岩戸しめの経緯


日の出の巻 第一帖

 春とならば萌(もえ)出づるのざぞ、草木許りでないぞ、何もかも もえ出づるのぞ、此の方の申す事 譬(たとへ)でないと申してあろが、少しは会得(わか)りたか。石もの云ふ時来たぞ、此の道 早く知らして呉れよ、岩戸は五回閉められてゐるのざぞ、那岐(なぎ)、那美(なみ)の尊の時、天照大神の時、神武天皇の時、仏来た時と、大切なのは須佐之男神様に罪着せし時、その五度の岩戸閉めであるから此の度の岩戸開きはなかなかに大そうと申すのぞ。愈々きびしく成ってきたが此れからが正念場ざぞ、否でも応でも裸にならなならんぞ、裸程結構なもの無い事 始めて会得(わか)りて来るぞ。十二月一日、一二 。


碧玉之巻 第十帖

 岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、五つの卵を四つ生んだとも言へるのであるぞ、総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまってゐるのであるぞ。一ヒネリしてあるのぢや、天と地との間に大きレンズがあると思へば段々に判りてくるぞ。夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。その後独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申す迄もないことであろう、妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。同じ名の神が致るところに現はれて来るのざぞ、名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、この二つがそろうて、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。時来たりなばこの千引の岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神揃ふてお出まし近うなって来たぞ。次の岩戸しめは素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追ひやった時であるぞ、素盞鳴命は天下(あめがした)を治しめす御役(おんやく)の神であるぞ。天(あま)ヶ下は重きもののつもりて固まりたものであるからツミと見へるのであって、よろづの天の神々が積(つ)もる(と言ふ)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤って了ったので、これが正しく岩戸しめであったぞ、命(みこと)をアラブル神なりと申して伝へてゐるなれど、アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、アラフル(現生る)神であるぞ、天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。絶対の御力を発揮し給ふ、ナギ・ナミ両神が、天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。素盞鳴の命にも二通りあるぞ、一神で生み給へる御神と、夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と二通りあるぞ、間違へてはならんことぞ。神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸にかくして神ヤマトイハレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸しめの一つであるぞ。仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、その後はもう乱れほうだい、やりほうだいの世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。


――― ここから ――――


一)

一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。


二)

次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、


三)

次の岩戸しめは素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追ひやった時であるぞ、


四)

神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。



五)

仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、



上記二と五についてのみ。

二は、

天照大神を岩戸から出すために、

ダマシテ岩戸をあけ、力づくでひっぱりだした。

そしてシメ縄で入れないよう(出れないよう)にした。


八百万(やおろず)の神々が、

オモヒカネ(どのような理由にしろ指揮した神である。ゆえにメグリある)の案を採用し、

このようにしました。

まずアメノウズメに激しい舞(性の乱れ等のメグリのカタ。現在は芸能の神とも言われております)を躍らせ、

八百万の神々を騒ぎ立てさせ(『笑い』で開いたといふ解釈がございますが異なるのでございます。マコトの笑いならばこのような世にはなっておりますまいて。ある意味で本人達は知らぬ『疑心暗鬼』だましのメグリのカタでございましょう。マコトの『うれしうれし楽しい清々しい笑い』でなければならないのでございます)、

アマテラスが何事かと訊ねた時、

「あなたより優れた神がいるのだ」

といふ、

そして不思議に思ひ覗いた時に“鏡”をかざし、

写ったアマテラスの姿を“その優れた神”と勘違いさせ、さらに岩戸をアける。

その時隠れていたタチカラオが力づくで、

アマテラスの手を取り引き出す。

岩戸の入り口に注連縄をはり、

再び入れない(出れない。秩序、理を逆<さかさま>にするメグリのカタ)ようにする。


一般にこの事で解決をしたと神話は伝えております。

ですが『理』に合わせよく考えてみてください。


禮(れい、礼/注釈:このカタがメグリとナリ反映)の順を尽くし誠(マコト)からアマテラスを出したのではなく、

“騙し勘違いをさせ力づく”で出し

岩戸の入り口に注連縄をはり封印したのです。(七五三縄。さらに順序を逆にした。ゆえに逆さまの世)


