論語物語について


論語は「天の書」であるとともに「地の書」である

下村湖人


志をいう


 顔淵季路(きろ)侍す。子曰わく、盍(なん)ぞおのおの爾(なんじ)の志を言わざるやと。子路曰く、願わくは車馬衣軽裘(けいきゅう)、朋友とともにし、之を敝(やぶ)りて憾(うら)み無からんと。顔淵曰わく、願わくは善に伐(ほこ)ることなく労を施(おお)いにすること無からんと。子路曰わく、願わくは子の志を聞かんと。子曰わく、老者は之を安んじ、朋友は之を信じ、小者は之を懐(なず)けんと。

-公治長篇-



 ある日の夕方、孔子は、多くの門人たちが帰ったあとで、顔淵と子路の二人を相手に、うちくつろいで話していた。

 孔子は顔淵をこの上もなく愛していた。それは、顔淵が、孔子の片言隻句(せきく)からでも深い意味をさぐり出して、それを事実上に練磨することを怠らなかったからである。顔淵は、じつに、一を聞いて十を知る明敏な頭脳の持主であった。だが、孔子の心をひきつけたのは、彼の頭脳ではなくて、その心の敬虔さであった。顔淵のこの心こそは、真に人生の宝玉である、と孔子はいつも思っていたのである。

 子路もまた孔子の愛弟子の一人であった。彼は、孔子の門人のなかでの最年長者であり、孔子と年もわずか九つしかちがっていなかったが、心は誰よりも若かった。そして、その青年らしい、はちきれるような元気が、いつも孔子をほほ笑ましていた。けれども、その愛は、顔淵に対する愛とは、まるで趣のちがった愛であった。孔子は、顔淵に対しては、ほとんど真理そのものに対する愛、といったようなものを感じていたが、子路に対しては、そうはいかなった。


(中略)


 それでも孔子は、けっして子路を真正面からたたきつけるようなことはしなかった。彼は子路だけにものをいうかわりに、二人に向かってそれとなく話しかけた。

「どうじゃ、今日はひとつ、めいめいの理想といったようなものを話しあってみたら」

 この言葉を聞くと、子路は目を輝かし、からだを乗り出して、すぐに口を切ろうとした。孔子はそれに気がついたが、わざと目をそらして、顔淵の方を見た。

 顔淵は、ただしずかに目を閉じていた。彼は自分の心の奥底に、何かをさぐり求めているかのようであった。

 子路は、自分にものをいう機会を与えなかった孔子の心を解しかねた。そして、いささか不平らしく、

「先生!」

と呼びかけた。で、孔子も仕方なしに、また子路の方をふり向いた。

「先生、私は、私が政治の要職につき、馬車に乗ったり、毛皮の着物を着たりする身分になっても、友人とともにそれに乗り、友人とともにそれを着て、たとい友人がそれらをいためても憾むことのないようにありたいものだと存じます」

 孔子は、子路が物欲を超越したようなことをいいながら、その前提に自分の立身出世を置き、友人を自分以下に見ている気持ちに、ひどく不満を感じた。そして、促すように、再び顔淵の顔を見た。

 顔淵は、いつものような謙虚な態度で、子路のいうことに耳を傾けていたが、もう一度、自分の心をさぐるかのように目を閉じてから、しずかに口を開いた。

「私は、善に誇らず、労を衒わず、自分の為すべきことを、ただただ真心をこめてやってみたいと思うだけです」

 孔子は、軽くうなずきながら顔淵の言葉を聞いていた。そして、それが子路にどう響いたかを見るために、もう一度子路を顧みた。

 子路は、顔淵の言葉に、何かしら深いところがあるように思った。そして自分の述べた理想は、それに比べると、いかにも上すべりしたものであることに気がついて、いささか恥ずかしくなった。が、悲しいことには、彼の自負心が、同時に首をもたげた。そして、彼はそっと顔淵の顔をのぞいてみた。

 顔淵は、しかし、いつもと同じように、つつましく坐っているだけで、子路が述べた理想を嘲っているようなふうなど、微塵もなかった。子路はそれでひとまずほっとした。

 けれども、子路としては、孔子がどう思っているのかが、もっと心配であった。そして、一種の気味悪さを感じながら、孔子の言葉を待った。孔子は、しかし、じっと自分の顔を見つめているだけで、何もいわなかった。

 かなりながい間、沈黙がつづいた。子路にとっては、それは息づまるような時間があった。彼は目を落として、孔子の膝のあたりを見たが、やはり孔子の視線が自分の額のあたりに落ちているのを感じないわけにはいかなった。彼はすこしいらいらしてきた。そして、顔淵までがおし黙ってつつましく控えているのが、いっそう彼の神経を刺激した。彼は顔淵に対して、これまでにない腹ただしさを感じたのである。で、とうとう彼は耐えきれなくなって、つめよるように孔子にいった。

「先生、どうか先生のご理想も承らしていただきたいと存じます」

孔子は、子路が顔淵に対してすらも、その浅薄な自負心を捨てきらないのを見て、暗黙となった。そして、深い憐憫の目を子路に投げかけながら、答えた。

「わしかい、わしは、老人たちの心を安らかにしたい、朋友とは信を以って交わりたい、年少者には親しまれたい、とただそれだけを願っているのじゃ」

 この言葉を聞いて、子路は、そのあまりに平凡なのに、きょとんとした。そして、それに比べると、自分のいったことも満更ではないぞ、と思った。彼のいらいらした気分は、それですっかり消えてしまった。

 これに反して、顔淵のしずかであった顔は、うすく紅潮してきた。彼は、これまでもいく度も、今度こそは孔子の境地に追いつくことができたぞ、と思った瞬間に、いつも、するりと身をかわされるような気がしていたが、この時もまたそうであった。彼は、自分が依然として自分というものに捉われていることに気がついた。先生は、ただ老者と、朋友と、年少者とのことだけを考えていられる。それらを基準にして、自分を規制していこうとされるのが先生の道だ。自分の善を誇らないとか、自分の労を衒わないとかいうことは、要するに自分を中心とした考え方だ。しかもそれは頭でひねりまわした理窟ではないか。自分たちの周囲には、いつも老者と、朋友と、年少者がいる。人間は、この現実に対して、ただなすべき事をなしていけばいいのだ。自分に捉われないところに、誇る衒うもない。--彼はそう思って、孔子の前に首(こうべ)をたれた。

 孔子は、自分の言葉が、自分の予想以上に顔淵の心に響いたのを見て取って、いいしれぬ悦びを感じた。けれども、かんじんの子路が、何の得るところもなく、相変わらず浅薄な自負心に災いされているのを見ては、ますます心を暗くせずにおれなかった。彼はその夜、寝床にはいってからも、子路のためにいろいろと心を砕いた。



下村湖人『論語物語-志をいう-より抜粋



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