世界の半分が飢えるのはなぜ?

ジグレール教授がわが子に語る飢餓の真実


ジャン・ジグレール 著

たかおまゆみ 訳/勝俣 誠(明治学院大学教授)監訳/画家 佐竹美保

合同出版 “2003”85



<ここから抜粋>

牛が食べ、人が飢える?

世界市場には穀物が十分ないの?


こういう事実を知ってるかい? 世界で生産されているトウモロコシなどの穀物の四分の一は、豊かな国の牛のエサになっているっていうことを。先進国では肉の食べ過ぎで生活習慣病になる人が増えつづける一方で、世界中の大勢の人たちが栄養不良のために飢えて死んでいるっていうことを。


そんなのっておかしくない? どうしてトウモロコシとかを牛のエサにするの?

うちの村では子牛も牧草地の草を食べているよ。それに夏になればジュラ山地の草原に放牧するから、ぜんぜん穀物なんかいらないんじゃないの?



ジュネーブ州では伝統的な酪農法が大切にされているからなんだ。アメリカではまったく事情がちがう。肉牛は科学的に根拠づけられたという方法で、年間約五〇万トンの穀物を消費しながら飼育されている。

 アメリカ中西部はカリフォルニア州では、牛は「フィードロット」と呼ばれる空調つきの巨大なホールのなかで飼育され、一定時間が経つと自動的に穀物資料が与えられるシステムになっている。

 なんと、牛たちは動けないんだ。決められた枠のなかに整然と並ばされている。フィードロットひとつに一万頭の牛を収容できるというからすごいシステムだ。

 フランスの農業雑誌の試算によると、たとえばザンビアで一年間に消費するトウモロコシの量は、カルフォルニアのフィードロッドの半数で年間に消費する穀物量に匹敵するそうだ。ザンビアはトウモロコシを主食とする国のひとつで、国民は慢性的な栄養不足に苦しんでいる。



牛のエサのために世界市場に流通する穀物が不足しているってわけ? 牛のエサが国連食料計画の活動に影響を与えているとしたら、深刻な話だね。




そうだね。でもエサの問題は、真実のうちの半分でしかない。もうひとつ重要な問題があるんだ。それは、貯蔵が可能な食料の価格は、たいていの人間の手によって操作されているということだ。

 自由主義市場で売りかいされている農産品のほとんどが投機筋の動きに影響を受けていることを知っているかい?アメリカのシカゴにあるミシガン湖のほとりには、輸入業務用の貯蔵倉庫が立ち並んでいる。「シカゴ穀物取引所」と名づけられ、世界の主要農産物が売買されている。そこでは、ひとにぎりの金融資本家が農産物を買い占め、貯蔵倉庫にため込んでは市場価格を操作しているんだ。

 国際的な穀物の商取引きは、すべて「穀物メジャー」といわれる商社、むかしでいえば穀物商人の手ににぎられている。アンドレS・A(スイス)、コンチネンタル・グレイン(アメリカ)、カーギル・インターナショナル(アメリカ)、ルイ・ドレフェス(フランス)などだ「通称、穀物ビッグフォー・オランダのブンゲを含めるとビッグファイブと呼ばれる)、ほんの数社だが、想像を絶するほどの力を持っていて、かれらの思惑によって世界中の穀物の買値と売値が決定されるしくみになっている。かれらの商業艦隊が世界中の海をいき交わっている。トーマス・サンカラ(本書を参照あれ)にいわせれば、穀物メジャーは、「ホワイトカラーのなりをした猛獣」にも等しいというわけだ。

 新聞の経済欄を見てごらん。大豆、トウモロコシ、キビ、小麦、コメ、大麦、インゲン豆、キャッサバ、サツマイモなどの市場取引価格が毎日載っているから。




市場価格の裏側


国際的な取引価格は、どのように決まるの?


取引価格は、ほしい人がどのくらいいるのか、売りたい人がどのくらいいるのか、いわゆる「需要と供給の法則」のもとにあることはたしかだ。しかし、ひとにぎりの穀物メジャーと、おかかえの投機家による「ダンピング」や「在庫隠し」という投機的な動きに左右されるのも事実だ。

 ダンピングというのは、投機家が市場に大量の商品を急激に投入して品物をだぶつかせ、価格を急落させる行為のことをいう。

 在庫隠しはその反対に、在庫をため込むことで品薄状態を人為的につくり出すことをいう。穀物メジャーが故意に自社の貯蔵倉庫に穀物をため込んでおくわけだ。そうすると市場に穀物が品薄になって価格がいっぺんに上昇する。需要と供給という厳然たる法則のほかに、「利潤の集中化」というもうひとつの原理によって取引価格は操作されることになる。