これを神示では『ダマシタ岩戸開き(レイ<〇>なく体のみを騙し力づくで引き出した。体主霊従のメグリ)』といいます。



ゆえに今の世がこのようなマコトの順の無き世となっております。

はじめは火により焼かれバランスを失い一方的になり、

次は騙し力づくで世が動き、

現在人殺しも蔓延り、戦争で儲け騙し得をする世となった。


マコト(霊・神)なく順序なく肉のみとなり乱れに乱れた(体主霊従)。


これが神界の出来事が映し鏡(そのままに映るのではなく)のように、

この世に投影するということなのです。

(無論、人々の心のイメージが投影される)



ゆえにマコトの岩戸開き(霊主体従)をしなくては、

世の乱れがなくならず、和なく喜びの世とならないと書いてあるのです。

このことから騙しが蔓延り道理ない力の世となっています(さらに理の逆順の空白を魔にツケコマレ蔓延るコトとなってしまった)。

つまり誠(御魂)がなかったから岩戸シメとなったのです。



つまりこのコトが下記なのでございます。



 天(あめ)の岩戸ばかりでないぞ、地(くに)の岩戸 臣民の手で開かなならんぞ、誠一つで開くのぢゃ、誠のタチカラオの神、誠のウズメの命殿、御用結構ぞ。ダマシタ岩戸開きではダマシタ神様お出ましざぞ、この道理判らんか、取違ひ禁物ぞ、生れ赤子の心になれば分るのぢゃぞ。今の臣民お日様明るいと思ふてゐるが、お日様、マコトの代のマコトのお日様どんなに明るいか見当とれまいがな。見て御座れ、見事な世と致してお目にかけるぞ、神示読みて聞かせてやれよ、嫌な顔する人民 後廻しぢゃ、飛び付く人民 縁あるのぢゃ、早う読み聞かす神示より分けておいて下されよ、間に合はんぞ、御無礼ない様に致し下されよ。十一月十七日、一二の神。(ウメの巻 第十三帖)』



『此の世を乱したのは神界から、此の世乱した者が、此の世を直さねばならんのざぞ、この道理判るであろがな、建直しの御用に使ふ身魂は此の世乱した神々様であるぞよ。(ウミの巻 第十三帖)』



昔からのメグリであるから、ちょっとやそっとのメグリでないから、何処へ逃げてもどうしてもするだけの事せなならんのざぞ。(日月の巻 第十六帖)』



五については、仏魔(仏間)葬式仏教(形骸化した本来の仏教とは違う魔の仕組。生きている事に意味を見出せなくなる等の間違った教えも含め)のことであります。また近年のカルト教団についても道理なく、

道から外て“魔”となっている。(ただ当人たちは洗脳されていることに気づいておりませんから、自分の教え以外が敵<マ>と教えられております。ここにある十善をご覧になり“団体等の行為、行動”からサニワ<判断>してください)

これで日本が乱れに乱れやりたい放題であります。

(マコトを中心とせずカネ、肉中心となり人としての基本はないのだから乱れに乱れる。『理(リ)より』もヒトが勝手に作った教理(肉)をモトとするのですから巻き込まれた方々は人、生き物を苦しめるメグリをわざわざカネを出し、膨大な時間を費やし作り積む。長期的にみてごらんなさい。事はつながりがあるのですからどれだけのメグリを積むことになるのか。改心、改善しなければ日本、世界が霊肉ともにメグリによりどうなるか。日々メグリを作っているのです)



・イワトはナニで開くのか?

その前に…向かう為に、云われなくともわかっていなければならぬ基本ですから分かっておられると存じますが、
御神示・聖典・聖書は、臆病モノの泥棒邪霊集団が悪事悪行を行う為にあるのではありません。

※ 人としての道理すらも守れない気狂いの為のものでありません。御神示、聖典・聖書とは御恩知らずの裏切モノ、犯罪者の悪事を肯定化する為にあるものでありません。 高次元からの警告であります。我々がマコトにうれしうれし改心をなさり、霊肉とも助かる救われる為に存在しているのでございます


一八十の結びとしてこれを置いておきます。
騙し欺き不安感で開ければ結局、そのメグリにより、
“騙し欺き不安の世の中となるのです”。
今回はナニで開くのでしょうか。
また心なきチカラでしょうか?

