると、“内の五官が開く(感得しやすくなる)”のでございます。


コレは初歩でございますが(皆様は単語は知っては、おられますが実は「皆様があまり知らない行(ぎょう)」と存じます)奥が深く広い秘儀であり、封印されてきたマコトの実践の仕方でございますから、よくよく真剣に御きき入れくださいませ(各々守護神殿何卒御頼み申し上げます。喜拝)。


御神示にもございます“額の目につきまして”は恐縮ながら早くなるかもしれませぬが八月八日あたりにサイトに出させていただきます。まずハラの掃除・洗濯を実践し御読みくだされば幸いと存じます。拝)



此度(こたび)は、まずはタマ(霊肉)のイクサなのでございます。


如何(いか)に魔、獣、邪を祓い清め、己の悪も善で抱くか。


実際に善い意味で体感なされたならば、恐縮ながら面白いとも存じます、世界がとてつもなく立体に広がるでしょう。

(ただ霊的にばかり傾倒してもなりません。恐縮ながら霊肉ともに開いていただきたく存じます)


そして、これがどれだけ難しい(または『六ヶしい』)行(ぎょう)なのかが御分かりになられるならば素晴らしい段階かと存じます(ゆえに人の力だけでは、平面でございますから限界がございます。霊がゝゝゝへと連なっているのでございますからより上へと御教えを乞う事が必要であり御神霊の尊ひ御力・導き<ゆえにひふみ神示を拝読くださいとあるのでございます。“理窟ではない”のですが必要なのです。感謝するという心・実践が日々どれほど大切で、必要不可欠な作業なのかも御実感されるでございましょう。その為には手間・時間がかかるのです。内観の土台・基礎を作り上げ心の御柱を建てないとならない”のでございます。ゆえに当方は恐縮ながら、くどくどと伝えさせていただいているのでございますまるで意味がないならば、このようなめんどくさい作業をくどくどと時間をかけ打つこともしないでございましょう、また手間をここまでかけ御神宝を開かせていただき、且つサイトを運営させていただくこともしないと存じます)。


今回はここまでにさせていただきます。

天国と地獄」にて内実について、すでに打たせていただいております。
御覧くだされば幸いと存じます。


当方も日々掃除・洗濯(弥栄実践、祓い実践、まつり実践)でございます。

ひふみ神示を拝読し祝詞を唱(十七)えください。


御読みくださりありがとうございました。拝



天地(てんち)不二、神人合一。天(あめ)は地(つち)なり、地(つち)は天(あめ)なり、不二(ふじ)なり、アメツチなり、神は人なり、人は神なり、一体なり、神人なり。神、幽、現、を通じ、過、現、末、を一貫して神と人との大和合、霊界と現界との大和合をなし、現、幽、神、一体大和楽の光の国実現


かむながらたまちはへませ弥栄(いやさか)ましませ。拝