 世界の穀物市場、シカゴの冷徹な支配者たちは、穀物不足に悩まされるチャドやエチオピアやハイチのことなんて気にしない。生と死のはざまで人びとが苦悩していることや、かれらには手が出ないような高値で取引されているということなどには、とんと関心がない。ただ毎日、数百万ドルの利益を上げることだけに心を傾けている。「飢え苦しむ人びとの叫び? ああ、それなら国連があるじゃないですか、赤十字も活動しているでしょうし……」という具合だ。

 穀物の収穫量は十分だ。しかし、その取引価格はシカゴの投機家の手によって人為的に操作され、国連や国連食料計画(WFP)、さまざまな人道的援助団体、あるいは慢性的な飢えに苦しむ国ぐには、穀物メジャーによって決められた価格で買わざるを得ないということが問題なのだ。



どうもまだよく分からないな。

市場価格って、そもそもどういうはたらきをするの?



 世界市場での食料の価格は実に複雑なメカニズムで決まっている。スーザン・ジョージ(Susan George アメリカの哲学・社会学者)やヨアヒム・V・ブラウン(joachim von Braun 国際食料政策研究所所長。食料安全保障と飢餓問題の研究で知られる経済学者)など多くの研究者がそのしくみの解明に努力しているが、一般には、収穫量、輸送経費の変動、投資家たちによる投機的取引き、需要などの要素が世界の食料価格の決定に大きく影響を与えていると考えられている。

 たとえば、一九九六年の穀物世界市場は異常な値動きを示した。ブラウンが分析しているが、年度の初めにはまったく予期できなかった穀物不足が、年度途中で突然おき、前年には世界消費量の約八〇日分の備蓄量があったにもかかわらず、急に五三日分にまで急減してしまった。その結果、九六年一年から五月にかけての市場穀物価格は、前年比でなんと七〇パーセントもはね上がった。

 穀物価格の急騰で、飢えに苦しむ国ぐにの政府関係者がどんな思いをしたか、想像できるかい?国民を養うために最低限必要な量の食料を買いつけなければならないのに、価格がこんなに上がってしまっても手も足も出ない。

 援助団体はどうだろう?世界中のなん百万という飢えた人びとや政治難民のために食料を買いつけなければならなのに、「急に値上がりしました。ご用意なさった額よりも七〇パーセント余分にお支払いください」っていわれたって、どうしようもない。かれらの立場はまったく不安定なのだ。

<抜粋ここまで>



小学生のコーナーにある本。

分かりやすく勉強になると存じます。

裏をみれば”いくらでも食料不足を作り出せるというコトなのである。

(そのようなコトを過去から実際に行いカネを儲けてきたヒトタチなのですから)

ゆえにこのような問題からも食料自給率が足り余る事は重要な国益(国策)なのである。

また“安心、安全に食べさせていただける事”も基本であろう。


なぜ“それができない”のであろうか?


他にも本書の14章を御覧頂きたい。

地獄がある(人災、厄人)。

意図的にコレを作り出してきたのである。



途上国は争わされインフラは壊され識字率低下等、武器はどこからきたのだろうか?その技術は?

このような世なのである。

知っておいて、わざわざ人が食べる穀物を与え、苦しめ殺した動物の肉を喰らっている人間は“このコト”もハラでシっていただきたいものだ。

途上国のヒトタチの血肉も喰らっているという事なのである。

(またこの本の情報もすべてが事実ではない<必要だと感じる箇所を抜粋させていただいた>。国連等の現在の実態を見ても“分かるコト”である)




人びとは、飢えをめぐる醜聞に自分たちで厚いマントをかぶせていることを恥じている。だから、なるべく触れないでおこうという感覚が、学校と政府と世間の人びとをいまだに支配している(ジェズエ・デ・カストロ元FAO理事会議長。国際開発センター総裁) 」






続きも置いておきます。



<抜粋ここから>

個人が国より金持ちな時代


 このほえたける投資家集団とかれらに富の運用を委任する世界の富の寡占者たちは、いったいこの地球にどんな影響を及ぼしているのだろう?