恐怖でイワトを開こうとするのでしょうか。

ならばそのような“チカラや恐怖が蔓延するココロなき騙しの世”となるコトでしょう。(人々が物言えぬ、チカラで管理統制された<順序が逆なのですからシメた>さらに苦しみの世となります)


念の為…口のみで災いを吐く臆病モノのスコタンがおられますから失礼します。
肉次元、この世のみの話ではございません。

恐縮ながら、順序、順列を御知りくださいませ。
御神示含めまして、“肉次元のみの内容”と勘違い取り違いするならば、ここのみを邪霊カルト犯罪集団により悪用をされ、さらに暴力、拷問を行い、我ヨシの狂いに狂ったモノにより、大衆を苦しめる口実ともされるかもしれません。

己から逃げることしか考えておられないハラ無しどもの無様に行った悪事悪業が、千倍万倍となり霊肉自身に返ることでしょう。

日々うれしうれし誠の実践をなさっておられる日月之方々は得心されておられると存じまするが、身慾のみの邪霊蔓延る低レベル次元の内容をお伝えしているのでありません。


その時代の“キ”により“開いた”ことが積み積もり現実化してしまうのです。
(ゆえに今の世がある。もしこのような低レベルな初歩すら未だに人々がキづいてないならキづくまでするだけのことです。ですが何事も状態の変化、限界があるのです。 念のため…本来無い地獄をワザワザ作り出すことをお伝えしている内容ではありません。 “すでに成っている”ということです)

ゆえにマコト(歓喜、喜び、愛、ココロ中心)で開かないとならないのです。

喜びで開けば喜び(マコトの愛)の世となる。
道理でございましょう。
そして一番重大重要(肝心要)なことなのです(つまり、もう散々学習したのですから、『うれしうれしのキ』でしか磐戸<一八十>は開きません。天界の写しが顕在化するのですから<ハラで知っておられる方、神示を拝読され潔斎されておられる方は得心しておられると存じますが、無論スコタンはこのイミすら知りませんが、天界では既にイワトが開いているのでございます。後は現世に映るのみと云ふコトなのでございます。何事も順があり『霊主体従』なのでございます、大難か小難かは各々のハラ次第、ですから神示ではくどくど掃除・洗濯第一と仰っておられるのです。何卒『潔斎』をうれしうれし御実践してくださいませ。拝)。




――― ここから補足帖 ――――


至恩之巻 第九帖(一〇七)

 千引岩をとざすに際してナミの神は夫神の治(し)らす国の人民を日に千人喰ひ殺すと申され、ナギの神は日に千五百の産屋を建てると申されたのであるぞ。これが日本の国の、又地上の別名であるぞ、数(かづ)をよく極めて下されば判ることぞ、天は二一六、地は一四四と申してあろうが、その後ナギの神は御一人で神々をはじめ、いろいろなものを生み給ふたのであるぞ、マリヤ様が一人で生みなされたのと同じ道理、この道理をよくわきまへなされよ。此処に大きな神秘がかくされている、一神で生む限度は七乃至八である、その上に生まれおかれる神々は皆七乃至八であるが、本来は十万十全まで拡がるべきものである。或る時期迄は八方と九、十の二方に分れてそれぞれに生長し弥栄し行くのであるぞ。



日月の巻 第三十帖(二〇三)

おのころの国成り、この国におりましてあめとの御(み)柱見立て給ひき。茲(ここ)に伊邪那岐命伊邪那美命島生み給ひき。初めに水蛭子(ひるこ)、淡(あわ)島生み給ひき。この御子国のうちにかくれ給ひければ、次にのりごちてのち生(う)み給へる御子、淡道之穂之三別島(あわじのほのさわけしま)、伊予の二名(いよのふたな)島、この島愛媛(えひめ)、飯依比古(ひひよりひこ)、大宜都比売(けつひめ)、

建依別(たてよりわけ)と云ふ。次、隠岐の三子(みつこ)島、天之忍許呂別(あまのおしころわけ)。次、筑紫島(つくししま)、この島、白日別(しらひわけ)、豊日別(とよひわけ)、建日向日豊久土比泥別(たけひむかひとよくづひぬわけ)、建日別(たてひわけ)。次、伊伎島(いきしま)、天比登都柱(あめのひとつはしら)。次、津島(つしま)、天狭手依比売(あめのさてよりひめ)。次、佐渡島(さとしま)。次、大倭秋津島(おおやまとあきつしま)、天津御空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)。次、吉備之児島建日方別(きびのこしまたてひかたわけ)。次、小豆島(あづきしま)、大野手比売(おおぬてひめ)。


次、大島大多麻流別(おおしまおほたまるわけ)。次、女島(ひめしま)、天一根(あめひとつね)。次、知詞島(ちかのしま)、天忍男(あめのおしを)。次、両児島(ふたこしま)、天両屋(あめふたや)、二島(にしま)、八島(やしま)、六島(むしま)、合せて十六島生み給ひき。次にまたのり給ひて、大島、小島、生み給ひき。淡路島(あわじしま)、二名島(ふたなしま)、おきの島、筑紫(つくし)の島、壱岐(いき)の島、津島(つしま)、佐渡(さど)の島、大倭島(おおやまとしま)、児島(こじま)、小豆島(あづきしま)、大島(おおしま)、女島(ひめしま)、なかの島、二子島(ふたこしま)の十四島、島生みましき。次に、いぶきいぶきて、御子神生み給ひき。大事忍男神(おほことおしをのかみ)、大事忍男神(オホコトオシヲノカミ)、石土毘古神(いしつちひこのかみ)、石土毘古神(イシツチヒコノカミ)、石巣比売神(いしすひめのかみ)、石巣比売神(イシスヒメノカミ)、大戸日別神(おほとひわけのかみ)、オホトヒワケノカミ、天之吹男神(あめのふきをのかみ)、

あま之吹男神(ノフキヲノカミ)、大屋毘古神(おおやひこのかみ)、大屋毘古神(オオヤヒコノカミ)、風木津別之忍男神(かさけつわけのおしをのかみ)、風木津別之忍男神(カサケツワケノオシヲノカミ)、海神(わたのかみ)、海神(ワタノカミ)、大綿津見神(おほわたつみのかみ)、水戸之神(みなとのかみ)、水戸の神(ミナトノカミ)、速秋津比神(はやあきつひのかみ)、速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)、速秋津比売神(ハヤアキツヒメノカミ)、風神(かぜのかみ)、風神(カゼノカミ)、志那都比古神(しなつひこのかみ)、木神(きのかみ)、木神(キノカミ)、久久能智神(くくのちのかみ)、山神(やまのかみ)、山神(ヤマノカミ)、大山津見神(おほやまつみのかみ)、野神(ぬのかみ)、野神(ヌノカミ)、鹿屋野比売神(かやぬひめのかみ)、野椎神(ぬつちのかみ)、鳥之石楠船神(とりのいわくすつねのかみ)、天鳥船神(あめのとりふねのかみ)、大宜都比売神(おほけつひめのかみ)、大宜都比売神(オホケツヒメノカミ)、火之夜芸速男神(ひのやきはやをのかみ)、火之W比古神(ひのかがひこのかみ)生みましき。速秋津日子(はやあきつひこ)、速秋津比売(はやあきつひめ)、二柱の神川海(かわうみ)に因(よ)りもちわけ、ことわけて、生ませる神、沫那芸神(あわなぎのかみ)、沫那美神(あわなみのかみ)、頬那芸神(つらなぎのかみ)、頬那美神(つらなみのかみ)、天之水分神(あめのみくまりのかみ)、国之水分神(くにのみくまりのかみ)、天之久比奢母智神(あめのくひさもちのかみ)、国之久比奢母智神(くにのくひさもちのかみ)、次に、大山津見神(おほやまつみのかみ)、野椎神(ぬつちのかみ)の二柱神、山野(やまぬ)に依りもちわけて、ことあげて生みませる神、天之狭土神(あめのさつちのかみ)、国之狭土神(くにのさつちのかみ)、天之狭霧神(あめのさぎりのかみ)、国之狭霧神(くにのさぎりのかみ)、天之闇戸神(あめのくらとのかみ)、国之闇戸神(くにのくらとのかみ)、大戸惑子神(おほとまどひこのかみ)、大戸惑女神(おほとまどひめのかみ)、大戸惑子神(オホトマドヒコノカミ)、