 南側諸国はもちろん、北側諸国にも悲劇と底知れぬ不公平性を拡大しつづけている。今日、南北対立が主要な課題ではない。高止まりの失業率(欧州共同体では一二.五パーセント)に加え、気づかぬままに生活が以前より悪化している人びとが増え、社会の階層化が進んでいる。まもなく北側諸国でも栄養不良が口にされるようになるかもしれない。南北を問わず人類に立ちはだかっているのは、少数者が支配するグローバル化した金融資本なのだ。

 数字を見てみよう。世界の金持ち二二五人の総資産は一兆ドルをこえている。これは貧しい国に住む二五億人の一年の総収入に匹敵する。あるいはビル・ゲイツの資産は、アメリカ人の低中所得者一億一二五〇万人が所有する総資産と同じだ。

 一個人が一国より金持ちなのだ。世界の金持ち一五人の資産は、南アフリカを除く、サハラ砂漠以南のアフリカ諸国すべての国内総生産(GDP)に匹敵し、米ゼネラル・モータース社の売上高はデンマークのGDPをしのぎ、米石油大手エクソン・モービル社の売上高はオーストリアのGDPを上まわる。世界企業ランキング一〇〇社の売上高は、発展途上国一二〇カ国すべての輸出総額より多い。あるいは上位二〇〇の国際企業が世界貿易収支の二三パーセントを占めている。

 これらの数字の裏には、悲しみと疑惑に満ちた世界が垣間見える。圧倒的な不公平性が世界の秩序になってしまった。一方では政治・経済・思想・科学・軍事などの権力が集積した世界があり、もう一方には生への失望・疑念・飢餓が集中した世界が出現した。後者の世界では、いつ生まれいつ死んだかも分からないような人がほとんどだ。かぎられた者が世界を支配し、名もない人びとの群れはなす術(すべ)もなく飢え、病み、犠牲となる。

 このような不公平性をいったい正当な世界秩序として認めることができるだろうか?暴力的に弁護された社会階級構造、差別思想(イデオロギー)、優位条件があらかじめプログラムされた社会なのだ。



見直しを迫られる市場原理主義


なぜ飢える人びとがたくさんいるのだろうか?それは食べるものを買うお金がないからだ。目の前に食べるものがあっても、お金のない人はそれを手にすることができない」。これはフランスから広がっていった世界的NGO「世界飢餓行動」の主張だが、ここにも「お金がある人=飢えない人、お金のない人=飢える人」という構図が端的に表現されている

 ジャングル資本主義[不公正、弱肉強食を主体とする資本主義を揶揄した用語]の是正を急がなければならない。少なくとも食糧に関するかぎり、自由市場にすべてを任せておくことは犯罪行為に等しく、食糧の不公平な分配を克服するための戦いを、市場取引の意のままにしておくことはとうていできない。「飢餓が克服され、世界中の人びとが十分に食べることができる」という目標の達成のために、世界経済のメカニズムに一定の制限が課せられることは当然ではないだろうか。この目標のもとで国際戦略が考案され、多国間条約などが結ばれていく必要がある。



真の人間性の回復を


人間は自分以外の存在の痛みを感じ取れる唯一の生きものだという。

はたしてこの本領はいつ発揮されるのだろうか?「考える葦(あし)」としての人間が、自己のアイデンティティを大切にしながら、同時に、苦しむ人々に共感する能力を存分に発揮することができる、そういう未来が近い将来訪れるだろうか?

(中略)

 今日、人類はもう一歩踏み出すことができるのではないだろうか?もう一歩踏み出すことができれば、多くの人びとが人間としての尊厳を回復することができ、地球は人間が住まうべきうるわしい星に姿をかえることだろう。

(中略)

 人間として真に意味深いアイデンティティとは、実際に出合った他者、あるいはおかれた状況をリアリティを持って克明に思い浮かべることができる他者とのつながりによって生じるものだろう。私はこれを「分かち合いによるアイデンティティ」と呼びたい。

 「過ちのなかに真実の人生はない」とアドルノ[Theodor Adorno 一九〇三年〜一九六九年。ドイツの哲学者]は述べているが、私流にいい直せば「痛みに満ちた世界に幸福の飛び地はない」ということだ。世界の人びとの六分の一が飢えに脅かされている世界経済のなかで、どうして人間らしい思いで暮らすことができよう。この地上から飢えがなくなってはじめて、人間が住むにふさわしい世界といえるはずだ。人間らしい扱いを受けず、だれにも知られることなく死んでいく「重荷に喘(あえ)ぐ党派」といわれる人々を、人間らしさのなかに回復していかなければならない。

 あやゆる場面において社会的・政治的・経済的に欠乏しきっている世界、自由のためには多くの飢えと疑惑が存在するのは当然だという暴力世界、豊かな暮らしを少数の人だけが享受している世界ーー。このような異常な世界はなんの意味も持たないし、今後存続していく見込みもない。

 すべての人が人間らしく生き、食べることができるようにならなければ、真の喜びや自由はこの地球上に実現されないだろう。自分たちは満たされていても、当然与えられるべき分があたえられないままでいる人々が存在しつづけるのであれば、人類に未来はない。

 未来に向けたわたしたしの最終的な希望はどこにあるのだろうか?それは、公平な世界の実現を求める地球上の人びとの決意にかかっていると私は思う。

<抜粋ここまで>