大戸惑女神(オホトマドヒメノカミ)生みましき、伊邪那美神やみ臥(こや)しまして、たぐりになりませる神、金山比古神(かなやまひこのかみ)、金山比売神(かなやまひめのかみ)、屎(くそ)になりませる神、波仁夜須比古神(はにやすひこのかみ)、波仁夜須比売神(はにやすひめのかみ)、尿(ゆまり)に成りませる神、弥都波能売神(みつはのめのかみ)、和久産巣日神(わくむすびのかみ)、この神の御子豊宇気比売神(とようけひめのかみ)と申す。ここに伊邪那美神(いざなみのかみ)、火の神生み給ひて、ひつちとなり成り給ひて、根の神の中の国に神去り給ひき。ここに伊邪那岐神泣き給ひければ、その涙になりませる神、泣沢女神(なきさわめのかみ)、ここに迦具土神(かぐつちのかみ)斬り給へば、その血石にこびりて、石析神(いわさくのかみ)、根析神(ねさくのかみ)、石筒之男神(いわつつのおのかみ)、雍瓦速日神(みかはやひのかみ)、樋速日神(ひはやひのかみ)、

建御雷男神(たけみかつちおのかみ)、建布都神(たけふつのかみ)、豊布都神(とよふつのかみ)、御刀(みはかし)の手上(たかみ)の血、闇於加美神(くらをかみのかみ)、闇御津羽神(くらみつはのかみ)、ここに殺されし迦具土(かぐつち)の御首(みかしら)に成りませる神、正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)、御胸に於藤山津見神(おとやまつみのかみ)、腹(みはら)に奥山津見神(おくやまつみのかみ)、陰(みほと)に闇山津見神(くらやまつみのかみ)、

左の御手に志芸山津見神(しきやまつみのかみ)、

右の御手に羽山津見神(はやまつみのかみ)、左の御足に原山津見神(はらやまつみのかみ)、右の御足に戸山津美神(とやまつみのかみ)、成りましき。ここに斬り給へる御刀(みはかし)、天之尾羽張(あめのおはばり)、伊都之尾羽張(いづのおはばり)、と云ふ。ここに妹(いも)恋しまし給ひて音(ね)の国に追い往(い)で給ひき。十一月二十五日夜、一二



日月の巻 第四十帖(二一三)

ここに伊邪那美の命語らひつらく、あれみましとつくれる国、末だつくりおへねど、時まちてつくるへに、よいよ待ちてよと宣り給ひき。ここに伊邪那岐命、みましつくらはねば吾とくつくらめ、と宣り給ひて、帰らむと申しき。ここに伊邪那美命九(こ)聞き給ひて、御頭(みかしら)に大雷(おおいかつち)、オホイカツチ、胸に火の雷(ホのいかつち)、ホノイカツチ、御腹には黒雷黒雷(くろいかつちクロイカツチ)、かくれに折雷(さくいかつち)、サクイカツチ、左の御手に若雷(わきいかつち)、ワキ井カツチ、右の御手に土雷(つちいかつち)、ツチイカツチ、左の御足に鳴雷(なるゐかつち)、ナルイカツチ。右の御足に伏雷(ふしいかつち)、フシ井カツチ、なり給ひき。伊邪那岐の命、是見(こみ)、畏みてとく帰り給へば、妹伊邪那美命は、よもつしこめを追はしめき、ここに伊邪那岐命黒髪かつら取り、また湯津々間櫛(ゆつつまぐし)引きかきて、なげ棄(う)て給ひき。伊邪那美命 二(つき)の八くさの雷神(いかつちかみ)に黄泉軍副(よもついくさそ)へて追ひ給ひき。ここに伊邪那岐命十挙剣(とづかのつるぎ)抜きて後手(しりへて)にふきつつさり三度 黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到り給ひき。坂本なる桃の実一二三(ひふみ)取りて待ち受け給ひしかば、ことごとに逃げ給ひき。ここに伊邪那岐命 桃の実に宣り給はく、汝(みまし)吾助けし如、あらゆる青人草の苦瀬(うきせ)になやむことあらば、助けてよと宣り給ひて、また葦原の中津国にあらゆる、うつしき青人草の苦瀬に落ちて苦しまん時に助けてよとのり給ひて、おほかむつみの命、オオカムツミノ命と名付け給ひき。ここに伊邪那美命息吹き給ひて千引(ちびき)岩を黄泉比良坂に引き塞(そ)へて、その石なかにして合ひ向ひ立たしてつつしみ申し給ひつらく、うつくしき吾が那勢命(なせのみこと)、時廻り来る時あれば、この千引の磐戸、共にあけなんと宣り給へり、ここに伊邪那岐命しかよけむと宣り給ひき。ここに妹(いも)伊邪那美の命汝(みまし)の国の人草日にちひと死(まけ)と申し給ひき。伊邪那岐命 宣り給はく、吾は一日(ひとひ)に千五百(ちいほ)生まなむと申し給ひき。この巻二つ合して日月の巻とせよ。十一月三十日、ひつ九のか三。

(日月の巻了)



ウメの巻 第十三帖(四四〇)

天(あめ)の岩戸ばかりでないぞ、地(くに)の岩戸臣民の手で開かなならんぞ、誠一つで開くのぢゃ、誠のタチカラオの神、誠のウズメの命殿御用結構ぞ。ダマシタ岩戸開きではダマシタ神様お出ましざぞ、こ の道理判らんか、取違ひ禁物ぞ、生れ赤子の心になれば分るのぢゃぞ。今の臣民お日様明るいと思ふてゐるがお日様マコトの代のマコトのお日様どんなに明るいか見当とれまいがな。見て御座れ、見事な世と致してお目にかけるぞ、神示読みて聞かせてやれよ、嫌な顔する人民後廻しぢゃ、飛付く人民縁あるのぢゃ、早う読み聞かす神示より分けておいて下されよ、間に合はんぞ、御無礼ない様に致し下されよ。十一月十七日、一二の神。




――― ここから(3)素盞鳴命 ――――


極め之巻 第二十帖

 今の学者には今の学しか判らん、それでは今度の岩戸ひらきの役にはたたん、三千世界の岩戸ひらきであるから、少しでもフトマニに違ってはならんぞ。廻りくどいようなれどとつぎの道から改めなされよ、出舟の港は夫婦からぢやと申してあろう、ミトノマグハヒでなければ正しき秩序は生れんぞ、素盞鳴命が、荒ふる神、悪神ではなく、人民の罪を背負って下さる救ひ主の大神であることが判らねば、岩戸はひらけんぞ。新しき世界の宮は土地<神智(十千)>であるぞ、住所(すまい)<数真意(すまい)>であるぞ、永遠に在(おわ)す神は住む(澄む・数務)土地(十千)であるぞ、下には永遠の腕<宇丁(うで)>があるぞ。



至恩之巻 第十帖

 国常立神も素盞鳴命も大国主命も、総て地(智)にゆかりのある神々は皆、九(光)と十(透)の世界に居られて時の来るのをおまちになってゐたのであるぞ、地は智の神が治(し)らすのぞと知らしてあろうが、天運正にめぐり来て、千(智)引の岩戸(言答)はひらかれて、これら地(智)にゆかりのある大神達が現れなされたのであるぞ、これが岩戸ひらきの真相であり、誠(マコト)を知る鍵であるぞ。



星座之巻 第十七帖

 土のまんぢうと申してあろう、土が食べられると申してあろう、土から人民を生んだと申してあろう、ウシトラコンジンの肉体は日本の土ざと知らしてあろう、土に生きよと申してあろう、地は血(智)であるぞ、素盞鳴命様であるぞ、その土が生長して果ての果てに皮をぬぐ、それが地変であるぞ。




――― ここまで ――――